「しー、がばー」

「雪芽が頑張ってね、だって。頑張れ、慎」

「彩芽もね」

「あたしは慎よりおねーさんだし、一週間後だからいーの」

 こっそりと会いに来てくれた友達がにかっ、と笑って僕の背中を叩いた。

 歳の離れた姉妹で、よく小さな小さな妹を負ぶってるのを見てたけど、こんなところまでつれてくるとは思っていなかった。――こんな所、僕の潔斎の場。

 見つかったらもちろん拳骨ものだ。

 何せ、僕が麒麟と契約をするために、“綺麗”になるためのものだから。

 全く気にしないでここに来たこの子は、流石、“静様のご幼少の時のような子”と称されるだけはある。

 皆呆れて言ってるのが見て取れるんだけど、この子は逆に喜んでる節があったりする。

「しっかし、芹もポカやるのねー。頭良い子だからそんなことしないって思ってたんだけど」

 僕の控え室で、何故か主のような顔をして、卓の上にあった砂糖菓子を彼女は摘んで口に入れる。

 んー、僕のだよね?

 そんな事を思いながら、僕も口に入れた。

 甘いのが大好きな僕としては、すっごく美味しかったんだけど、彼女には甘すぎたらしい。目で僕にお茶を請うばる。

 僕は黙って、おいてあった水差しから水を入れて差し出した。

 彼女も無言で飲み干す。

 僕の好みのものをおいてあるから、甘いのは当たり前だ。

 確か彼女は辛党だから、甘すぎたのだと思う。事実、うげぇ、とかいいながら彼女はまだ水を飲んでいる。

……確か、その水、清めの水とか言ってた気もするなぁ。 

 って、言っても、彼女は、どーせ裏の井戸の水よ、おかーさんが汲んでたの見たからね、とのたまい、気にした様子もない。むしろ、全部飲み干す勢いだ。

「あらま、無くなっちゃった」

「……汲んできてね」

「はいはい、分かってるわよ」

 仕方ないなぁー。

 彼女はそう僕に言うけど、仕方なくもなにも、自分が飲み干したんじゃんか……。言ったら何されるか分からないから、口を閉ざしとくけど。

 他の子曰く、彼女に歯向かっちゃダメ、らしいから。

「いってらっしゃいー」

 僕はひらひらと手を振って彼女を見送った。

 彼女の代わりに、負ぶわれてた彼女の妹が、あー、と返事みたいな事をしてくれたので、その子にも手を振っておいた。反応してくれたのかは定かではないけれど。

「多分……」

 ばれてるのだろうな、とは思う。

 儀式までの潔斎には、一人でいるのが通例らしいけど、この通り二人の侵入者を許している。

 分家の大人が、護衛もとい見張り役を買って出ようとしていたけど、母上が止めていたのを一週間前位に目撃している。

 好都合ではあったけど、当時の僕には意図がさっぱりだった。今考えれば、彩芽とかが来るのを邪魔しないためだったのかな、とか類推できるけど。

 きっと、小さかった僕を一人にしたくなかったのだと思う。

 自分は家の目があるから一緒にはいられないけれど、子供はその辺の事は無視して会いにいける、良い意味での無知さがある。それを邪魔しなければいいのだ、と。

 母上の力量であれば、僕の周りの声を拾うなんて朝飯前だろうから、この時点で彩芽と雪芽が来ていた事は絶対にばれていた。

 それでも、大人が一人も来なかったのは、母上が情報を抑えてたせい。

 なーんて、今は思えるけど、さっきも言った通り、この時の僕は全く、何も分かっていなくて、変なのー、と思ってた位だった。

「痛いのかなぁ」

「痛いっていうねぇ」

 水差しを抱えて帰ってきた彼女は、少しだけ髪の毛がぬれていた。

 大方水遊びでもしてきたのだろう。

 負ぶわれてる妹も少しだけぬれている。

 手ぬぐいを放り投げてやれば、器用にそれをキャッチして、ありがとう、とにかりと笑った。

 がしがしと髪の毛を拭いながら彼女は口を開ける。

「うちのにーさんは、もう二度とやるか! って、言ってたよ」

 くしゅん、って妹の方がくしゃみをするのだから、僕も手伝って拭ってやる。

「後、かーさんに、お前が初めて見せる泣き顔になるかもねぇ、って言われた」

「え? 彩芽が?」

「何、その目」

 ぎろ、とひと睨み。

 僕は口をもごもごさせる。

「だ、だって。彩芽、木から落ちても泣かなかったもん!」

「あぁ、あれねぇー」

 僕がいつも座ってる枝よりは低いところで、打ち所も悪くなかったので、全く泣くこともなく、怪我もしてなかった。

 その後に、こりずにまた登ってきた、ってのは、彼女の名を、子供の間で広めた事柄でもあったりする。

 ともかく、普通の女の子、いや、男の子でも泣くような事で、彩芽が泣いたとこを、僕は、周りの皆は見たことがなかったのだ。

 その彩芽が……?

