結局、芹にはまだ謝れていない。 謝りにいこうとしても、何故か、芹だけが居ないのだ。 芹のお父さんに聞いてみても、あやつのことなど慎様がお気になさる必要はありません、と言って、教えてくれなかったのだ。――気になる、用事があるから聞いてるのに。 「ねー、芹は?」 仕方がないから母上に聞いてみた。母上以外の大人は全滅したから。 母上は、ちょっとだけ笑って、僕の額を弾いた。 「あらら、芹がいなくて寂しいの?」 「そうじゃなくって! ……昨日から見ないけど、どうしたの?」 そういっても、母上は困った顔をして答えてくれなかった。 大人の事情よ、やりにくいわねぇ……、とだけは言ってくれたけど。 それだけで察せる程僕は鋭くなかったし、大人でもなかった。 継承の儀が決まった途端、分家の子たちとも遊べなくなった。 大人達が、僕と友達とが遊べないようにしていたらしい。麒麟と契約した僕だから、って。僕が会いにいっても、誰とも会えず、変わりに大人が出てきて。 腹が立って仕方がなかったけど、そのうちに、そんな事を言える暇もなくなった。儀式のための禊と、鍛錬が始まったのだった。
――で、親父にど叱られた。急に消えてごめん。 久しぶりに聞いた声はそんなのだった。 紅一門の私有地、都の一角にある小さな森の中にて。 森であるから、当然木々が溢れるこの場所は、都会である都では貴重なところで、紅一門の儀式などに使われていた。時々、他の貴族の人にも貸しているところを見たことがある。やっぱり儀式に使われてたみたいだけど。 と言う僕は、ここで芹と他の分家の子供達と遊ぶのが大好きで、大切な所だった、なんてこのときまで全然知らなかった。 子供にとってはそんなもの。ただの森で、遊び場だったのだ。 確かに、すでに契約している子たちは「精霊が楽しそうー」とか、「綺麗になった」とか言ってたけど、契約をまだ済ませてない僕らにとっては凄く未知の領域だったから、そうなんだー、位の気持ちしか持ち合わせていなかったのだ。 そんなわけで、母上に「そろそろ準備しにいくわよ」と、言われて、ここに連れられてきた時には、あれ、ここでなにするんだろ? と思ったのだ。 「遊ぶわけじゃないからね?」 釘を刺すように母上に言われて、違うんだ、とちょっとがっくりした。 ざくざくと僕がまだ入ったことのない所へと進んでいく。 大人達が嫌う、土の地面から、綺麗な砂利がひかれた道にと変化した。周りの木も、僕らが遊んでるとことはちょっと違う。 「金持ち連中の感覚は分からないわー」 「金持ち連中?」 「無粋でしょう? せっかく綺麗な山桜がここに植わってたのに」 もったいない、と母上はため息をついた。 「これは違うの?」 「違うのよ、これがね。もっとお上品なお桜様らしいわ」 あの山桜の上からの景色、絶景だったのにねぇ。母上がぼそりと呟いた。 何となく、母上の子供時代が想像できて、少し笑えた。 それが母上にも察せたらしく、悪戯っぽく笑うのだ。 「私が慎の遊びを叱ったことあったかしら?」 って。 「……全然ないよ」 むしろもっとやりなさい! と、憤死しかねない父上の前で、堂々と言って見せたことがあったっけ? 「でしょう? ほら、あの橘の木も昔は違う木で、大きな洞があって隠れるのには丁度よかったのよ」 「かくれんぼにつかえそう!」 「そうなのよ。逆に、厳をあそこに閉じ込めたりねー」 「……父上可哀想……」 「そう? シルフで障壁つくってやっただけよ?」 事も無げに母上は言うけれど、芹やみんなの話を鑑みれば、父上が母上の術を破れる、なんて事は絶対ありえない。 何で解けないのかしら? と言う母上だけが、――実際は多分分かりきってるくらい分かってるのだろうけど、そういうのだ。 小さな森であるから、そこまで時間は掛からなかった。 一部の大人や、儀式の関係者だけしか入れない、という場所に辿りつくと、そこには小さな建物と、さらに続く小さな小道があった。 