「あ、瑶漣。いらっしゃいませー」 「お邪魔します」 余所行きの笑顔で入ってきた瑶漣。 そして……。 「こんにちはー、瑶漣さん」 「あ、璞輝―。いらっしゃい」 幼馴染の弟、王璞輝も後ろから付いてきていた。 「塾の方は今日、いいの?」 「先生が調子悪くて、今日は休校なんだ」 「へぇー、そうなんだ」 珠玉堂の姉弟、器量よしで猫かぶり? の瑶漣。女は、男性に好かれてこそ幸せという家訓の元、盛大に笑顔を撒き散らし中。頼れる親友だ。 で、弟の璞輝。塾に通っていて、琉李がその塾から消えた今では、塾一の秀才となっている。とても人懐っこく、鈴明にもとても懐いている少年だ。 「鈴明、ちょっといいかしら? ――凰畢様、鈴明を少しお借りしてもよろしいでしょうか?」 「あぁ、瑶漣。今日は予約客も居ないから大丈夫だよ」 「すみません。……行くわよ、鈴明」 「は?」 ちょっと、待て。 あたしへの確認が一つもなかったぞ? いいかしら? って、聞きながら、返事求めてないじゃないか! 「ちょっと、瑶漣〜」 「お茶しにいくわよ」 「……ならこの強引さは何!?」 「あんたが悪いんだから諦めなさい」 「え? あたしのせいっ?」 なんか滅茶苦茶な事言われてるようなきがするぞ……。 「ねぇ、璞輝」 「何? 鈴明さん」 「瑶漣が怒ってるような気がするんだけど」 「……怒ってる。あ、でも大丈夫だから」 「何で?」 「宥め役の人呼んできたからさ。たぶん、それで姉さんも納まると……思うよ」 「璞輝ぉー」 なんていい子なんだ! そう思って頭を撫でてやったら、すっごい真っ赤になってしまった。 あれ? そんな過激な事やった? 「あ、う……」 呂律が回らず、錯乱状態だ。 先にずんずんと進んでいた瑶漣は、そんな弟を呆れたように見やった。 「あぁ、またそれなの? 璞輝戻ってきなさい。――いつもの男らしさはどこ行ったのよ」 「うぁ……、姉さん……」 「知らないわよ。良かったじゃない」 「だ、だけどさっ」 「いいじゃない。やましい事じゃないんだから」 主語がまったく無いので、あたしにはさっぱりです。 お二人さんは、何がいいたいんですかー? と、聞きたかったけど、さっさと瑶漣が切り上げてしまったので、尋ねる機会を逃してしまった。 まぁ、いっか。 「ねぇ、瑶漣」 「何?」 「どこの茶屋行くの? 春花坊過ぎちゃったよ?」 結構高級な店が揃っている春花坊にある、いつも通っている茶屋は、瑶漣が今さっき、見向きもせずに通り過ぎてしまった。 「だって、春花坊じゃないもの。いくのは、梅香坊よ」 「……もしかして」 「冰梦の紹介よ。当たり前でしょ? 梅香坊だったら、冰梦しかいないじゃない」 「……璞輝?」 「うん、冰梦さん」 納得です。 宥め役と言ったら彼しか思いつかない。 「冰梦さんかー。大変だよねぇ」 「らしいわ。なんか、前は商談中にお茶をこぼされたみたいよ」 「うわっ。旦那さんは?」 「もちろん、正室を叱ったって。冰梦は宥めたらしいけど」 そこまで立てなくても良いのに、と瑶漣。 冰梦さんは、とある卸売り商人の息子で、とっても勉強家。 とっても優秀だけど、妾の子だからと冷遇されてる。 ……といっても、あたしはその現場を目撃したことがないから、良くわかんないけど。 けど、瑶漣とかは、滅茶苦茶目撃したことがあるらしいから、そのたびに激怒しては、あたしのところに愚痴を言いに来る。 「梅香坊の冰梦の店の正面でね。とっても美味しいって冰梦が言ってたわ」 「冰梦さんが言うなら間違いないね」 仕事柄、いろんな所で商談をしている冰梦だ。 色々飲んだ結果そこが良かったなら、かなり期待できる。 「あ、見えてきたわよ」 瑶漣がずんずんと進んできたのを止めて、紅い暖簾が掛かっている店を指した。 中と外に分かれている所で、中は良くわからないが、外は趣味のいい庭の中、赤い傘をさしてその下で飲むようだ。 