さっ、と彼の表情が強張る。 うきうきとした雰囲気を漂わせていた静の表情も途端に厳しくなる。 「貴方」 「お前は黙っていろ」 「あのねぇ……」 「慎は紅の長子だ。わがままを言えぬ立場だと言う位お前も分かってるだろ」 「その前に私の息子よ」 挑戦的に微笑む母親の横顔を慎は無言で眺め、それから手で制す。 「母上、良いです」 「……でもね」 「どうでも良いですから大丈夫です」 一歩進み出て、笑みも何も浮かべずに首を振った。 表情を見て、静は表情を若干暗くしたが、慎は見向きもしなかった。 「全くやってないです」 厳は慎の言葉に大仰にため息を付いてみせる。 情けない。呟かれた言葉に、周りの精霊達が憤慨しているのが彼には聞こえているのだろうか。 その後ろでは一変して、不機嫌な顔をしている母親がいるのだが、どちらも慎の表情を動かすには至らなかった。 慎は、ゆっくりと口を開いて、自分が思っている事をそのまま舌にのせた。 必ず目の前の男が怒るだろう、と予測しながらも。 「必要がないと思っているので」 「……必要が無い?」 「はい。僕には全く必要が無いです」 案の定、厳は眉を吊り上げた。 「紅の長子がそんな体たらくでどうする!」 一斉に周りの席が騒がしくなった。 静のひと睨みで、少しは静かにはなったものの、口さがない者達は慎をちらちらと見ながら何かを隣りの席の者とひそひそと喋っている。 「ご子息がやられないとなると、ねぇ」 「厳様も、きっと騎士にされたかっただろうに」 「せっかく、麒麟が舞い込んできたのにもったいない」 誰かの機転で、シルフが周りを囲っていたのが幸いだろう。 そうでなかったら、きっと慎の周りには声達がいて、制御の方法など知らない慎は、またシルフの声達に惑わされ、表面上は出さないかもしれないが、きっと心を乱されていただろうから。 大人達だけの声にも見えたが、中には子供もいて、中には、変わってしまった慎に腹を立てて、陰口を叩く者もいたが、その一方で大人達の発言を睨みつける子供もいた。 「そんなん、慎の勝手じゃないか」 「だよねぇー。あんな事言っといて、やれ! っていうのが間違いだよ」 「でもさ、宝の持ち腐れじゃね?」 「つーかさ、あいつ、俺らも避けてるじゃん」 「……しょうがないよ」 「冷たいなぁ」 多種多様の反応が大広間の中に響き渡る。 仕方ない、と呟いて、静が大広間の周りをシルフで囲った。一族の者が纏っていたシルフも根こそぎ奪って。 慎が視線だけで辿ると、あたりをふわふわしていた水色が、隊列を組むようにして大広間の壁の方へ行ってしまった。 頼んだ様子もなかったのになぁ。 心の内で感嘆する。 ――僕には出来ないよ。 やろうともしていないことだけれども。 一つ残っていた水色が、慎の肩に乗っている。 「お前は行かなくていいの?」 『ボクはねぇー、眠たいからいいの』 「緩いなぁ」 母親の力に対して素直に感心していたせいか、いつもならほとんど反応しないシルフの動きに慎は思わず反応してしまった。 小さな意地ではあったが、悔しげな表情を一瞬見せた後、開き直ったのか呆れた笑みを浮かべている。 そんな慎の表情の変容に気付いていないのか、相変わらずのんびりした声で、慎の肩で落ち着いているシルフは、ふぁあ、と欠伸混じりに、そして少しだけ得意気に言ってみせるのだ。 『ドウシュの近くだったら楽だし、怒られないのだー』 誇らしそうな雰囲気がちょっとだけ可笑しくて、わざと振り落とそうとしたら、導主のいじわるう! と頭の上に移動する。 頭をちょっと振ってみれば、軽いシルフの事なので簡単に振り落とされる。 「浮いてればいいのに……」 『! ドウシュ頭良い!』 「……君が頭悪いだけじゃ……」 『そんなことないよ! ボク頭いいもーん』 「じゃあ、振り落とされないようにしなよ」 落ちてきた水色を慎は手で受け止めて、もう一回頭にのせてやった。 