これに着替えなさい、と手渡されたのは、真っ白な服で、何するの? と聞けば、禊よ、と端的に答えてくれた。 手早く着替えて外に出れば、母上に手を握られ、さっき見つけた小さな小道へと続く。 進んでいけば、水の音がする。 「滝……?」 確信はなかったけど、一人呟いてみれば、良く分かったわね、と母上が僕の頭を撫でた。 言ったとおり、そこには小さな滝と、もう一つ大きな滝があった。 小さな滝は、大きな滝から分流させたらしく、隣の大きなものよりはあまり迫力はなかった。人工的? っていうのかな。 対する隣の大きな滝は、迫力満点で、どばばば! と水が勢いよく下に落下していた。 僕の強張りに気づいたのか、母上がもう一度僕の頭を撫でる。 「安心なさい。貴方がやるのは小さい方よ」 「良かった……」 「ちなみに、私の時は大きいのしかなかったわ」 にっこりと笑う母上。 「父上も?」 「そうよ。付き添いが私だったけど、終始叫んでたわねぇ。退屈、って聞いてたけど、すっごく見てて面白かったわ」 まぁ、それはともかく、全然ともかくじゃないけど、母上が話しを元に戻す。 「あまり痛くないから頑張りなさい。二時間、ってのが規定らしいわ。座っても、立っててもいいけど、転ばないように注意なさい?」 「はーい」 「私はウィンディーネとは契約してないから、溺れそうになったら空気に向けて叫ぶこと。いいわね?」 「分かった」 「よっし、私は小屋の方にいるから。平気ね? 慎」 「うん! 僕は大丈夫」 僕が断言すると、母上は満足そうに笑い、手をひらひらと振って小屋の方へと歩いていった。 水はそんなにも痛くは感じなかった。 今が夏だからかもしれない。 むしろ気持ちよくて、僕は水浴びでもする気分で滝の下へと入った。 ――といっても、それは最初だけだった。 欠伸をかみ殺す。 すごくすごーく退屈だった。 小さな滝の下で、二時間程打たれているのが禊というものらしい。これで“穢れ”とやらが取れるのかな、と思ったけど、母上が習慣みたいなものだからね、と言っていたのでそういうものなんだろう。きっと。 退屈だなぁー、と呟きそうになった唇をきゅっ、と結ぶ。 母上に精神統一の意味合いもあるから、喋ってはダメ、と厳命されているのだ。 雑念はしょうがないけど、口にだしたら、形を成してしまうから、という事だけど、どう違うのかは良く分からない。多分、これも習慣、って奴なんだろう。 喋っちゃダメ、喋っちゃダメ。心に言い聞かせる。 と。 その時を狙い計ったように、芹の声が僕の耳に響いた。 周りを見回してみたけど、いるはずもない。だっているのは、僕だけだ。 母上だって、小屋に行くって言った。 だから。 だから――。 ――聞こえてるよな? 聞き間違いじゃなかった。 やりにくそうに、通じてるのか心配してるのか、そんな声だった。 芹だ。ほんとに。 思わず叫びそうになったけど、母上のちょっと厳しそうな顔を思い出して、ギリギリ耐えた。聞こえてるよ! そう主張するように、大きく首を振ることで答えた。 怒った母上は怖い……。思い出して、思い出してしまった、ぶるっ、と震えた。 母上は、しるふと仲良しだから、この場にいなくても、聞こうとすれば僕の声なんて簡単に拾えてしまうんだ。口を開いたら、まずい。 でも、今がチャンスじゃないの? 謝るのには絶好の。 母上には叱られる。けど後言うよりは、今……。 そんな僕に構わず、芹は言葉を紡いだ。実際に伝えたのはしるふだけど。 ――まず要件な。何か来てくれたのに、会えなくてごめん。今蔵ん中だからさ。 僕は目を見張る。 声には出さなかったけど、なんで、と唇が動く。 芹が戸惑ってるような気がした。 しるふが声を伝えてこなかったから。 ――……親父、言ってない? 喋るわけにはいかないからこくりと頷いた。 すると、唸ってる芹の声がして、あぁ、頭がりがり掻いてるんだろうな、と思った。 しばらくすると、情けない話だけどな、と前置きして芹が話し始めた。 