1.始まり

 

あの男は呼吸をするように、ウソをつく。

 それを私はいつも判別しながら読書をするのが日課だった。

 きっと彼は気付いていないだろう。

 何故って。

 簡単なこと。

 彼が目立つ人で、私が目立たない人だから。

 綺麗な顔をして、それなりに頭も良くて、スポーツも出来て。

 正直、天は何物与えるのよ、と思ったけど、もう与えられているのだから仕方が無い。

 それに、ただの私の僻みなんだから。

 教室の真ん中で、彼はたくさんの人に囲まれながら、またウソをつく。

 冗談めかした本音と一緒に混ざって喋るのだから、聞いていて飽きない。

 合っているのかは、本人に聞かなければ分からない事だけれど、喋る事もないだろうから全て私の想像でいいのだ。 

ぱっとしない図書委員の私は今日も教室の片隅で、貴方のウソを探す。

 ――それがずっと続くと思っていた。

 そうして終っていくと、信じていた。

 

 

 

「今日はバイトがあるからごめんね」

 はい嘘。

 さっき、男子と一緒に遊びに行くって言ってたわよね。

 今日借りてきた本を読みながら、私は心の中でぼそりと呟いた。

 目は向けない。

 だって、女の子に囲まれたあの人を見るだけだから。

「えー、前遊ぶ、って言ったじゃん」

「ごめんって。今度また誘うからさ」

 これはわかんないか。

 でも、これまでの傾向からして多分うそ。

 ちょっとだけ面倒そうな声音でもあるし。

「ほんとー?」

「ほんとほんと。皆も今度ね」

「おいおい、馨。相変わらず人気だなぁ」

「うっわ、むさ苦しい! 馨君に近づくなー」

「ひでぇー!」

「こらこら。霧生がむさいのは当たり前だけど、口に出しちゃだめだよ」

「……お前も言ってるだろ」

「あ、ばれた?」

 少し楽しそうになってきていた。

 これはもう嘘じゃない。

 時計を見たらあと少しだけ、昼休みの時間が余っていたから、図書館に行こう、と思い、席から立ち上がった。

 どうでもいいけど、私一人の動きじゃ、教室の流れは変わらない。

 当たり前の事実に、自分の浅ましさに、それぞれ苦笑いして、読み終わった本を置いた。

「朱里?」

「ちょっと図書館行って来る」

「うん、いってらっしゃい」

 距離感を忘れないでくれる友達に感謝の念を送り、それから教室の後ろのドアから廊下にと出た。

 昼休みだからか、人通りが多い。

 走っている男子とか、壁にもたれてお喋りに興じる女の子とか。

「朱里さん、こんにちはー」

「こんにちは。水こぼれてたから気をつけてね」

「はぁーい」

 出会った部活の後輩に声を掛けつつ、通り過ぎていった先生に会釈した。

 少し規律が厳しいこの学校は、礼儀を重んじていて、挨拶などは徹底的にやらされるのだ。

 その事を煩わしく思う人が多いのだろうけれど、私は中学の延長だ、と考えれば、特に支障を覚えること無く過ごしている。

 教室がある二階から、四階まで上がり、一年生から挨拶されつつも、図書館の中に入る。

「ワルツ……かな」

 小さく聞こえるクラシックの音。

 司書さんの趣味でかけられるもので、クラシックを主に、ジャズなども時々流れる。

 生徒からは流行りの曲をかけてよ、と強請られているらしいけれど、私の城なんだから私の趣味でかけさせてもらうわ、と断じて認めてないらしい。

 司書さんの主張はさておき、クラシックやジャズとかのみ、っていうのは好感が持てる。

 ロックなんてかけられたら読書に集中できないから。

「朱里ちゃん、こんにちは」

「こんにちは」

 今日は当番ではないのでカウンターには向かわない。

 既に座っているその子に、今日はよろしくね、と声をかけ、それから本棚へと向かう。

「どれにしようかな」

 落窪はすでに読んだ。

 久しぶりにルブラン?

 それともドイル?

