2. きっかけ

 

 三年生になって数ヶ月が経った。

 相変わらず、私の日課は続いてる。

 飽きるほどの嘘を重ねて、どうしようっていうのかしら。

 そういう私も何してるの、って言われたら答えようが無いけれど。

「何で気付かないのかしら」

 私はドイルを片手に呟いた。

 でも、わかってる。

 人の顔を窺いすぎて、声の調子からだいたい読めてしまう私の方が異常だって。

 当然、心なんて読めないし、何考えてるのかなんて全くわからない。

 けど、見ていたら、嫌がってるのかな、とか、嬉しそうだな、とかは大体分かるじゃない? そこから判断してるのだけど。まぁ、やっぱり、本当にあってるかどうかは知らないけど。

「センセー、席替えいつですかー」

「そろそろ厭きたっす!」

「四組とか、もう席替えしてますよー」

「このプリント渡してからな」

 えー、と落胆の声を漏らす生徒たちを見向きもせず、先生はプリントを配布していく。

 先生と視線が合う。

「不知火、本は後でな」

「はーい……」

 苦笑気味の先生にとりあえず返事をしておいて、机の中にしまった。

「朱里どーんまい」

「煩いわ……」

「でも、読んでるほうが悪いしね?」

「……そうね、春日」

 くすくすと笑いながら言ってくる友人に力なく返す。

「気付いてたら言ってくれればいいのに」

「教えたよ?」

「嘘」

「ほんと。朱里が気付かなかっただーけ」

 また笑われた。

 こつん、と腹いせに叩いてやった。

 軽くだったから、堪えた様子もなく、べっ、と舌を出しただけだった。

「ほら、前向くー」

 正論だから何も言えない。

 ちょっと半眼になりかけたけど、我慢して前を向いた。

 プリント配布が終わったらしく、周りの子たちが、すごくテンションをあげていた。

「はいはい、煩いから席替えでもするか」

 歓声。

 思わず耳をふさいだ。

 凄く、喧しい。

 後ろの春日も同意見らしく、机に突っ伏していた。

「うーるーさーいーよー」

 緩い先生の声が聞こえ、少し時間を置いてから、皆は静かになった。

「他のクラスの迷惑だからねー。次騒いだら、先生の独断で決めるよー」

 いいねー? 

 この先生ならやりかねない。

 騒いでた子達は真剣な顔で頷いた。

 この先生は前、テストを選択式にしてー、といわれ、選択の数を五百個作ったというとんでもない人で、ついこないだなんかは、ワールドカップがあるので先生は休みます、と宣言して、本当に休んで皆を唖然とさせた、なんていう行動の持ち主だから。

 この先生がやる、って言った事は、実行されるか、それかとんでも無い方向に行く、そう決まってるので、この人の独断なんて恐ろしい事はさせられない。

 ――というのがみんなの心情だと思う。

「静かになったねー。じゃあ、一番の青山君からそこのクジ回してってねー」

 四十分の一だからいいよねー?

 その言葉に異論はないらしく、青山君からどんどん回されていく。

 最後の方になって私に回ってきて、そのまま春日に渡した。

「渡ったねー? 横井さん」

「わたりましたー」

「じゃあ、皆開けようか」

 小さな歓声があちらこちらで。

 先生をちらりと見てみるけど、これくらいなら許容範囲らしい。

 隣の三組でも同じ事をしてるらしく、大きな歓声と、先生の怒鳴り声が聞こえた。

 思わず対比してしまう。

 緩そうに見える、というか緩いのだけれど、凄いのねー、この先生。

「朱里―、どこだった?」

「あ」

 まだ開けてなかった。

 慌てて開けてみれば、25の数字。

「25よ。春日は?」

「うー、30。ちょっと離れちゃったね」

「って言っても、二つ、三つ前なだけでしょ」

「でもさー」

 不服そうにむくれる春日の頭を撫でて、昼休み一緒に食べるのは一緒でしょ? と言えば、それは当たり前じゃん、と返された。

 決定事項だったのか……。

「そうですか……」

「そうですよ?」

 可愛らしく言われてもねぇ。

 先生の移動させてー、の声で机が一斉に動き出す。

 隣だー。

 やった、馨くん、近い!

 あぁー、市ノ瀬君から通り過ぎちゃった……。

 声が私の耳を通り過ぎていく。

 あの人の話題が多いのも仕方が無い。

 私の中では嘘つき男、という括りでしかないけれど、他の子から見たらきっと、カッコよくて、優しくて、以下略な男の子なのだろうから。

 ちなみに、春日は彼氏さんがいるから、特に興味はないらしい。

「よいしょっと」

 自分の席の位置に机を置いて、準備完了。

 春日の位置は確認できたからいいか。

 鞄を横のフックにかけて、机の中に入れておいたドイルを取り出した。

 先生が横を向いていて、周りがまだ騒がしいことを確認して、一人頷く。

 まだ読んでて大丈夫かな。

 表紙を一回なでてから開く。

 目で文を辿りながら読んだところを探す。

 探していた。

 隣に机が置かれる音がした。

「馨君、隣だねー」

「切原かー。後でノート写させてね」

「まったぁー?」

 脳内が凍りつく音がした。

 え。

 そんな偶然があってたまるか。

 観察対象が隣とか。

そんな。

……馬鹿な。

横をちらりと見る。

 思わず私はドイルの上に突っ伏した。

 突っ伏するしか無かった。

「あぁ、委員長が隣―?」

「そう、みたい、ね」

「? どうしたの?」

「ちょっと、現実に打ちのめされてただけよ」

 気にしないで。

 手をひらひらさせてみるけど、その手も力ない。

「おーい、いいんちょー」

「委員長って名前じゃないわ」

 確かに図書委員長だけど、私は学級委員長でもないし。

 委員長、って呼ばれる謂れはないと思うの。

 対応してくれるかどうか、してくれないとは思うけど、主張はしてみる。

 その呼び名は、図書館内だけがいいから。

 彼は、ちょっとだけ黙って、それから言い直してきた。

「じゃあ、不知火さん」

 私もちょっとだけ黙ってしまった。

 突っ伏した中で、目を見開いた。

 初めて、そう呼ばれたかもしれない。

 でも、だから何だというんだろう。

 あまり愉快ではない呼称がなくなっただけ。

 ふぅ、と息を漏らしてから、顔をあげて返答した。

「何?」

「俺が隣じゃ嫌なのかなー?」

 にこにこと。

 良い笑顔で、ちょっと冗談めかした口調で彼が問う。

 目はあまり笑ってなくて、久しぶりの本音かな、と内心で思った。

 横の女の子が、何故か心配そうな顔で私と彼を見ている。

 何でもないよー、と彼は言うけれど、視線は私からは全然離してくれない。

 何で私の感情に拘るのかな。

 そう思うけれど、口にはださない。だから、彼の視線も外れない。

「どう?」

 重なる問い。

  だから私も笑顔で言ってやるのだ。

「さぁ? どうかしら」



    

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