本当にやるわけ? その子は心配そうに言った。 僕がやるよ、と言えば、すっごく痛いぞ、と彼は返した。 躊躇ってから、僕は、それでもやる、と答えた。 でも、それは無知からなる、空っぽの勇気で。 彼の凄く凄く心配そうな顔の意味が、僕には彼が弱虫だからだ、という風にしか捉えられなかったんだ。 未だ謝れていないけど、彼には精一杯のごめんの気持ちを――。
母上が言うには、“精霊さん”と“僕”を繋げるために、目印となる“紋章”を刻むのが第一段階。そこで既に痛いらしい。 彫士、と呼ばれる人が、繋げるもの特有の印を僕の腕に刻む。僕が繋がる――それを契約と言うらしい――のは麒麟で、唯一無二の存在であるから、その印もたった一つのものらしい。だから、その作業も結構時間が掛かる、という話で、痛みも長いのかな、とぼんやりとおもった。 それから、第二段階。 印、紋章を彫りきったところで、僕は繋がるための陣の真ん中に座らされ、麒麟と繋がる。 ――感覚をシンクロさせるのよ。 母上はそう言った。 シンクロ、同調。 僕には良く分からない。 麒麟が見えている世界を僕が見えるように、そして、麒麟が僕の世界を見れるように。 そうしてようやく、僕と麒麟は繋がる事が出来る、のだと。 麒麟が見えている世界というのは、精霊達が沢山いて、神獣たちもそこらじゅうにいる世界、と父上は言った。 騒々しそうね、と母上が言ったら、光栄なことなんだぞ! と父上が少し怒ってた。 母上は全く悪びれてなかったけど。 それから、聞かないようにすることも出来るから安心なさい、と言ってくれた。耳を塞ぐのと同じなのよ、と。 「どんな感じなのかなぁー」 お気に入りの木の上で座りながら僕は呟いた。 そうしたら、もう一段上の枝にだらしなく寝そべっていた年上の友達が、眠そうながらも答えてくれた。 「結構面白い世界だとおもうけど?」 「そうなの? 芹」 「俺は面白い、って思ったよ。いきなりシルフが出てきたからびっくりしたけど」 ふわぁーあ。 大きな欠伸だ。 だるそうで、眠そうな声音に、あぁ、通常営業なんだ、と僕は可笑しく思った。 芹は、紅の一門の分家で、一門の中では一番僕に歳が近くって、小さい頃からよく一緒に遊んでくれた、遊んだ友達である。 いつも眠そうで、だるそうに振舞ってるけど、案外面倒見がよくって、優しい所がある芹。 その風貌のせいで、よく芹のお父さんお母さんに叱られてたりしたけど、彼は知らん顔で、僕の顔をみつけると、「遊びに行こ、慎」とさっさとそれから逃げてしまうのだ。 だしにされてるのは分かってたけど、僕も僕で、本当は危ない所だからダメ! と言われてるこの木の上を、「芹がいるから大丈夫!」と言ってここに座ってるのだからおあいこなのだ。 「しるふって、どんな感じなの?」 「どんな感じ、か。ふわふわしてて、水色。何か声は子供っぽい」 「……顔は?」 「顔はないな。俺には水色の光にしか見えない。あー、でも、姐さんの側にいた奴は、なんか可愛い女の子だったかな」 姐さんというのは、母上の事。何で? って前聞いたら、だってらしいだろ? と芹はしれっ、と返してきた。なるほど、って頷いた僕も僕だけど。 ちなみに、母上は怒らず、むしろ喜んでた。 余談だけどね。 芹は、僕には見えない何かに、「あー、はいはい。お前らも可愛いって」と、若干棒読みで話しかけていた。面倒そうな顔がさらに面倒そうで、それを突っ込まれたらしく、はぁ、とため息をついていた。 きっと、話しかけてるのはしるふだ。 「ってな風に、隣にちっちゃい奴がいる、って思ってたら良い。俺の紋章はノーマルだから、人型にはならないけど、姐さん位の凄い人になったら、なんか人型になるらしい」 「母上って凄いんだ……」 何を今更、と芹が笑う。 「女の人で、さらに軍の隊長だろ? 姐さんの技のキレは凄いし、シンクロだってそこらの奴には負けてない。ほんと、凄い人なんだからな」 「へぇー……。母上凄いなぁ」 「お前も充分凄いよ。