彼の周りを、シルフ達はくるくると回っている。 他のシルフが、思うままにふらふらと揺れているのを見ながら、いつも慎の隣にいるシルフ達は、少し離れたりするだけで、どこかに行く、という事はしなかった。 『変わらないねー』 『ねー』 『そうだの』 水色と緑が微笑ましそうに、慎の寝顔を見ている。 若干、子供っぽさが抜けてきてはいるものの、まだまだ子供。丸みが消えてきた顔は、幼さが消えていき、彼が大人になっていくのを示している。 永遠に、この世界を漂い、留まり続ける精霊達にとっては、彼の成長は嬉しくもあるけど、少しだけ寂しさも伴うのだ。だから、こういう変わらない顔というものに安堵する。 『僕らはいいのにねぇ』 『嘘つきー。最初の方、ショック受けてたー』 『でででも! 慎が話しかけてくれるだけで嬉しいもん!』 『わっぱども、煩い』 騒がしくなってきたシルフ達の声に、緑が一声かけると、一瞬のうちに静かになる。 慎の上空に浮いていた水色が、代表して小さくなりながらも謝る。 『ばばさまごめん……』 『私にいうことかえ? まぁ、小童にいっても栓のないことだがの』 緑は相変わらず、慎の上に納まっている。 彼女も彼女で、ここに来るたびの彼の姿を見てきた。 一時期の姿は見ていられなかったが、今は少し、ほんの少しだけ浮上したようにも見えていた。けれど、今日の姿は何故かまた逆戻りしていってる気がしていた。 ――人間どもが。 そんな事を思ったりしないでもないが、慎だって人間である。そこの矛盾さに、まだまだ青いのう、とぼやきながらも、緑はシルフ達を眺めていた。 空が赤く染まってくる。 慎を探しにきたシルフ達がやってきた。 木の上の彼を見つけ、報告しにいこうとするシルフを宥め、寝ている彼を起こさないよう、水色達にしては静かに事を行っていた。 けれども、敏感な慎が気付かないはずも無く、水色達の努力も空しくおきてしまった。 「……ん……」 寝ぼけ眼を擦りながら、彼は空を見た。 『おはよー、ドウシュ』 『こわっぱ、おきたかえー?』 『夕食の時間にはなってないぞ』 慎は少し頭を傾け、それから、あぁ、と呟く。 「寝てた」 『お主、自分で宣言したえ?』 「うん、そうなんだけど」 おばばおはよう、と言って、彼は小さく上に伸びる。 その手にシルフがちょこん、と乗っていて、同じくおはよ、と彼は言った。 大分、顔色が良い。 熟睡できるところ、とはお世辞にもいえない不安定な場所ではあるが、彼にとっては充分な気分転換になったらしい。 無表情に近かった顔が、微かな笑みを浮かべている。 『慎、よく寝てたな』 上の方での、大きな羽ばたき音。 慎がそちらに目を向けてみると、この楠に住み着いている大鷲――彼もまた神獣である――が、面白そうな声音でいってきた。姿はみせない。何せ大きいのである。 その声に対して、特に驚くこともなく、あぁ……、とまた目を擦りながら頷く。 「あにさん、こんにちは」 『正確にはこんばんはの時間帯だな。夕方だ』 「そうだね。夕方だ」 赤くなった空を見つめ、慎は素直に肯定した。 微笑ましそうに、水色や緑が慎の様子を見ていたが、大鷲には不思議なものとして移ったらしい。 『? 良く喋るな』 「……? そう?」 『あぁ。饒舌だ』 寝起きだからか。 彼は苦笑混じりに言った。 「? どういうこと」 『まぁ、いいさ。大したことじゃない』 「そう」 小さく欠伸をした。 眠気はまだ通りすぎてはいないらしい。 「水色」 『何何―!』 慎から話し掛けてきた! と喜色満面でやってきた、大量の水色達。 被さってきそうだったのを、寸前で避け、「一人でいいんだけど……」と、呆れた顔で呟きながらも、丁度肩にのってきた水色を手で拾い上げ、自分の目線に合わせる。 「もう帰った方が良い時間?」 『んー。ちょっと待ってね、ドーシュ!』 飛び上がった一つの水色が、凄い勢いでどこかへ飛んでいく。 その間にも、ふわふわと漂ってきた同族に、他の水色が、なんとも早口で慎に言われた事を尋ねている。 流石の慎も、その辺りの会話は聞き取れないらしい。 「すごい早口だなぁ……」 『珍しいな』 「?」 本日二度目の言葉に、また慎が首をかしげた。 大鷲は答えない。 小さな風を慎に向かって送るのみだ。 『なぁ、ばば殿』 『なんかえ、大鷲の』 慎には聞こえない、“彼らの言葉”を大鷲が発すれば、緑色が気だるげに応ずる。 彼からは下に位置する慎を眺め、苦笑混じりで尋ねる。 『やはり寝ぼけてるのか?』 『じゃろうな。完全に寝ぼけてるわ』 『あい分かった。では、完全に無意識なんだな。あの導主は』 『小童は気付いておらぬよ。自分が精霊に向かって“干渉”してることは』 『だろうな……。そうだろうと思っていた』 彼が常に拒否してきたことは、自然の力を“借りる”事で、周りが精霊や神獣の力を借りて行っていることも、慎は断じて借りようとはせず自分だやってきた。 