 手を出したことの無いとこに行こうかな。

 背表紙を撫でながら私は笑った。

 滅多に笑わない、なんて言われる私だけど、本に関係することなら笑えている気がする。特に今の本を選ぶ時間は至福の時間だもの。

「今日は、ルブランかしら」

 深緑のハードカバーを手に取り、少々黄ばんでいるページを捲る。

「朱里ちゃーん、読むときは座ってね」

 司書さんが私に向けて言ったときには、すでに10ページ位読み進めていた。

 思わず赤面して、本で顔を隠す。

 小さな声で、はぁい、と答えて、椅子に移動した。

「どんまい、影原さん」

「うるさいわ……」

 同情の声を撥ね退けておいて、ルブランの本を開いた。

 この前は流し読みしていたから、今回はじっくり読んでみよう。

 いつもの半分程の速さで読む。

 熟読は体力を消耗するからあまりやらないのだけど、面白いなら話は別。

 記憶の物と辿りながら文字を辿る。

「……うるさいわね」

 ノクターンと一緒に流れてきた、人の声。いわゆる騒音。

女の子数人と男の子。

あぁ、何か聞いたある声。

むしろさっき聞いていた声。

 顔は上げない。

 嘘つき男、市ノ瀬 馨に違いないのだから。

「熟読しようと思ってたのに……」

 つい恨めしげな声が漏れる。

 あの人が来たら、つい癖で、嘘か真かを判別しようとしてしまうではないか。

 耳栓、耳栓。

 心の中で呟きながら、文に目を落とす。

 辿っていこうとしても、耳があの人の声を拾ってしまう。

「えー、俺、文学系読まないんだけどなぁ」

 じゃあ来るな!

 素でイラッ、ときて、顔を上げそうに鳴ったけど、頭があれは嘘です、と主張したので思いとどまった。

 前も、鏡の国のアリス読んでた気がする。結構何回でぐるぐるしそうな本なのに。

 また嘘か……。

 がくりと肩をおとして、ルブランに沈む。

 もうどうでもいいじゃない。

 そう思っても耳は拾ってくるのだから呆れたもの。

 薄暗さに潜りたいのに。

「えぇー! 行きたいって言ったの馨君じゃん」

「そうだっけ?」

 ほらとぼけた顔して笑う。

 それが嘘を重ねてる、って何で思わないんだろう。

 騙されるほうも騙される方だけど。

「じゃあ、ちょっとだけ見てくるよ……」

「嫌そうな顔しないでよね」

「そうそう、責任とりなさーい」

「……スポーツ雑誌でも良いとか思うの俺だけ?」

「霧生ナイス!」

「はいはいだめー」

 女の子たちに即却下されて、後姿だけはとぼとぼと歩いている。

 でも、こちら側から見れば、結構嬉しそうな顔してるから、嘘、なのかな。

 本棚にあの人が隠れた。

 ようやく静かになる。

 ううん、女の子と霧生くんはまだ話してたけど、BGMと考えればどうにかなる程度だった。

 私の耳が捉えるのは、あの嘘つきの声だけ。なんか、気になるから。今度は嘘か、それとも本当か。

 そうして、私の脳は、文字の海にと溺れていく。

 沈んで、感じて、楽しんで。

 ――と思ってたのに。

「あれ? 委員長?」

「……どうしたの?」

 心地いい声が耳をくすぐる。

 心臓がちょっとだけ早く脈を打つ。

 答えてしまってから後悔。無視すればよかったのに。

「いや、こんなとこにいたんだー、って」

「図書委員だもの」

「そうだね」

 内心、嘘つき、と毒づきながら私は微笑んだ。一欠けらも驚いた顔しなかったのに。

「どうかしたの?」

 また私は言葉を重ねる。

 私の横から彼が動かないから。

「何読んでるの?」

「ルブランの本」

「へー、フランス文学か」 

 と言った後に、しまった、と顔をしかめて、それからにこりと笑った。

 私は肩を竦めて応じる。

 別に知られてもどうでもいいことじゃない……。

「じゃあ、ホームズでも読もうかな」

「お好きに」

「冷たいなぁ」

 ――思ってないくせに。

 本日何回目かの毒づきをして、私は本の海に潜っていった。

 チャイムがなったのは数分後の事だった。

 集中できなかったのは言うまでもない。






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