麒麟に選ばれたんだろ?」 彼もそう言った。 遊びに来る前に言われた賛辞とは、若干感じが違って、やっぱり芹だ、とちょっと嬉しく思った。 分家の人たちは、僕が帰ってくると、お祭り騒ぎでお祝いしてくれた。 でも、何処か違う所を見て、凄い、って言ってもらえてる気がした。良く分からないけど。 父上は満足そうだったけど、やっぱり違和感があった。 なんだったんだろうなぁ。 とにかく芹のは純粋に嬉しかった。 「よくわかんないけど、ありがと」 「わかんないのかよ、慎……」 お前らしいけどさぁー、とでろーんと頭を僕の方に下げて笑った。 芹の笑顔よりも、体制の方が気になる僕はどう反応していいかすごく迷った。 「芹危ない……」 「大丈夫だって。落ちたらシルフに助けてもらうし」 「でも、足引っ掛けてるだけなのは危ないよ」 枝に足をフックのように掛けて、ぶらーんとぶら下がってるのだ、この彼は。 僕の身長の三倍以上はある高さなのに。 シルフがいるから大丈夫、とは言え、見ているこちら側からすれば、すごくハラハラする状況だ。 うー、と僕が言ってれば、彼は血ぃ上ったー、と嘯きフックにしてた足を離してしまった。 思わず目を瞑る。 衝撃音は……、なかった。 「ばーか。シルフがいるっていったろ?」 そろそろと目を開ければ、逆さまの芹の顔。 「っ!」 「変な顔」 けらけらと彼がおかしそうに笑う。 ……吃驚してもしょうがないと思うんだ。 だって、何の支えもなしにふわふわと浮いて逆立ちしてるんだもん。 彼はもう一回、血上った……、と言って、僕は凄く自業自得だ、って思ったんだけど、それはおいておき、ふわりと僕の横に普通に座った。 「……それもしるふ?」 「そーゆーこと。お前も麒麟と契約したらこれくらい簡単にできるよ。まぁ、シルフと仲良くなるのが先決だけどな」 彼は愛おしそうに隣の何かをみた。 「麒麟はさ、三百年に一度しか契約しない、ってので有名なんだ。知ってたか?」 聞いたかもしれないけど、覚えてない。 僕がふるふると首を振れば、お前なぁ、とまた呆れ顔。 「契約する奴の事位しってやれよ。慎、お前は気に入られたんだからさ」 「気に入られた?」 「そうそう。俺だって、シルフに気に入られて契約したんだ。慎は、麒麟に気に入られたから、仲良くするために契約する。まぁ、握手と同じようなもんだよ。――友達になりましょう、ってな」 簡単だろ? 僕は頷いた。 大人が小難しい事を言うよりも、彼が言ってることのほうが、すごくよく分かった。 「じゃあ、なんで継承の儀は痛いの?」 「うーん、何でだろうなぁ」 芹はだるそうな顔を引き締めて、真剣な顔で考えてくれた。 こういう姿を見たら、芹のお父さんもお母さんも叱らないのにな、って思ったけど、きっと芹には興味のないことなんだろう。 しばらく黙ってると、彼が首を捻りながら口を開いた。 「初対面だから……、喧嘩してるんじゃないか? ――ほら、お前、仲が良い猫がいるだろ?」 芹に言われて、僕は首を捻り、傷がたくさんあった三毛猫を思い出した。 「五右衛門の事?」 「まぁ、名前のセンスはおいとくけど、五右衛門の事」 「五右衛門がどうかしたの?」 芹のおやつでも食べたのかなー? あの猫、何でも食べるから、良く僕のおやつも消えてるんだよね。 けど、芹が言ったのはおやつの事じゃなかった。 「五右衛門、最初からお前と仲よかったか? 最初から膝で寝てくれたか?」 「えーと……?」 僕は記憶を辿り、とんでもない! と首を横に大きく振った。 最初の時なんて、もう! 「全然!! 最初あったとき、顔ばりい! って引っかかれたもん! それから、僕の服破っちゃったし、僕の目の前で糞してったり、それからそれから!」 頭の中で再生する惨状の数々。 仲が良かったなんて、絶対いえなかった。 僕が撫でようとしても、とっとと走り去っていってしまうのが普通だった。 「でも、仲良くしてくれただろ?」 