軽く十秒は固まっていたと思う。

 私としてはかなり珍しい光景だといえるけれど、頭の中で言葉が形成されなかったのだ。

 知られていて恥かしい。それは当然ある。というよりも、その事が大事だったりするのだけれど。

 でも、冰梦さんの笑みが脳裏に焼きついて、それが恥かしくて、けれどどこかくすぐったくって。

 男の人の相手は、お母さんに言われるままに、数多くしてきた。言い寄られてきた時のあしらい方も、褒めてくださった時の答え方、逆に逆上された時の対応の仕方も身についていると自負している。

 それでも、何故か。何故か、口が、身体が、動かない。

 何時も通りににっこりと笑えばいいだけ。

 それだけで大抵の事は過ぎ去り、好印象を与えて、私に帰ってくるのだから。

「瑶漣さん?」

 不思議そうに私の顔を見て、ほんの少し首を傾ける冰梦さんが、私の視界に大きく写った。

 それに何故か私の顔が熱くなる。

 あ、あれ?

「どうかなさったんですか?」

 また少し、首右に傾く。

 その動作が何処か可愛くて、私はまた自分に動転した。

 何を、思ってるんだろう?

 心臓が、とくとくと脈打つ。

 いつもより若干早く打つそれが、私が緊張しているんだよ、ということを教えてくれて、やっぱり吃驚してしまった。

 本当に、何をやってるんだろう。

 私は、素顔と仮面の差異を見られて恥かしかっただけでしょう?

 それを何と受け取ったのだろう。

「……すみません、何か不愉快な事でも言ってしまったでしょうか?」

 悲しそうに歪められた顔が、ある。

 ……失態。

 何やってるのよ。

 お客様よ? お客様。逆に気遣われてどうするのよ、私。

 それに、それに、貴方をそんな顔させたいわけじゃなかった。

 顔に力を入れる。

 よっし、笑顔。

 これ位造作も無い作業でしょう?

「……ごめんなさい、ちょっと動揺しちゃっただけです」

「余計な事を言ってしまいましたね……」

 後悔したように息をつき、彼は罰が悪そうだ。

 けど、とんでもない。

 それはとんでもなさすぎる。

「……早めに言ってくださって、逆に嬉しいです」

 きょとん、とした顔。

「そう、ですか?」

「だって、そうじゃなかったら、ずっと恥かき通しじゃないですか! あのく……お父さんに裏でなんていわれるか!」

 自分で言ってみて、そうだと納得する。

 本当にそうよ! お父さんの前でもこんな様子を見せてみたら、絶対に笑われる! 内心大爆笑で、からかわれるに決まってるわ。

「お父さんにまた遭遇する前に言ってもらってありがとうございます。お陰で……、すごく、すごーく助かりました」

 おどけて、それでも半分位は冗談でもなかったけれど、ぐっ、と拳を握り、口角を上げて見せれば、強張っていた彼の顔も次第にほぐれ、もとの微笑を湛えた表情に戻ってくれた。

 そして、少しだけ可笑しそうに笑ったのだ。

「本当に、聞いたとおりの方ですね。そんななりなのに、勇ましいなんて」

 聞いた、というのはお父さんの事で。

 彼は、お父さんの仕事机を眺めながら、また楽しそうに笑う。

「やっぱり、瑶漣さんはその方がずっといいです」

 差し出がましいかもしれませんが、と彼は付け加えた。

 その顔が、本当に優しげで、あぁ、綺麗だなぁ、って思った。

 ――あぁ、そっか。

 私より、頭一つ分ほど上にある顔が、先ほどの悲しそうな色を拭い去っていて、それに最初青架様のお店で見たときのような悲壮感の欠片も、どこにもなくて、自然とした、冰梦さん。

 猫を被っている、っていう私からすれば、冰梦さんのそれも少しだけ不自然なんだけれど、やっぱり私みたいにそれが地になっているのが何となく分かった。これも処世術なのかな。