結構珍しい形だが、これだけの外見を維持できるということは、儲かっていると言うことなのだろう。 「入りましょ」 再び腕を捕まれ、引きずられる。 すでに抵抗する事を諦め、鈴明は素直に引きずられていった。 瑶漣は、店に入ると、鈴明の腕をつかんだまま店員と二言、三言、言葉を交わし、外を示した。 「外よ」 「わかったぁ」 「了解」 広い庭へと出た。 瑶漣はきょろきょろと辺りを見回すと、手を上げた。 「冰梦―」 「あぁ、瑶漣。こっちだよ」 一番奥の席で書物を開いていた青年が同じく手を上げた。 「鈴明も、璞輝も久しぶりです」 「久しぶりー」 「お久しぶりです」 互いに挨拶しあって、席に着いた。 冰梦は売り子を呼ぶと、手早く注文をすませた。 「あまり知らないでしょうから、私のお勧めを頼んでみました」 「ありがとー、冰梦」 指摘どおり、お茶については詳しくない鈴明は素直に感謝した。 しばらくして、お茶とお菓子が運ばれてきた。 で、瑶漣が切り出した。 「鈴明」 「何?」 いそいそと菓子を頬張ったところ。 軽く首を傾げた。 「何で琉李と会ってないのよ」 「げほっ」 いきなり直球ですか!? 「仙姫様とも会ってないみたいね」 それは何処からの情報っ! 「琉李がやってきても居留守を使ってるそうじゃない」 ばらしたのは誰だ〜〜〜っ。 うちの母さんか? 母さんに違いない! 「ご明察、彩鈴様から聞いたわ」 「え、あたし口に出した?」 「顔見てれば分かるわよ」 うわぁお、致命的。 腐っても商人なんだからどうにかしなくちゃ……。 「で?」 「はい?」 「何で?」 「何でとは?」 それだけじゃんかー。 それなのに、瑶漣はきっ、と目を吊り上げ、あたしに怒鳴った。 「何でそんな馬鹿な事をしてるのっ、って聞いてんのよ!」 「さ、瑶漣。周り!」 「そんなのどうでもいいわ! あんた、どれだけ自分が酷い顔してるか知ってるの?」 「瑶漣」 自分が泣きそうになっている瑶漣。 怒鳴られた事より、そっちの方が正直キツイ。 どうやって宥めようかと思ってたら、大きな掌が瑶漣の頭の上に乗った。 冰梦は、そのままポンポンと軽く叩くと、瑶漣の目線にあわせた。 「ちょっと落ち着こう、ね」 「……うん」 「よし」 そのまま自身は後方へと下がった。 「流石……」 それだけの動作で、瑶漣を宥めてしまった。 あの青年の穏やかな笑みは、それだけの効果があるのか……。 一つ、二つ、深呼吸をすると、打って変わって静かに話し始める。 「鈴明が決めた事ならって、口出さないようにしてたのよ。でも、最近のあんたの顔つき見て、……やめたわ。ひっどい顔してるの分かってる? 商売以外の時よ、もちろん」 瑶漣は知っている。 鈴明が商人の時と私事の時で切り替わる事を。 商人の時だったら楽だった。 忙しすぎて、そんな事を考えてる余裕も無い。それに、商売用に身に付けた仮面は、相当な失敗を起こさない限り外れる事は無い。 だけど。 “鈴明”になった時は。 「普通に歩いてる時の鈴明の顔。見てるのが耐えれないほど……酷かったわ」 「……知ってるよ、瑶漣。知ってるんだ」 「知ってるんなら、さっさと逢いに行ってきなさい。会わないのが辛くて、そんなんになるなら」 「駄目だよ、あたし、決めたんだもん」 「何を? 自分が酷い事になっても守るような事なの?」 淡々と聞いてくる瑶漣は、とても怖いです。 怖いけど、あたしはそのまま頷く。 「あいつの迷惑になるくらいなら、あたしから消えたほうがましだよ」 「迷惑って!」 この子何言ってるの? という顔で瑶漣は鈴明を見た。 本人に直接聞いたから知ってる。 彼は、鈴明の事を本気で好いている。 自分の弟が敵わないくらい、惚れていると言う事も知っている。ずっと昔から。 そんな彼が、鈴明の事を迷惑になんか思うわけが無い。 「あのさ、瑶漣。あたし、斬っちゃったんだよ」 「誰を?」 「琉李を」 三人の動きが同時に止まった。 