出そうと思っていた声は失われた。

 赤とか、水色とか、黒とかのじゃない、声。

 彼らがもたらす情報、ただの声。

 でも、「親」の声だ。

 視界がぼやけてきた。

 急に動かした痛みのせいでもあるけれど、それだけではない。

 ……別に、特別愛されたい訳じゃない。

 目に見える愛情をたっぷり貰いたかったわけでもない。

 ただ、今ここで、頭を撫でて欲しかっただけだ。

 痛いのに耐えたな、良くやった、と。

 でなくても、少しくらいは、ほんの少しでも良い、頑張れ、とか、大丈夫かな、とか、そんな風に思っていてくれたら、それだけでも耐えれただろうに。

 どうしてだろう。

 少しの言葉が欲しかっただけだったのに。

 欲張りだったのかな。

『慎は良い“息子”として生まれてくれたよ』

 笑い混じりの声が遠く聞こえた。

 ぼやけた視界が、さらに滲む。

 水色の光が僕の目の前を通り過ぎた。

『あれー? 導主が水だしてるー』

『すごーいー。ウィンディーネなのー?』

『え、導主、ウィンディーネなの?』

『馬鹿、あれは……。涙だよ』

 同情の色と、少しばかりの苛立ちを滲ませて黒が言ったけど、僕はあまり聞いていなかった。

 居ないんだ。

 誰も。

 聞こえてくる声達は、麒麟を迎える事が出来る喜びと、それによる一門の地位が上がること。

 多くの場所から聞こえてくる“器”という言葉は、徐々に僕の心を凍てつかせていた。

 時折聞こえてくる子供の声は少し心配そうだったけど、あまり僕を慰めてはくれなかった。

 もしかしたら、彼らも内心は――?

 そう思った瞬間に、遊び仲間の分家の子達が一室に固まってる情景が見えて、泣きそうな気分になった。

『慎、大丈夫かなぁ』

『大丈夫だって、あいつは強いから!』

『でも、痛いんだよ? 絶対痛いんだよ?』

『お前が泣きそうになっててどうするんだよ……』

『だってぇー』

『大丈夫。私がてっぺんから落ちたときの痛みよりはマシだよ。ね、雪芽』

『うー!』

『だといいなぁ』

 僕がいるであろう小屋の方を向いて、皆が心配そうに喋っていていた。

皆、気の良い子達で、意地悪な子も居たけど、仲良しな遊び仲間。

 素直にその感情に縋りたい気持ちがたっくさんある一方で、父上の言葉が、大人の言葉が張り付いて、僕の足止めをする。

 泣きそうな気分だ。

疑ってる自分が気持ち悪くて仕方が無かったけど、猜疑心は僕の身体を覆っていて、もうどうしようもなかった。

 皮肉にも、あんなにも身体を苛めていた痛みがなくなりつつあった。

 さっきまでは痛さでほとんど動かせなかった手に力をいれる。

 長時間にわたる痛みで、感覚がマヒしかけている手をゆっくりと広げ、閉じ、また広げた。

 ぎしぎしと言っているのではないか、と錯覚する腕をそろそろと動かし、身体を起こした。

 目がしょぼしょぼする。

 乱暴にごしごしと擦っていたら、涙が出てきたから、更に拭う。

 ぼやけていた視界が開けると、数時間前とは、完全なる別世界が、僕の目の前を、僕の視界の前に開けていた。

 風が見える。

 火が見える。

 闇が見える。

 世界が見える――。

 幼子のような高い声で、水色の光を放って飛び回っていたのは、散々僕が会いたがっていた風、シルフだと分かったのはこの時だった。

 赤色で、灯篭の周りをぐるぐる回転していたのが、サラマンダー、火の精霊。

 シュヴァルツと呼ばれて、シルフの次に、ここの部屋を占拠しているのが、闇の精霊らしい。

 彼らは、淡い色を発して、あちらこちらを、自由気ままに飛んでいる。

 僕にぶつかってくるときもあるけれど、一つだけではほとんど質量が無く、彼らが弾き返され、『導主じゃまだよおおお!』と、僕に文句をいってくるだけで、ほぼ実害は無かった。