芹が言うには、分家、って内容ですっごく怒られて、話半分で寝かけてたら、さらに怒られて、首根っこ掴まれて蔵直行―との事。 かなり大雑把にしか伝えてくれなかったけど、とりあえず、分家が使ってる蔵の奥で反省を促されてるらしい。 でも、芹は全く反省した様子はなくって惰眠を貪ってる、と楽しげだった。 ――で? お前は、何かの修行中? 首を振る。 あぁ、と芹が納得したような声を上げた。 多分、しるふから映像を得たんだと思う。 前に風景も見れるのよ、と母上が楽しそうに言ってたのが印象深かったからだ。 俺もやったよ、といわれて、芹もこの場所に来てたんだ、とちょっとだけ安心した。 ――喋っちゃいけないんだっけ? 俺、独り言言いまくってたな。退屈過ぎて寝そうだったからさ。後で親父にぶん殴られたけど。 あんまり懐かしくないなぁ。 芹は可笑しそうに言った。 それも芹らしい。 らしすぎる。 半分寝かけて、芹のお父さんが、泡を食ったように突っ込んでくるのが目に浮かんだ。 ――寝ぼけてた俺は、一時間五十九分で突っ込んできた親父に飛び膝蹴りをして、禊から離脱したんだな。姐さんに良い蹴りだ、って誉められた気もするなぁ。 僕は笑い声を出さないようにするので精一杯だった。 今思えばそれも芹の気遣いだったんだろうけど、そんな事が分かるはずもなく、ただただ笑い声を耐えていた。 ――笑いすぎだろ。まぁ、それでもう一回禊、ってのはならなかったよ。切り上げたら二時間だろ? ってねじ伏せたし。 これは芹のお父さんお母さんが凄くかわいそうな気がしてきた……。 多分、母上も面白がって加勢したんだろうし。 それからしばらく、僕は芹の話を聞いていた。 芹としては、放っておいてごめんな? という気持ちでやってくれたのだと思う。 だって、芹は根っからのお兄ちゃん気質だったから。 僕の事は、多分弟として認識してくれてて、ずっと一緒にいるわけでもないから、その分優しくできたのだと思う。 僕は謝ることも忘れて、ずっと芹の話を聞いていた。 聴いてるだけで楽しかったし、面白かったし、安心できたからだ。 ――それで……。……あ。 急に芹の言葉が止まった。 何かを探ってる音がした。 舌打ちの音。 ――やばい。親父きたから切るな! 叱られ実況とかしたくない! 目を丸くする僕に対して、あくまで自分の言い分で切ろうとする芹。 僕は顔だけで笑って見せて、手を振るう。気にしないで、と。 それから、手を合わせて、ありがとう、と伝えた。 ほんとは声で言いたいけど、それは母上が怖すぎて出来ないから。 芹が、ふっ、と柔らかく笑ったような気がした。 ――……継承の儀、頑張れよ。 転びそうになった。 居ないのに、縋りつきそうになる。 ――俺は行けるか分かんないけど、成功するの、祈ってる。祈るような性質じゃないけどさ。 苦笑する声が遠くなる。しるふとの道を切ろうとしてるんだ。 待って。 言いたい事が――! 滝から一歩踏み出そうとしたとき、芹がこの道で最後の言葉を伝えてきた。 ――前の事は気にしなくていいから。お前は頑張って来い。 じゃあな。 最後が途切れて。それから。 もう、静かだった。 木のざわめきが聞こえるだけ。 踏み込もうとした足を戻す。 居ないことは分かってた。 頑張るしか、ないか。 気にしてないって。 あんな顔したくせに。 ……ばーか、意地っ張り。 声には出さずに僕はそう言った。 上がってきた僕を、母上は頑張ったわね、と言ってくれた後、芹との会話は楽しかった? と面白そうに聴いてきて、やっぱりばれてたか、と思わず笑ってしまった。 |
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慎が芹に懐いてるのは、一人っ子でお兄さんがいなくて、その憧れからってのが大きいと、ちょっと思ったのでした。 今の状況だと、芹の上の子ばっかで、慎より年下の子は、赤ん坊なのでした。という、本編からはどうでも良い情報でした。 |