任せる、と言われたからには、任せてもらわなくては困る。

 自室から足を踏み出し、父の仕事場へと向かう。

 丁度、冰梦さんも出てきた所で、彼も困惑気味だった。

 当たり前よね……。あんな破天荒な店主だったら。

「冰梦さん」

 足を止めて声を掛ければ、彼はゆっくりとこちらをみて、あの柔らかな微笑を浮かべた。

 少し目元が赤いような気がするけど。

 疑問には思ったけれど、こういうのは刺激されると、男の人は矜持を傷つけられるわよね。

 だから、聞きたいのを我慢して、ここにいない父親をけなしておくことにした。

「すみません。あんな破天荒な父で」

「いいえ。素晴らしい方ですよ。あんな気配りできる方はそういないでしょう?」

「気配りですか?」

 私に、雹の家に行かせる、あの父が?

 嫌と知りながら、自分は酒を飲むからと、娘を送り出したあの人が?

 顔にはだして無かったはずだけれど、冰梦さんは雰囲気から読み取ったらしい。

 柔らかな微笑に、少しだけ苦笑を織り交ぜて、口を開いた。

「少なくとも、商人としては、流れを見失わない方だと思いますよ」

「それは……。そうですね」

 そこは頷いても良いわ。

 ここに流通する、という、臭いのする所は、絶対に見逃さないし、取り逃がさない。

 会話から、表情から、全ての入ってくる情報から、その流れを見つけ出して、軌道に乗せる。

 それが、あの父の手腕。

 一代で国中に回るような店にした実力は、あの風貌とふざけた態度からは読み取れないけれど、才能は確かってのは分かってるわ。

 けど。 

 じっと、冰梦さんを見つめる。

 普通の人だったら、ただの調子の良いおっさんにしか見えないはず。

 なんだ、あのおっさんは……、って思って終わりのはずだ。

 何でここまでの商人になったか、分からないはずなのに、彼はどういう人格かも見抜いている。

 やっぱり、凄い。

 只者じゃないわ。

「あの、瑶漣さん?」

「失礼しました」

 じっと見過ぎちゃったわね。

腰を折って非礼をわびるけれど、彼は慌てたように私を元にもどさせようとする。

「え、あの、少し恥ずかしかっただけですから。顔を上げてください」

 本当におろおろするものだから、少し笑ってしまった。

 何かこの反応は新鮮だなぁ。

 くすぐったいような感覚になりながらも、顔をあげた。

「すみません。冰梦さんって凄い、と思ってみてました」

 正直に伝えれば、笑みを根こそぎはずして、瞠目されてしまった。

 な、何よ。

 私なんか不味いことでも?

「私、がですか?」

「え、はい。――あの父の本分を見抜けるなんて、凄いな、と思いましたよ?」

 娘の私でさえ、ただのボンクラに見えるのに、と付け加えれば、やっとあの笑みを浮かべた。

 そんなにもびっくりすることだったのかしら?

「瑶漣さんは、辛口ですね」

「でも、そうにしか見えないでしょう? だから、私は凄いな、と思いました」

「……私なんて、そんなたいしたものではありませんよ」

 頑なに賞賛を退ける冰梦さん。

 不思議に思っちゃうけど、踏み込むべきではないわね。

 それに、言われなくとも、何となく分かるから。

 妾の子、というのが、多分、冰梦さんの心を縛ってるんだと、私は思った。

「お客様なんですから、そういう訳にはいきませんわ。……にしても、あのクソ親父。冰梦さん置いて何処行ったのかしら……」

 仮にもお客様でしょう! 粗相は絶対にするな、って言ってるのはお父さんの方だっていうのに、何自分で反故にしてるのよ。

 むー、と少し唸っていたら、またもや瞠目している冰梦さんのとぶつかった。

「どうしましたの?」

 問うてみれば、少し困ったように彼は微笑を浮かべ、迷ったように言葉を濁らせたが、結局は言うように思い直したようで、私の方を窺いながら口を開いた。

「いえ……、何というか、その方が私が聞いていた瑶漣さんらしいな、と思いました」

 言いにくそうに言う彼を見て、身体の全ての機能が止まったような気がした。

 え、ちょっと。

 まさかまさか!

「……聞いていたって……」

 正直嫌な予感がした。

 嫌な汗が流れる。

「玄翔様から。あの方は楽しそうに自分のご家族の事を話されるので……」

 嫌な汗どころか、もう眩暈さえした。

 あの、あの糞親父ぃ―!

 お母さんに聞かれたらにらまれそうだけれど、心の中だから許して欲しい。

 あぁ、もう!

 素を知られてる人に、仮面をつけて喋っちゃった!

 演技と知られてる鈴明達とは別として!

 ……本質がどちらか見られてたの?

「ひゃあああああ――っ」

 恥ずかしくて死んじゃいそうだ……。

 手で顔を覆って座りこむ。

 困ったような雰囲気を漂わせる冰梦さん。

 お客さん、それは分かってるんだけど、少しだけ待ってください!

「瑶漣さん?」

「恥ずかしいのでちょっと、あの、もう!」

 とりあえず、消えてしまいたい。

 奥に引っ込んで。

 それから鈴明の所に泣きつきに行って。

 正直、自分でも現実逃避に走りすぎているというのは、常に冷静に保たれている頭の片隅が主張していたので自覚していた。

 ……哀しいことに。

 いっその事そっちの感情に降り切れれは楽なのに、と恨めしく思ってしまうけど、そんなに感情的に私のは出来ていなかった。

 膝に押し付けた顔が痛い。

 意外とこの体勢もきついんだ、と全く関係ないことを思っていたとき、肩に重みを感じた。

 袖で顔を半分隠して見上げれば、優しい目をした冰梦さんが私の肩に手を当てていた。

「瑶漣さん」

「は、はい?」

「お話に違わない人で安心しました」

「え……?」

 どういう事だろう?

 あの糞親父様が言った余計な事とまた合致しちゃたの?

 そう思ったらまた居たたまれなくなってきて、あぁ、鈴明に八つ当たりしに行きたいと、衝動に掛かられた。

 そんな雰囲気が伝わったのか、またあの困った笑みを浮かべて、それから。

「先ほどからの雰囲気も貴方には似合っていますが」

 大人びた微笑を浮かべた。

 思わず息を呑んでしまう、優しい笑みだった。

「出来れば先ほどの雰囲気で接してくださいませんか? その方が貴方には似合っていますし、私も嬉しいです」

 駄目でしょうか?

 それで駄目だと言える人間を教えて欲しかった。




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