「――という感じですかね」 俺は、仙姫様に刺繍を教えていた。 瑶漣が坊主に説教する間の時間つぶしになるから別にいいんだけどな。 仙姫様は手先が器用だから、鈴明に教えるよりも、かなり、かなり楽だ。 あいつは、不器用すぎて話にならん。 感性はとても良いのに勿体無い事だ。 「なるほど、一回ひねってからやったのね」 「時と場合と状況によりますがね。ほとんど感覚ですよ」 「それは、鳶羽くん。職人の域まで達しないと無理よ」 「ですね」 ふむ。 そろそろ終わった頃か。 「ねぇ、鳶羽くん」 「はい」 「鈴明ちゃんは元気にしてる?」 さて。 どう答えたものか。 体調的な面で言ったら、すこぶる元気。 精神的な面で言ったら、どんぞこ。 平均して。 「普通です。いつも通りに過ごしてます」 「そう。大事ないのね」 安心されているのを見て、少し罪悪感があるが、まぁ、心配させる事もないだろう。 「鳶羽くん」 「はい」 「……ボコボコにしてやって。ちょっと、私、あの子の対応にイラついて、イラついて、精神的にやばいのよ」 「御自身で手を下されればよろしいのでは?」 「それをしないのが親というものよ。でも、だめね。もう限界だわ。あの情けない顔見てたら、今日、あつい汁物を巽李の目の前でぶっかけちゃったわ」 「それはそれは……」 それは、お気の毒に。 「流石に咎められたけど、仕方ないわよね。だって、自分で何もせずに腑抜けてるんだもの。頑張ってお仕事やってる鈴明ちゃんに悪いわ」 「そう、ですね」 気の毒とはおもうが、それもまたしょうがない。 その坊主に俺は、さらに追い討ちをかけてやるのだから。 「それでは仙姫様」 「お願いね」 「承知しております」 深々と一礼して、俺は立ち上がった。 瑶漣の気配が近い。あと……、冰梦か。待ってたのだろうな。 「失礼致します」 「また衣頼むわね」 「はい」 静かに戸を閉めると、丁度瑶漣と冰梦が通りがかったところだった。 「さ、流石ですね、鳶羽さん」 「当たり前だ」 瑶漣は、俺がぴったりに出てきた事を偶然でない事を分かっていた。 聡い娘だ。 「叩いて、やりました」 「良くやった。俺はさらに酷いだろうがな」 ふっと笑ってやると、冰梦が鉄壁の笑みを少し崩して聞いてきた。 「何をやるんですか」 「はは、ただ手合わせをやってやるだけだ。妹が手合わせでやったなら、兄も手合わせでやってやるべきだろう?」 「……頑張ってください」 「おう」 手加減、無しでな。 気付けば、自分は凄惨な笑みを浮かべていたらしい。 瑶漣が少し青い顔をして、俺に進言した。 「鳶羽さん」 「ん?」 「殺さないでくださいね……?」 「……善処はしよう」 「連座で鈴明まで巻き込まれますよ」 おっと、それは困る。 鈴明のためにやっているというのに、連帯責任で、あいつに被害がいったら、本末転倒だ。 「わかった、九分殺し程度にとどめよう」 「変わってないですよぉ」 「殺しはしないさ」 「大怪我も負わせないでください」 「……頑張ってみよう」 大仰に頷いてみせ、俺は脚を動かしはじめた。 「――鴛羽」 「何だ、冰梦」 「貴方も怪我はしないで下さい」 「……しねーよ」 心配するな、と言うかわりに、手を挙げてこたえ、クソ坊主がいる、離れの奥の間へ足を進ませた。 俺もこの家に遊びに来ていた時代があったから、坊主のいる部屋は知っていた。 鈴明が小さいときは、俺がここにつれてきてやったしな。 それがこんな事になるとは、本当に笑えない。 妹があんな顔をするようになった。 無論、職務中には絶対に見せない。そんなのを見せていたら、お客にも失礼だ。へま所の騒ぎじゃないな。 だが、問題はその後。 仕事が終わると、疲れのせいもあるやもしれないが、全てを諦めたような、隠者の奴みたいな顔をする。 それを見るたびに、どれだけ坊主を殴りたいと思ったことか。 生憎、俺には鷹のような口も頭も持っていない。鴦のような朗らかさも持っていない。 あるのは、職人であるこの腕と、武芸者というこの身体だ。 一歩踏み出すたびに、後ろに背負ってきた、己の得物が金属音を発している。 妹が、剣のせいであんな顔をするようになったのであれば、剣でそれを戻してみせよう。 クソ坊主を叩き起こして。 離れに着き、一番奥にある坊主の部屋。 