それを曲げるようなことを行っていた事に、大鷲は少なからず驚いたらしい。 ――彼が割り切った。 そんな僥倖が起こったのだろうか、とちらりと思ったのだが、緑は否定した。 つまりはそういうことだ。 若干の落胆の息を吐きつつ、緑を主とする木のてっぺんで、大きな翼を少しだけ起こした彼は、その鋭い目を上空に向けた。 一方の慎は、やってきたシルフから、「まだだよー」という報告を受けていた。 そう、と頷いた彼は、そこではた、と気付く。 「……馬鹿……」 『ドウシュー?』 「うっさい……。ちょっと黙ってて」 彼の顔が歪んだ。 嫌悪感に満ちた表情。 『やっぱり、寝ぼけておったのか』 「おばば、意地悪……」 『私かえ? 私らは、干渉に抵抗感はもっておらんでの』 からからと緑は笑う。 あわせるようにして、上の枝が優しく揺れた。 「……寝ぼける、って怖いね」 『無意識下では、もう薄れた、という事かの』 からからと笑う緑。 横では慎が、眉間に少しだけしわを寄せている。 「おばば」 『そう睨むでない』 「僕は」 『干渉したくない、であろう? ならば、このおばばとの会話は干渉かの?』 慎の上では、黙っていて、といわれたシルフ達が律儀にも静かに漂っている。彼らが動くたびに、小さな風がおこり、慎の金色の髪の毛をやはり小さく揺らした。 慎には聞こえないけれど、緑には、彼らの言葉で、何かしたかな!? などと、反省会というより、混乱した会話をなしているのが聞こえており、口には出さないが、微笑ましく感じていた。 『小童。お主が全ての現象を無視できぬ限り、干渉を拒む、ということは出来ぬ事』 「……それは」 否定できないのか、黙り込む。緩く握られていた拳に力が入った。巨木の精霊は、その様子を見てか、「ふむ」と一言呟くと、一瞬の間のうちに小さく震え、緑の玉から幼い女の姿へと外見を変えてしまった。 周りのシルフが小さな歓声を上げている。 彼女が人型を取るのは珍しいらしい。――人型であれば、契約をしていない者でも目視することができるから、面倒な事をさけるために、彼女はやらないのだ、と言う。 実際、慎がこの姿を見たのも、これをあわせてたった二回である。 突然の変身に目を丸くしている慎を尻目に、彼女は緑の裳と、黄色の領巾をたなびかせ、軽やかに慎の膝へと飛び乗った。慎が重そうでないあたり、重量の変化はないらしい。 おさげをした可愛らしいその人は、しかしその風体に似合わない、穏やかな声音で、膝の主に語りかける。 『とがめる訳ではないえ? むしろ無視されないのは、我々にとっては有難い事』 「……見えてるのに無理だよ」 硬くなっていた慎は、ため息をつくように、そう零す。 童女は、そうさの、と頷いている。そして、小さく微笑んで言った。 『左様。だから、の。それではいけないのかえ?』 「? どういうこと?」 慎は緑の髪を撫でながらも小さく首をかしげた。意図が分からなかったようである。 シルフも同様なのか、疑問の声をあげながら、彼女に声を送る。どういうこと? と。 『無理に我らと干渉しろなどとは言わぬ。今まで通りの干渉では駄目かの? それを否定されると、些か寂しい物』 千年を生きる精霊は、頬を緩め、慎の手が気持ちよさそうにしている。 ――これを“駄目なもの”と否定しないでくれ。 そう、主張したいのか。 『小童が我らを見ることが出来るのは、可能性を示唆しているのみじゃからな。見えるからといって、その小さき身に、我らを宿すというのは義務ではない。――きっと獣王殿も、そうおもっていらっしゃろうて』 慎の顔は、強張っている。 何と言っていいのかが分からないのか。 それとも、何を言われているのかが理解できないのか。 緑は返事を急がせない。黙って、慎の撫でるままになっている。 「……僕は……」 紡ぎだそうとした声が、口の中でしぼんでいく。 シルフ達がその声を拾おうとするけれど、やはり声にはなっていない。 「……僕、は」 自らの心を沈めようとしてか、緑の髪の毛を何度も撫でる。 唇が動くけれど、それは言葉を伴わない。考えても、何も出てこないのか。 緑は何も言わない。 そもそも、答えなど期待していないのかもしれない。ただ、慎の心の中に留めておこうとしただけなのかもしれない。 言わない慎に焦れた一匹のシルフが飛び出そうとする。 緑が、閉じていた翡翠色の目を出して、止めようと干渉する。 が。 その前に。 「うわっ!」 『……大鷲の?』 大きな風。突風と言っていいかもしれない。 彼女の木が大きく揺れる。 陶器で作られたような綺麗な肌に、数筋の皺がよる。彼女が不満の声を出そうとするが、被さってきた声は深刻だった。 ――慎! 導主! 上だ! |
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