「参ったな……」 珠玉堂の前で立ちながら、私は思わず呟いてしまった。 こんなつもりは無かったのに。 相手は、正妻の息子である、赤威様が狙っている少女だというのに、何故自分はこんな所にいるのだろう? 思えば、店のときから自分はおかしかった。 彼女が、赤威様が狙っている少女なら、そのまま促していけばいけば良かったのに、わざわざ不利になるように、彼女を裏口に誘導してしまった。 けれど、あの時の安心したような笑顔を思い出せば、まぁいいか、と思ってしまう自分がいる。 そんな風に思ってしまうなんて、今日の本格的に私はおかしいらしい。 「おう、冰梦。久しぶりだな」 と。 少し顔に赤みが差している、玄翔様が出てきた。 私が小さい頃から気に掛けてくださって、何回この方に救われた事か。 そして、この最高級と言える店が立ち並ぶ秀薇坊の中でも、随一と呼ばれる店にまで珠玉堂を成長させた、私の中でも随一と言える商人。 「お久しぶりです、玄翔様」 私は少し苦笑を洩らしながら、付け加えた。 「昼間からお酒ですか?」 瑶漣さんの話によれば、これまた最高級の店の舜反物店の店主、凰畢様とお茶を飲んでいるとのはなしだが、絶対これは、酒を飲まれている。 むしろ、酒豪でしられる、玄翔様が、これまた上戸だと言う凰畢様と一緒にいて、お酒だけで済むはずが無いと。 「おぅ、ばれたか」 ちっとも悪びれた風を見せず、玄翔様はにかっと笑われた。 「凰畢がいるなら飲むしかないだろ?」 「瑶漣さんに怒られますよ? 飲みすぎだ、と怒られてるのでしょう?」 「っち、そんな昔の事覚えてるのかよ」 瑶漣さんと私は面識こそ無かったが、私は彼女の話だけは聞いていた。 この玄翔さんから、大量に。 だから、こんな人なのだな〜、というのは持っていたから、見ただけで、彼女が瑶漣さんだということは分かった。 少し、性格が違うかな? とは思ったけれど。 「そんなくだらねー事良いから、商談だろ? 俺の仕事場に入れてやるよ」 にやりと笑う玄翔さんに、頷いて私は本来の目的である商談へと入っていった。 初めて入った玄翔さんの仕事場は、予想外にも綺麗に片付けられていた。 それを自慢するかのように、玄翔さんはフフンと笑う。 「玉環が叱るからな。片付けてるんだよ」 「おいおい、玄翔よ。それは威張れることではないと思うが?」 椅子に座って、ゆっくりと茶を飲んでいた凰畢さんが口を挟む。 これは、私も同感です。 「こんにちは、冰梦」 「こんにちは、凰畢さん」 一礼して近づく。 「珍しいですね。お茶ですか?」 「彩鈴に怒られたからね。酔わないかもしれないけれど、飲みすぎは良くないって」 でも、少しは飲んだよ、と柔らかい口調で話す。 私の出自など気にする事もなく、初めからこのように話しかけてくださった方だ。 「玄翔、冰梦。私の事は無視して構わない。だから、始めたらどうだ?」 茶器を軽く持ち上げ促す凰畢様を見て、玄翔様が頷いた。 「お前は茶でも飲んでろ。――あ、酒は駄目だからな!」 「さて、どうするか」 「彩鈴に止められてるんだろ?」 「飲みすぎは良くないと言われてるだけだからね、今日は杯半分しか飲んでいないから、彩鈴も良いというはずさ。けど、お前は、瑶漣に駄目といわれているのだろう?」 「……性格わりぃぞ」 「珠玉堂の主人にお褒めに頂き、光栄至極」 にっこりと笑う凰畢様。 この方の口は恐ろしく強い。 いつも、玄翔様が負けて、このように凰畢様を睨むのだ。 けれど、その凰畢様でさえ、娘の鈴明さんには負けるとか。 なんでも、理屈が通じないので、手が焼けるのだとか。それでも、嬉しそうにしているのは、話術の才能を受け継いでくれた、と思っているからか。 「ふんっ。冰梦、こんな奴放っておいてやるぞ」 「だから、さっきから放っておけと言ってるだろう?」 くつくつと笑う凰畢様に、一つ怒鳴ると、玄翔様は私に向きなおった。 「くそっ! あいつは……。――で? お前の用件は?」 「はい、瑶漣さんから貰っているかとは思いますが」 「あぁ、伝票か? あれ位の量なら直ぐに送れるぜ」 「ありがとうございます、値段は……?」 「あー、そうだ……。瑶漣に聞けってのいうの忘れてた。しくったな……」 「どうかされましたか?」 「あぁ? 青架に質の割合聞くのを忘れてたんだよ。……知ってると思うが、冰梦。玉ってのはな、下、中、上、最高級があるんだ。値段も天と地ほど違う。購入層の違いで、割合も違ってくるだろう?」 なるほど。確かに、小遣い程度で買える安い玉があれば、下級官吏の年収が無くなってしまう位高い玉だってある。 確か、相場で100両は違ったはず。安いのであったら、10分で買えたから。 「今から青架殿のとこ行くのもめんどくせーしな。……よし、お前決めろ」 「玄翔……、その滅茶苦茶な理論は止めたらどうだ?」 凰畢様も呆れた様子。 無論、私もちょっと呆れてます。 面倒だからって、私に任せて良いんですか? 「それに、今度は冰梦に任せろって言われたしな」 「え? 旦那様にですか?」 「旦那様ってなぁ……。まぁ、そういわれたぜ?」 首を捻りながら玄翔様が頷く。 父上……いえ、旦那様が認めてくださったのか? 一番認められたかったあの方に。 凰畢様も優しい表情で頷いてくださった。 「私にも言っていたよ。自慢の息子だと、ね」 「……っ」 言葉がずっしりと、心に響いた。 旦那様……いえ、父様がこんな風に思ってくれたなんて。 一言も言われない方だけれど、正直疑っていた。 自分なんかどうでもいい存在なのではないかと。 「青架殿もね、案外口下手な所があるから、あまりいわれないやも知れないけど、君の事は本当に大事になさってる」 「お前の苦行も将来のためだと思って耐えるんだな」 「はい……っ」 思いがけず視界がぼやけているのも、今は許す。 自分を律せないの何て久しぶりの経験だ。 今はただ、流れ出るもののままに身を任せた。 |
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