礼儀としては、声をかけてから入るのが良いのだろうが、そんなモノは持ち合わせていない。 無言のまま、戸を開けて中に入る。 そこには、長椅子で何か考え事をしていたであろう坊主が、こちらを見て目を見開いていた。 「鳶羽さん……?」 「久しいな、坊主」 「坊主って、鳶羽さん……。俺は、もう19ですよ?」 「そんなもん知るか」 そんな口を叩きながら、その目はどうしてココに、と問うている。 ふむ、瑶漣のお陰か、一月ほど前よりはましな顔をしてるな。 イラつく事は変わりないが。 「鳶羽さんも……」 「何だ?」 「鳶羽さんも、俺に説教しにきたんですか?」 は? 俺が説教? 誰がそんな高尚な事をするって? だが奴は俺の反応を見ることさえせず、左の頬に手を当てた。 「さっき瑶漣に叩かれましたよ。鈴明の事をもっと考えてやれって。俺が全く考えてなかったように言 われました」 己を嘲笑うかのように坊主は微かに笑みを浮かべた。 ……やっぱり、気に食わん。 そんな顔をさせるために、鈴明は離れたわけではないのに。 むしろ、妹にあんな顔をさせてる張本人がこんな顔をしているのが気に食わない。 「俺は俺で考えてたつもりなんですがね」 だから、どうした。 それを、お前は行動で示したのか。 「鳶羽さん」 俺は、答えない。 「俺は、どうしたらいいんですかね?」 俺は、答えられない。 「この半年、俺は自分なりに動いてきた。けど、その結果がこのざまだ。瑶漣は鈴明の事を考えろと言った。でも、俺は――」 「知るか」 「え?」 「知るか、と言ったんだ」 こんな餓鬼臭い主張なんて聞きたくも無い。 そんなに自分を哀れんで欲しいなら、他の下級貴族共に聞いてもらえ。 ありったけの哀れみの声を聞かせてくれるだろうさ。 「お前の行動のありようなど、俺が関知することではない。知った事か。――それともなんだ? 俺に正解でも示して欲しかったのか? ……馬鹿馬鹿しい。正しい道なんて一本も存在しない。それをお前が怖がって“間違った道”として尻込みしてるだけだ」 淡々と感情を押さえ込み、押さえ込んで、俺は坊主に言ってやる。 だが、逆に坊主の勘に触ったようだ。 「じゃあ、どうすればいいんですか!? 俺になにをしろと」 「甘えるなよ」 全てをやった? そんな馬鹿な。 「本当に全部やったか? 坊主。お前、鈴明に会いに来ても、居ないと言われたら、普通に帰っていったな? 本当にどうにかしたいなら、他の接触方法を考えるはずだ」 図星だったらしい。 興奮状態だった坊主は、すっ、と大人しくなった。 「鈴明も逃げていた。それは否定しない。尤もらしい理由なんぞ並べ立ててるが、逃げている。この事は事実だ」 「何で……」 「分からないはずがないだろう。坊主を、斬ったからだ」 その事実が大きすぎて、あいつは逃げている。 坊主のためにとか言ってるが、それも建前に過ぎない。当然、そう思っているところもあるだろうが。 ただ、恐ろしかったに違いない・ その恐怖に今もただ震えている。 この事実が、腹ただしくて極まりない。 ――頃合か。 目の前の坊主をみていると、半年分の鬱憤が倍増されていく勢いだ。 丁度、堪忍袋の緒が切れかけだしな。 さてと。 本来の目的を果たすとするか。 俺は、後ろに背負っていた得物に手を掛けた。 「坊主」 「……何ですか?」 「得物を取れ」 「はい?」 「生憎、俺は口で語るのは性にあっていなくてな。語るなら、こっちのほうが手っ取り早い」 坊主にとってはいきなりの展開に、奴は顔を硬直させていた。 まぁ、相手が俺だという事も関係しているだろうがな。 「えーと、鳶羽さん」 困惑顔で坊主は俺に問いかけてきた。 「貴方は、俺を説教しに来たわけじゃないんですか?」 なに愚問を。 俺が説教だと。 「そんなものをしに来た覚えはないな」 鼻で笑ってやった。 「俺は、俺の言いたい事を述べに来ただけだ。お前の主張などしったことか。ついでに、説教という高等技術は持ち合わせていない」 それと。 驚愕で硬直している坊主に、営業用の笑顔を向けてやる。無論、わざとだ。 「憂さ晴らしだ。半年分の憂い、払わせてもらおう」 取り出した剣が、光を浴びて鈍く光った。 |
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