のせた瞬間に、何でこんな事やってるんだろう、と思ってもみたが、シルフの嬉しそうな声に気が抜けたらしい。 僕も大概だなぁ……。 そんな言葉と共に、彼は苦笑した。 『あー、ドウシュ、目の前―』 頭の上からの通りに目を向ければ、顔を真っ赤に染めた父親と、大笑いしそうになるのを寸前で堪えている母親、そして、戸惑った様子で慎を見つめる分家の面々、という何とも面妖な光景だった。 行動が遊んでいるように見えたらしい。 息をめい一杯吸った、厳の怒号が響く。 『きかせませーん』 が、頭上のシルフが飲み込んでしまったので、慎は取りこぼれた小さな声でしか聞こえなかった。 「何をしてるんだ」 かろうじて聞こえた言葉に自問自答して、これまた彼は正直に答えた。 「水色と交戦」 「慎―。本気にしちゃだめよ? 厳は一緒に遊んだことないから拗ねてるのよ」 「静は黙っていろ!」 「そんなお利口な口じゃないの。知ってるでしょう?」 分家の奥方達が肩を震わせた厳の怒号も、静にはそよ風程度にしか感じないらしい。 涼しい顔で受け流すと、傍らのシルフに口付けして、周りに散らした。 数秒後、受け取ったらしい奥方達は途端に立ち上がり、各々が自らの膳を抱えて外にと出て行ってしまった。 今のうちに退出しておきなさい。 そう伝えたらしい。 反面、分家でも力の強いもの達は残っていて、相変わらず慎に厳しい視線を送っている。 「……慎様」 痺れを切らしたのか。 その中の一人である、比較的上座に近い位置に座っていた男がずいっ、とよってくる。 宗家筋に近い、分家の男である。 「……願さん」 紅の一門でも、静に準じて強いといわれていて、小さい頃は慎も面倒を見てもらった記憶があった。 彼は一礼した後、慎に向かって直球を投げてきた。 「何故、同調為さらないんですか」 後ろで厳が固まっている。 やったのか、と聞いてはきても、何故、とは問うた事がなかったのだ。 「願」 「厳様、ここは聞くべきです」 強い口調で言う彼に押された厳は、微かな逡巡の後、首肯した。 「今更ねぇ」 さっ、と願が視線を走らせると、食後の甘味に手を伸ばす静が笑っていた。 「……貴女が甘くなさるから」 渋い顔で彼が言うが、静は取り合わない。 「やりたくもないのに同調なんてしたら、精霊達に嫌われちゃうわ」 「そんな事を言ってるわけではなく」 緩慢に首を振る彼に、小さな視線が刺さった。 静の視線ではない。 首の向きを変え、その主と顔を合わせた時、彼は思わず瞠目した。 「……君らが言うんだ」 先ほどまでは表情は薄かったものの、それらしきものは浮かんでいた。 だが今はどうだ。 全くの無表情ではないか。 「……ど、どうなされました?」 「慎様? お加減が悪いなら……」 丁度そばにいた、分家の男がおろおろしたように、急変した宗家の息子を気遣う声を出す。 彼がそれを、気持ち悪い、と感じているのを気付かずに。 そうして、手を伸ばした瞬間に、殺気にも似た視線をその男に浴びさせた。 「……っ!」 「君は、確か、僕に対して、“さっさと麒麟に主導権を渡してしまえばいいのに”と、前言ってた」 「な、何を……」 「昨日には、“早くやってくれなければ、出世が遅れてしまう”だっけ?」 絶句する男。 その前を通り過ぎて、声を掛けてきた男に目をつける。 「貴方は、死んでしまってもいいのに、じゃなかった?」 男と、奥の静が目を見張った。 「そんな、ことは……」 「ないって? よく言うよ」 「慎様――」 弁明しようとする男を見向きもせずに、慎は足を止められた場所から父親の方へと進む。 厳は、先ほどの発言をした男を注視していた。 「本当なのか?」 「め、滅相も無い! 