「うーんとさ」

「うん」

 髪の毛を結い直しながら彩芽が頷く。

「全く想像できない」

 無言。

 長い髪の毛で叩かれた。

 水で湿っていて、何気に痛かった。

「私だって痛いのは嫌いだし、怖いものあるよ」

「怖いものって?」

「饅頭とか?」

「食べたいだけじゃないの?」

「うん」

 そこであっさり頷く物だからどうにもならない。

 一応だしてあげると、一瞬で消えた。……凄い。

「芹はよくやったよねぇ。私より年下なのにさ」

 饅頭をパクつきながら彩芽が言った。

 僕の手が止まる。唇を噛んだ。

「……痛いって言ってた。泣いたって」

 気にするな。

 芹はそういった。けど、そういうわけにもいかない。

「弱虫、って事じゃなかったんだ……」

 彩芽の口ぶりからして、そんな事じゃなかったんだ。

 彼女は何か考えるそぶりをしたけど、そのまま黙り込み、僕の頭を叩いた。

「――っ! い、痛い!」

「痛くしたんだもん、そりゃそうでしょ」

「あー!」

「ほら、雪芽だって言ってる」

「……雪芽は何も言ってないよ」

 恨めしげに見てみても、彩芽には何の効果もない。

 ふん、と鼻を鳴らすだけだ。

「継承の儀が終わった後に謝れば済む話でしょ。何くよくよしてんの」

 見ててイライラするから止めて、と彼女はいいきった。

「芹もなぁーんかもやもや顔だったから、何かと思ったけどそんな事なのねー」

「そんな事って――」

「そんな事よ。だって、慎は“知らない”んだからしょうがないでしょ? で、自分でやってみて、違ったら謝ればいいだけ」

 違う? と彩芽は僕を見る。

 僕は反応しない。出来ない。

 考えもしなかったから。

 その事を性格に読み取って、さらにイラついたのか、口調荒く言い切る。

「それと。今はそんな事考える時間じゃないんでしょ? 麒麟の契約、成功してから考えるの! いいね!」

「そう、だけど」

「だけどじゃなくて、今は考えないの!」

 まだ言葉を濁す僕に彼女はため息をついた。

 僕は小さくなるけど、もやもやが消えるわけじゃない。

 俯く僕に、彩芽は呆れたような声で、きっと彼女にとってはこの程度の事はとても小さな事だろうから、それでも何処か気遣う声で言った。

 芹の事を。

 蔵の中で、ヘマしたわ、彩芽のよーにはいかないな、とぼやいてた事。

 それから。

「芹心配してたよ?」

 他は何も言わなかったけど、彩芽は、凄く不本意そうな顔をしていた。

 二人してなんて顔してるの、そう言って、自分の髪の毛をくしゃりと握った。

「そんな顔して、もっと心配掛けたいの?」

「させたくない!」

 反射的に答えた言葉は紛れも無い本心で、自分が吃驚する位大きな声だった。

 彼女もちょっとだけ驚いたような顔をしてたけど、途端笑顔になって頷く。

「なら考えない。それで、後で謝る! これでいいでしょ?」

「うん!」

「良い返事。後――」

 何かを彼女が言いかけた。

 が、すぐに口を噤み、脱兎のごとく抜け道の方へ駆けて行く。

 目を白黒させる僕に彩芽は前を指して、それから僕に紙を投げつけた。……何時の間に書いたんだろう。

 僕がそっちに気を取られてる間に、彼女は消えていた。精霊さんと契約もしてないのに、この速さと、勘の良さは何なんだろう……。

 ぴらりと開く。

 彼女とは結びつかない、流麗な字が並んでいた。彼女の言葉で。

 ――くよくよしない事。今の慎、かっこ悪い。

 その隣には、雪芽の何を書いてあるか分からない、らくがきみたいな筆の跡がある。多分、あえて消さなかったんだろうな。

 紙を懐に仕舞うと同時に、彩芽が去っていった原因がやって来た。

 彩芽の、お父さんだ。

 僕の護衛を母上に申し出た人でもある。

 彼は、僕の潔斎場である小さな小屋を不審げに見回し、僕に尋ねてきた。

「誰か、居ませんでしたか?」

「誰も居ないよ?」

 今は。

 疑う顔で彼は僕を見て、それから時間がない、とばかりに、早口で僕に告げた。

「儀の準備が出来ました」






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あとがき(もどき

全然進まなくてごめんなさい
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