『にしても、リヒトの奴は入ってこないな』

『しめきってるからねぇ』

『なんだよ、僕じゃ足りないわけ?』

『んな事いってないし』

『うああ! シルフ、くっつけすぎいいいい!』

『なんかくっ付いてきたー』

『お前、またなんか拾ってきやがったな!』

 シルフや、他の玉に時々張り付いているものは、くっついて飛んでくるものらしい。

 先ほどの声達も、きっとくっついてきたものなんだろう。

きゃああー、と楽しそうに飛んでいたシルフを眺める。

途中でくるりと旋回して、おぉおー空中曲芸ってちょっと感心していたら、いつの間にか僕の目の前に来ていて、そのままの勢いで僕に衝突した。

痛くはないんだけど……。

 ちょっとだけ紛れた感情。

『うぅうー、導主にくっつけてやるー』

切り離した何か。

途端、映像が僕の目の前に流れ始めた。

 見覚えのある、女の人二人と、知らない男の人達。

 僕は目を丸くした。

「はは、うえ、と。……巫王、さま?」

 きゅうっ、と締まった心を抑えて、注意深く見てみるけれど、その二人で間違いなかった。

軍服を纏った母上は、黙って巫王さまの後ろに控えていて、その巫王さまは、大きな椅子に座って、目の前の男の人達と対峙していた。

豪勢な衣を纏った男が、微笑を浮かべて巫王様に向かって口を開いた。

『麒麟が、現れたそう、ですね』

『そうね』

 母上の腕が少しだけ揺れた。

 見るつもりが無かった僕だけど、関係のある話になっていて、目が離せなくなっていた。

『契約者は貴女のお子様だそうじゃないですか。静殿』

『貴殿がお話されたいのは私でしょうか? それならば場所を移動しましょう。陛下に対して不敬です』

 落ち着き払った声で母上はその男に言うと、小さな声で巫王様に、申し訳御座いません、と一礼した。巫王様も、それに微笑で返す。

 それから、男に向き直ると、小さく首をかしげ、用件がないなら神殿に帰るけれど、と半分だけ腰を浮かせた。

 男は慌てて押し留めた。そうして、母上を気にしたようにしながら口を開いた。

『その静殿のお子には荷が重過ぎるのでは?』

『何が言いたいのかしら』

『契約の解除を申し入れたい。幼子には重圧にはならないでしょう』

 僕の身体が、痛くもないのに震えた。

 この男は、何を。

 周りの玉たちが、馬鹿だねー、うん、馬鹿だねー、と言い合ってるのに、僕はそれから目が、耳が離せない。

『契約ならば、我が家の経験豊かな者に引き受けさせます。きっと、国力増強に役立ってくれるでしょう。――西の武金に備えるならば、是非に』

 巫王様は、少し目を細め、息を吐いた。

『……誰かが言いにくるとは思ってたけど、あなたとは思って無かったわ』

『恐れ入ります』

 おどけて彼は、母上のように一礼するけれど、顔を上げた瞬間、蛇に睨まれた獲物のように固まってしまった。

 視点が変わる。

 母上が静かな面で男を見ていた。

『……麒麟との契約は解除させません』

『お、おやおや。親として心配ではないのですか? 静殿』

『心配かどうか。そんな事ではありません。――麒麟と契約することは、あの子の責務です。邪魔立ては無用です』

『責務? 家を盛り上げることがですか?』

 揶揄するように、男が気持ち悪く笑った。

 それに、母上は全く顔色も、表情も動かさなかった。

 否定、してくれるよ、ね。

 責務とか、盛り上げるとか、良く分からない内容だったけれど、父上が言っていた事と、言われてることは一緒なんだ、っていうのが、何となく、後ろの玉達の会話から推測できていた。

『陛下も、麒麟は即戦力にしたいはず。違いますか?』

 気安い口調で男は言うけれど、巫王様はそこに関して何も指摘しない。きっと、身分の高い人なんだ、そう思った。

 巫王様は、しばらく喋らなかった。男はじっと、巫王様を見ている。

『否定は、しないわ』

『やはり。では――』

『でも、肯定もしない。――決めたのは麒麟だもの。貴方じゃないわ』

 これで話は終り。

 にっこりと笑って反論を封じた巫王様は、その大きな椅子から立ち上がると、水色の玉と一緒に浮き上がって、彼女しか入れない、という部屋にと入っていってしまった。

 男は、母上にもう一度問いかける。

『……一門を盛り上げるために、わが子を契約させますか』

 母上は、少しだけ笑った。

 今から思えば、ちょっとだけ寂しそうだったかもしれない。

 そうして、僕が一番聞きたくなかった言葉を舌に乗せた。

『それも、責務の一つかもしれません』

 遅い。

 遅かったけれど、僕は耳をふさいだ。

 映像をぶつけた水色は、僕の周りを飛んでいて、僕はそいつに、駄目元で頼んだ。

「声、とめれる?」

 意外な事に、凄く簡単に淡い光は、気軽な声で、いいよー、と返事して、映像とその声を吹き払って、どこかに追いやってくれた。

 それなら、早く追い払ってもらえばよかった。

 思うけれど、時既に遅し。

「でも、まし、だよね」

 一つ、って言ってくれた。

 僕の言葉はむなしく響いたけれど、それだけでもちょっとだけ浮上できた。

 少なくとも、母上は器とか、僕を道具とは思っていないんだ。きっと。

 そう信じたくて、でも信じきれなくて、僕は母上が着せてくれた、白い神事用の衣の裾をぎゅっ、と握り締めた。





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