慎様の聞き間違いでしょう」 「……どうだか」 醒めた口調で静が言った。 既に、この場には、五名ほどしか残っていない。 冷たすぎる雰囲気に耐え切れず、皆外に出ていてしまったのだろう。 慎は、厳の前にと立った。 視線に押されてか、微かに仰け反る。 「父上」 先ほどの無表情から、一転して、彼は泣きそうな笑みを浮かべた。 「父上は、僕を器と言った」 厳の喉が鳴る。 「麒麟の器が僕だって」 「厳、貴方」 「母上は、僕に責務があると言った。それは、一族を繁栄させるための器になることですか?」 反射的に違う! と言い返してくる母上から顔を背け、慎は固まってしまっている願に向き直った。 「願さん」 「……なんでしょう」 「――これで僕が同調するって思えると思う? 信じて同調なんて出来ると思うの」 慎の顔は泣きそうだった。 他の者の発言を聞いた後なので、彼はどうとも言い返せない。どう返せばいいのか、全ての言葉が空しく聞こえそうで彼には何も発せなかったのだ。 と、彼の目に、シルフが映った。 居心地良さそうに慎の頭の上にいるそれは、今の発言を聞いていても全く反応を返して居らず、ふわふわと浮いているだけである。 さっきは、あんなに仲良さそうに話していたではないか。 慎の頭の上に乗っているシルフを視線でさしても、やはり慎は小さく首を振った。 それに納得がいかず、願は思わず否定の言葉を口にした。 「……精霊は、違うでしょう」 「本当に?」 「穢れなき、と評されます」 ――じれったい。 騙すような性質を彼らは持ち合わせていない。 事実を伝えたいだけなのに、慎には何かの網があるようで、彼の元まで届いていない感覚がした。 慎は、俯きながらも呟いた。 「称されていても、実際は違うかもしれない」 「……それは、貴方の上にのっているシルフを侮辱する言葉だ」 気持ち良さそうに浮いているシルフが居た堪れないように願は感じて、少しだけ声を荒げた。慎の事も考えて動いている事もあるのに、あんまりだ、と。 願が後ろを向いて、静の方へ同意を問うような視線を向けるが、彼女は目を瞑って何かを考えているようで、応戦してくるような様子もない。厳などは、息子の発言と雰囲気に呑まれていて、言葉を発せられるようには見えなかった。 私の仕事か、そうため息混じりに呟いた願は、目を疑った。 慎は頷いていた。 そうだね、と。 「水色達は慕ってくれるけど、僕が何も返さないのは真摯な態度じゃない。わかってるよ」 「それなら何故――」 わかっていないと思っていた。 でも違う。わかった上で、彼は言っているのだ。 願や、他のもの達にとって、精霊や神獣という存在は、唯一無二で、決して裏切らない、そんなもの達だ。 だから、解せない。 行動として駄目だと知っていても、何故。 「――貴方達が、……願さんは一貫として変わらなかったけど、あなた達がそうだったから」 「私、達が」 「願さんは言ってたよね。最初から、紅の一門のために一層の努力をしてください、って」 最初から今でも変わらない。 その事が僕にはありがたいんだけどね。 「でもさ、あの人達は? 親切面して、慎様の幸せのままに生きてください? 甘い面だけ見せておいて、僕はただの道具だったの?」 「そんな、事は」 「無いって言えるの? 願さん。――甘い面だけがその人、って誰が決めれるわけ?」 それから困った顔をして、彼は言うのだ。 「だから、同調なんて怖くて出来ないんだよ」 ぽつりと言った時には、すでに彼は背を向けていた。 願は。 静は。 他の者達は。 何も言わずに、その背を見送った。 ――背中が寂しそうだったのは、きっと見間違いではなかっただろう。 |
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