え? と、驚いた様子で鈴明のほうを見る。 「鈴明さんが、琉李を? まさか、冗談でしょ?」 「冗談じゃないよ、璞輝。あたしは、この手で琉李を傷つけた」 「あんたに限って、狙ったわけじゃないに決まってる。事故でしょ?」 鋭いなぁ、と苦笑しながら、鈴明は頷いた。 「あたしが狙われてたらしいんだけど、それを庇って琉李があたしにわざと斬られた」 「どこも悪くないじゃない」 「どこが?」 疑いようが無いと言わんばかりに、鈴明がすっぱりと切り返す。 「何処が? あたしが、あいつを斬ったっていう事実は変わりないんだよ?」 「あのねぇ、琉李がわざとあんたに斬られたなら、あいつが傷ついても無理ないじゃない」 呆れたように瑶漣が言っていると、静かに聴いていた冰梦が口を開いた。 「……鈴明さん。君は、わざと自分を悪く言ってませんか?」 一斉に全員が冰梦のほうを向いた。 「冰梦?」 「間違っていたら、すみません。でも、私には、そう聞こえましたよ。話を聞く限り、瑶漣や璞輝君の言うとおり、鈴明さんが悪いようには聞こえませんが?」 穏やかな笑みを浮かべたまま、冰梦が首を傾げた。 「君は、それを表に掲げて、何か隠してませんか?」 こ、この人は……っ。 それだけで見抜いてしまったのか。 あたしの虚勢を。 ほんと、油断大敵だ……。 「鈴明ぃ〜? なぁに隠してるのかしら?」 「な、何にも隠してないって」 「嘘でしょ。冰梦が指摘したなら間違いないわ。さっさと吐き出してしまいなさい!」 すでに猫かぶりなんか忘れてしまったようだ。 うちの睡蓮坊から離れてるから大丈夫だとは思うけど。 ……うん、これは完璧な現実逃避だね。 三人を見れば、さっさと吐きやがれと、視線で訴えてきている。 鈴明はため息一つつき、茶を飲んだ。 冷めてて苦い。 「ほら、逃げててないで、言ったらどお?」 「……住む世界が違うんだよ」 手元にある茶を見つめながら、鈴明が口を開いた。 「あたしは、一介の商人の娘であって、別にこの国にすっごい影響力がある店でもないし。そんで、あいつは貴族の一人息子。あたしに構っていて良い存在じゃないんだよ」 「そんなの……、あいつが決める事じゃない」 「鈴明さんが引かなくてもいいじゃんか」 鈴明はゆっくりと首を振った。 「聞いちゃったんだよ。貴族の方が、あたしの方見て、琉李は何であんな奴と付き合ってるんだ、みたいな事言ってるの」 「勝手に言わせておけば良いじゃない」 「そんな訳にはいかないよ。あいつは上に行く奴だよ? あたしがその道の障害になっちゃいけないんだ」 「……だから、もう、会わないって言うの?」 「うん。あたし一人の我侭で、あいつが悪く言われたりするなら、障害になるなら、あたしは、あいつの視界から消える。そう、決めたんだ」 きっぱりとした態度で鈴明は言い切った。 「馬鹿」 「うん、ごめんね」 「何で、あんたが謝るのよ……」 困ったように笑う親友を見て、瑶漣は泣きそうになった。 本当に、馬鹿だ。 言いたいやつには言わせておけば良いのに、自分から身を引いて。 辛い覚悟のはずなのに、それでも笑っている親友。 琉李は、どう思うだろうか。 たぶん知ってるだろうけれど、どう考えているのだろう? 馬鹿らしいとでも思ってる? ……そう思ってたら、殴り飛ばしてやろう。 親友の心情も知らず、そんな事をぬかしやがったら。 「瑶漣、良いんだよ? これが普通だったんだから。他の貴族の方だったら、こんなに親しくも慣れなかったんだからさ」 「馬鹿」 「ほんと、良いんだって」 「馬鹿馬鹿馬鹿」 「だからさ、泣かないでよ……」 本当に困ったようにしている親友を見ながら、瑶漣は心に決めた。 ……琉李に会って、話を聞いてこよう、と。 傷ついた親友のために。 |
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