「鳶羽兄ぃー!」

「早かったな。どうしたんだ?」

 鈴明が帰ってくると、長兄が出迎えた。

 鳶羽は、店番なのか、表の机で図面を引きながら伝票を書いていた。

 その無茶振りに呆れつつ、用件だけ告げる。

「雹のとこで、反物10反入用だって」

 作業をとめ、鈴明に向き直る。

 用紙にさらさらと書きとめると、余計なことは一切言わず尋ねてきた。

「雹のとこか。品質は?」

「最高級。全て絹で」

「分かった。親父に言ってくる。――代金はいつだ?」

「後で直接請求してくる」

「よし、じゃあ待ってろ。雹と言えば、親父もさっさとやってくれるだろ」

 そういい残すと、鳶羽は店の奥へと入っていった。

 それを見送り、少しだけ息をついた。

 いつも座っている自分の定位置に腰を下ろし、瑶漣が言い出した事を思い出して頭を抱えた。

 よりによって、翠家……。

「何て付いてない……」

 冰梦は友達だ。

 小さい頃からの付き合いで、うちのお得意様。

 鈴明の危機にも助言してくれた事があるし、助けてくれた事もあった。

 さっきだって、やんわりとだが、自分のことを思って叱ってくれた。

 いつも気遣う事を忘れない、とっても優しい人。

 だから、自分の我侭を言って、彼の顔を潰すわけにはいけない。

 けれど、それを実行したら。

「今までの半年がぱーだよなぁ」

 我慢してきたのが水の泡、意味の無いものに成る。

 破るつもりも無い。

「やっぱ、鳶羽兄ぃに代行してもらうのが一番いいかな」

「……また俺をつかいっぱしりにするつもりか、お前は」

 反物を腕に抱えて出てきた鳶羽の声がかかる。

「え、駄目?」

 否定の言葉がでるかと思えば、意外にも是の答えが。

 しめた! と思ってたら。

「今日はいいぞ。俺も、翠の坊主に用が出来た」

 前言撤回。

 続けられた言葉に、何故か、何故か、恐ろしいものを感じた。

 にやりと笑う鳶羽に寒気が……。

「ちょっと、な。個人的な用があるんだ。だから、今日は俺が行ってやる」

「な、何かやるの?」

「さぁな。その時の奴の言動による」

 ――臨戦態勢だと思うのは、あたしだけっ?

 思わず、合掌したくなる鈴明だった。

 

 

 

「あ、鈴明―!」

 瑶漣が数十個の玉を運びながら歩いていると、真正面に鈴明を見つけた。

 と、隣には鈴明の長兄、鳶羽も歩いている。

「鳶羽さん?」

 もしかしなくても、鳶羽さんに代行を頼むつもり?

 この機会に行ってくれないかなー、と淡い思いを持ってたんだけど、無理だったみたいね。

 多少がっくりしながら、瑶漣は歩みを進める。

 がっくりときてることを微塵にも滲ませず、にこりと笑い、一礼した。

「こんにちは、鳶羽さん」

「久しぶりだな」

 互いに軽く挨拶し、足を翠の方へ向ける。

 鈴明も見送りがてら後ろから付いていく。

「冰梦はどうした?」

「茶を持って、翠のお邸へ向かってます」

「そうか。あいつも大変だな……」

 雹の家のごたごた具合は十分知っていた鳶羽だったので、同情的な視線で、梅香坊の方を見た。

「この様子だと、今日の今さっきに“翠の商談”が奥方から聞かされた、って所か?」

「ご明察です、鳶羽さん。仰せられた通りですよぉ……」

「相変わらずだな」

 苦笑気味に鳶羽が頷く。

 瑶漣がこのような反応をするのも、冰梦が滅茶苦茶な要求にこたえているのも。

 どちらも相変わらず。

 その鳶羽の反応に、ひときしりむくれていた瑶漣だったが、急に鈴明に向き直るとぺしりと頭を叩いた。

 突然の事に鈴明は頭を抑えながら、首を捻った。

 いや、痛くないのだが。

「いきなり、何??」

「また逃げたんでしょ」

 率直すぎる。

 瑶漣に気付かれたかは分からないけど、対応が遅れた。 

「……代行って言ってよ」

「断るわ。――嫌なの?」

「……うーんー。無理かな……」

「どの位掛かるのよ? 嫌じゃなくなるには」

「だーめ。無理だからさ」

「無理じゃないわ」

「決めたんだから、しょうがないよ」

「覆すの」

「駄目」

 頑なに首を振る鈴明に、むぅ……、となりながら、瑶漣は鳶羽に向き直った。

「で、今日は鳶羽さんですか?」

「あぁ。――あの坊主に用があるからな」

 そう言って笑う鳶羽が、冷たい空気を纏っているかのように感じたのは、気のせい?

 ……まぁ、いいか。

 自分が関わらなかったらいい話だ。

 彼は、彼で動くだろうし、自分は自分でうごくだけだから、ね。

 と、鈴明の追求を再開しようと振り向けば、五歩先で微笑みながら止まっていた。

「どうしたの?」

「この辺であたし帰るわ」

「もう? 入ってけば?」

 絶対是といわないと知りつつ聞いてみれば、冗談だと受け取ったらしく、笑いながら首を振った。

「無理だってさっき言ったでしょー。鳶羽兄ぃ、よろしくねー」

「分かった」

 軽く頷くと、さっさと私兵に挨拶して中に入っていってしまった。

「瑶漣も、お願い」

「……分かったわよ。じゃあ、ね」

 瑶漣も鳶羽の後ろを追って、中へ入っていった。

 ――半年前までは、何にも考えることなく入っていった、邸の中へ。

 今は、踏み出す事も出来ない。

 出来なくした。

「鈴明さん?」

 ぼーっと立っていると、私兵の一人が声をかけてきた。

「あ……」

「お久しぶりですね!」

 琉李が居なかった時や、その他暇な時に相手をしてくれた、鈴明より2、3年上という青年私兵。

 中々いい性格をしていて、話して楽しかった人の一人。

 気配りの上手な人で、自分にも親切にしてくれた。

 “翠家には近づきません。”

 けど、今は。

「しばらく見ませんでしたから、心配してましたよー」

 その優しさが、痛すぎる。

「失礼しますっ!」

「鈴明さん!?」

「もう、あたしは……」

 この家に近づかないんだ!

 途中まで追ってくる気配がしたけれど、急にそれが途切れた。

 腐っても私兵。自分の持ち場を離れるべきではないと感じたのだろう。

 それを見て取って、走りを歩きに切り替える。

「鈴明さん!」

 振り返らない。

「俺だけじゃないです! 旦那様も、奥様も、それに坊ちゃんだって待ってます! いつだって良い。来てくださいね!」

 耐え切れなかった。

 若い男の声が掛かるけれど、それを振り切って家まで走って帰る。

 息を切らしながら中へ入り、凰畢の質問の声も振り切って、自室に転がり入る。

 転んだ体制のまま、蹲る。

 ――琉李が、待って……。

「あんな酷いことしたのに」

 ――じゃあね、琉李。

「じゃあね、って言ったじゃんか」

 もう会わないって。

「何で待ってるのよぉー、馬鹿っ……」

 涙は、出なかった。

 

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