「……半年掛かったけどね」 「しぶとさにはすっげー呆れたよ」 よくやるなぁ、と何回も言われて。 それからようやく懐いてくれた時には、さっき言ったように半年掛かってた。 五右衛門って呼んだときに振り返ってくれた時は嬉しかったっけ? 「それが継承の儀だよ。まぁ、ちょっと意味合いも違うけど、仲良くするための過程。引っかかれた痛みが、それだ」 「仲良くするための……」 「まぁ、お前の場合、麒麟だから、五右衛門以上だと思えよ?」 「うっ……」 想像を絶する……。 僕は頭を抱えた。 「まぁ、悩め悩めー。どうせ継承の儀はやってくるんだからな」 と他人事のように、実際そうなんだけど、芹は言った。 「でも、本当に来月やるのか?」 打って変わって真剣な顔」 僕が頷けば、うーん、と彼は唸る。 それから、ふわりと浮き上がって僕の前に“立った” おー、と歓声をあげる僕に対して、彼は表情を崩さない。 「俺のさ」 「ん?」 「俺の時の痛みがここから落ちた位のだとする」 「継承の儀の?」 「そう」 下を見下ろす。 結構な高さだ。 若干顔が引き攣った僕を見据え、芹はさらに高く上がった。 今の、二倍? 三倍? ――お前の痛さは、仲良くなるための過程は、こんだけだ。 しるふが、芹の声を僕の耳元に届けてくれた。 すっごく真剣な声だった。 首を上に傾ける。 凄く高い所に彼は居た。 ――俺は。まだ早いと思う。姐さんの言うとおりだと俺も思う。 一門の人たちは、そろって父上の意見に賛同した。 反論したのが、母上と、母上の従妹である、芹のお母さん。 芹は、反対する、という。 「僕が、弱虫だ、って言うの?」 彼はゆっくりと降りてきて、僕の隣にまた座った。 首を振る。 「違う。準備期間が必要だ、っていっただけ。五右衛門と仲良くするために何をやった? 準備だろ?」 「でも、僕は」 「焦るなよ、慎。麒麟は逃げない。お前と友達になりたい、とそう決めたんだ、麒麟は。誇り高いあの神獣は、一回決めたらずっとそれは違えない。絶対にだ」 「でも!」 「俺は泣いたよ。シルフと契約した時。痛くて、痛くてたまらなかった。だからお前には……」 僕は、早くしるふと会話がしたかった。 芹がいう、しるふというのに会いたかった。 母上が言う、可愛い精霊を目にしたかったのだ。 だから、芹のいう事が、“お前は弱いから、まだダメだ”といわれてる気がして、それは事実だったのだけれど、つい反発してしまった。 「僕は、僕は、芹みたいに泣かない! 芹みたいに弱虫じゃないんだ! 命令するな!」 「……慎……」 僕はばっ、と口を押さえた。 芹が凄く傷ついた顔をしてたからだ。 酷い事を言った。 それは、簡単に分かった。 でも、よくも悪くも、芹はそんな風貌だけれど、大人びた性格をしていた。 だから、僕に怒鳴ることはしなかった。 怒りもしなかった。 「……やってないからわからないよなぁ。俺のエゴか。ごめんな」 芹は僕の身体を浮かせる。 え? え? となってる間に僕は木のしたに下ろされた。 「さっき、母さんから、早く慎を帰せ! って言われたんだ。俺は、もうちょっとここにいるから、先帰っててくれるか?」 僕が逆らえるわけがなかった。 ゆっくりと頷けば、芹は良い子だ、って笑ってくれた。 とぼとぼと帰路に立つ。 謝ればよかった。 謝ったら芹は許してくれるかな。 それとも、許してくれないかな? そう思ったら、凄く悲しくなって、視界がぼやけた。 「ごめんなさい」 ぽつり、と雫が地面に落ちた。 きっと伝わらないけど、そう呟いた。 継承の儀の日時が決まったのは、その翌日の事だった。 僕は、謝れなかった。 |
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Not改訂版では出ていない芹君です。 歳の差はあえて出しません。 弱虫、って言われたことよりも、彼は自分の言葉が届かなかった事に傷ついてるんじゃないのかな、と思いつつ。 |