 鈴明から言わせたら、冰梦さんの笑顔も“うそ臭い”って言うのかもしれない。

 でも、私から見たら、綺麗、と思った。

氷解した。

所謂、見惚れてたって事か。

 だから固まっちゃった。私としては不覚だわ……。

「ありがとう、ございます……?」

「疑問系?」

「だって、悔しいんですもん」

 冰梦さんは剥がれてないのに、私はむき出しの中身まで知られてる。

 自分で墓穴を掘ったとは言え、何となくそれは悔しい。

「えっと?」

「分からなくていいですよー。……言ったらもっと悔しいですから」

「そうなんですか?」

「えぇ」

 聞きたそうな色を見せながら、それでも口にださないあたり、大人だな、と思う。

 あのお坊ちゃんなら、教えてくれたっていいだろー、とか言い出しそうなのに。

 と、机にあったお茶を見て、しまったと、額を小さく叩いた。

 お父さんの馬鹿。

 冷めたお茶がおきっぱなしだ。

 お客さんを前にこんな事しててどうするのよ……。

 ため息をついた私に、どうしたのか、と問うてくる冰梦さんに、お父さんの失態を片付けてきます、と言って私は席を立った。

 ごめんなさい、と言えば、柔らかく微笑んで、気にしないでください、と返してくれた。

 その言葉に甘えることとして。

席を立ち、茶渋が付く前にと、お茶を置いた御盆を仕事場の側にある台所に置き、水につけ、そう言えば沸かしていたお湯を手に、また仕事場にと戻る。

 ……お父さんがお茶をだしただけでもマシよね。マシ。

 それがお父さんが飲んでたものだと知らないまま、私は勝手に納得し、扉を静かに開けた。

 冰梦さんが何か真剣な顔をして書簡を見ていた。

 多分仕入れ表か何かだろう。

 その手の事は任されたことがないから私にはあまり分からないのだけれど、お店にとっては凄く大事なものだという事は分かっている。

 邪魔をしないように、と、少し離れた所でお茶を入れる。

 これもお母さんから習った事の一つで、鈴明も誉めてくれる位の腕前だ。あの子はお世辞と言うものは言わないから、信頼できる評価だとは思っている。

 匂いにひかれてか、真剣な顔をして仕入れ表を見ていた冰梦さんがこちらへと目を向けた。

 途端、あの顔。

 だけどちょっと違う。

 さっきの微笑は、もっと柔らかくて暖かかったんだけどなぁ。

 むー、と思いながらも、丁寧に淹れる。不味いものなんか淹れたら、それこそ失礼だもの。

「茉莉花茶ですか?」

「はい。鈴明のお兄さんに分けてもらったんです」

「あぁ、紅梅堂の方の」

「はい、鴦羽さんに」

「あそこのお茶は美味しいですからね。……何の茶葉でしょう?」

「えーと……、白茶……? ……鴦羽さん、適当に言うので流してました」

「冗談が好きだから、あの方は」

 くすくすと笑っているあたり、旧知の仲なのかもしれない。

 新しい発見、本当に笑ってる時の冰梦さんは、やわらかい雰囲気がもっとやわらかくなる。

「楠の葉でやると、前は仰ってましたね」

「……茶葉じゃないですよね……、楠は」

「えぇ。曰く、鳶羽様なら飲める、らしいです」

「鳶羽さんって凄まじいものでも口に入れる方ですよね……」

「酷い味だったんでしょう。鈴明さんが、次の日凄い顔してましたから」

「あぁ……、想像がつくわ……」

「その点、そのお茶は美味しそうですね。香りが凄く良いですから」

「茶葉の方がどうでしょうね?」

 悪戯っぽく笑って見せれば、つられたように笑ってくれた。

 ……可愛い。

「もしかして、楠なのかもしれませんね」

「ドクダミだったりして」

「あの方の事だから、庭に生えていた草でも可笑しくはないですね」

「確かに」

 普通に頷けてしまう所が怖い。

 一通り冗談を言い合った後、冰梦さんが書類を置いた。

 卓の真ん中に置いていた湯飲みを冰梦さんの方に寄せる。

 そして、もう一つを自分の方にも寄せて手に取る。

 ……本当に普通の茶葉よね?

 お客さんに出すのだから、変な物だったら凄く困るんだけれど……。

 もし変なのだったら、冰梦さん怒るかしら?

 怒らずに、やっぱり凄まじいものでしたね、と笑ってくれるような気がするのは欲目かな。

 目が合う。

 冰梦さんも中の茶葉を見ていて、私と同じことを考えてたようだ。

「瑶漣さんも?」

「はい。だって、お客様に凄まじいものだして、自分だけのほほーんとしてるのなんて失礼でしょう?」

「恐れ入ります」

 苦笑しあうと、少しだけ嚥下する。

 あぁ、なんだ。

「白茶だわ……」

「良かった、普通の茶葉でしたね」

「大御得意を無くさずにすみましたわ」

 冰梦さんは、今度は“普通”に笑ってくれた。

 

 

 

 

 

 

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あとがき



かなり久しぶりの更新です^^;
この話を書いている間に、何故か冰梦か瑶漣を口説いてるような場面が出来てしまったので、一旦全けしにしたという、裏事情です。
あと1、2話で完結かな。
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