青架様から、伝票を貰い、中身を一応確認したら、一礼をして部屋を後にした。

静かに戸をしめ、ゆっくりと歩いて表に向かう。


仕事が思ったよりも、早く終わったので、ホッとしている。

青架様は良いとして、馬鹿息子や奥方の対応は疲れる。含みも、意図も全く読み取ってくれない人との会話

は、いつも聡い人達といる私にとっては、ほんと辛い。気疲れして仕方がない。


だから、サッサと家に帰りたいんだけど。

障害が生じました。

「生意気なんだよ!」

思わず、ピタリと足を止めてしまった。

えっと、馬鹿息子の怒鳴り声だよね。店先の方から聞こえたけど、お客様は大丈夫なのかしら?

「申し訳ございません、赤威様」

聞いた事のない青年の声が耳に入ってきた。誰だろう。

調度、店と部屋との間にある屏風の前に来たので、隙間から見てみると、馬鹿息子と奥方。青年ではなく、

私よりは年上だけれど、少年が立っていた。


驚いた。あの知性と深みを含んだ、落ち着いた大人の声の持ち主が、少年であった事に。

これでは、年上であるはずの、赤威の言動が子どもにしか聞こえない。顔のほうが見えず、声だけだったら

、確実少年の方が大人に見られるだろう。


正直、サッサと帰って、鈴明のとこに遊びに行きたい。

が、正面を占領されている以上、突破は出来ない。

と言う訳で、待機決定。あの中を通っていく勇気なんて無いわ。

「お母様聞いてよ。俺、外に買い出し行って来ただけなのに、遊郭行って来たってお父様に言うんだ!」

「まぁ。そこまでして、取り入りたいのかしら。見えすえの嘘まで吐いて。赤威がそんな淫らな所に行く訳

ないでしょ」


……
激しく突っ込みたいです。奥方。

さっき、姐さんたちが好んで使ってるお香の匂いがしましたよ。赤威の衣から。

自分の子どもがイイコなんて思ってるのかしら。

……
というか。

「すみません、奥様」

さっきも思ったけれど、この人だれよ。

表で対応している時点で、お手伝いさんの類いではないし、かといって、赤威以外の息子なんて聞いた事も

無い。もしかして、甥とか?


「申し訳ございません。旦那様には外に出かけられました、といったのですが……

「見えすいた嘘をつくんじゃないよ、妾の子がっ!」

妾の、子?

この人が?

少年は笑みを崩さず対応している。商人の鏡だ。

「美妃! 珠玉堂に誰かいかせてくれ」

「分かりましたわ、貴方」

うちの店だわ。誰が来るんだろう。

「赤威行く?」

「えっ……。瑶漣さんはまだ中でしょう? なら、俺ここにいるよ」

「そうねぇ。あの子は未来の嫁だもの」

きゃあああっ。

目茶苦茶鳥肌がっ。危うく叫ぶ所よっ!

忙しく動いた鼓動を宥める。全く。心臓に悪い。

「冰梦さん。行って来てちょうだい」

ふぅん、冰梦って言うんだ。って、こっちに来る!

うわぁ、どうしよう。

盗み聞きしようと思った訳ではないけど、聞いていた事には変わりない。どうしようかと思い、屏風の裏で

おろおろとしていると、冰梦さんと目があった。


少し目を見開き、次には微笑して唇に指を当てた。そして、こちらですとばかりに手招きしてくるではないか。

二人に遭遇したくないのは事実なので、素直についていく。

と、裏口にとついた。

ホッと息をつき、冰梦さんと向き合う。

「助かりましたわ。ありがとうございます」

「いえ、こちらこそ、見苦しい所をおみせ致しましたね。王瑶漣さん」

あ、私の名前っ。

会った事無いのに知っていたの?

「店に来たお得意様位は覚えてますから」

冰梦さんが答をいってくれた。確かにそれは、商売の基本だけれど、実行出来てる人は少ない。

この人もしかして結構なやり手?

「あぁ。申し遅れました。青架様を父に、麗華を母に持つ、雹冰梦と言います」

母が美妃さんじゃない。やっぱり……

冰梦さんが苦笑した。

「お察しの通り、私は妾腹の子です」

……あの、大丈夫ですか?」

余計なお節介やも知れないけれど、どうしても気になった。

嘘でも何でも良い。

返してくれさえすれば、読み取れる自信があったから、じっと彼の顔を見つめた。

彼は。

「大丈夫、ですよ。もう、慣れましたから」

微笑した。

「奥様も赤威様も私が妾腹の子だから、嫌うんです。しょうがない事ですよ」

口ではもっともな事を言っている。

けれどね、冰梦さん。

私には見えたわよ? 貴方は全く笑ってないの。

自分では気付いてるかしら。目が悲しげなのよ。

彼は、私に背を向け、坊の道をゆっくりあるいている。

「本当に?」

「え?」

だから、思わず口にだしてしまった。

言うつもりは、無かったのに……。

冰梦さんはぴたりと歩みを止め、私のほうを向く。

少し茶色がかった綺麗な瞳が私を映す。

それに呑まれて、何も言えずにいると、冰梦さんがふっ、と笑った。また、悲しそうな笑みで。

「そう、ですね」


「?」

「慣れてはいないです。嘘をつきましたね」

彼は悪くもないのに謝り、嬉しくもないのに笑う。自分でも、普通に抱えてる矛盾なのに、何となく腹ただ

しかった。


同族嫌悪?

「気にしないでくださいませ。商人になんて嘘は付き物ですわ」

「ありがとうございます。――送っていきますよ、瑶漣様。商談先のお嬢様ですからね」

「お願いします。あと、冰梦様」

「何でしょう?」

「様付けで無くて良いですわ。まだ半人前の身ですし、様付けされる程尊い身分ではありませんから」

「ですが……

「様付けをされると、年上の冰梦様にはどうやって呼べば良いのか。私のためにもお願いできませんか?」

冰梦さんは、困ったというか、困惑したような顔で、ゆっくりと頷いた。

「ならば、瑶漣さん。私の事もどうか様付けは止めてくださいませんか?」

「年下ですよ?」

「気にしないでください。むしろ、気にして欲しくないです」

本気で困ったような顔で言うものだから、私も承諾した。

「かしこまりました。冰梦さん」

「では、いきましょうか」

 

 

家までの道は、とっても快適だった。

冰梦さんがいてくれたお陰で、いつも声をかけてくる人も遠慮なのかは良く分からないけれど、放っておいてくれたし、仮に来たとしても、冰梦さんが対処してくれた。

やっぱり、大人だなぁ、と思う。

こういう対応を落ち着いて出来る人というのは、中々いないと思うから、素直に凄いと思えた。

鈴明も商人の顔の時だったら、これくらいできるかしら?

あ、でも、あの子は、店の外にでると駄目だったわね……。店外では無理とか言ってたし。

ほんと、勿体無いわよ。

 舜反物店で店番をしていた鈴明に手を振り、うちの珠玉堂へついた。

「ちょっと待っててくださいね」

「分かりました」

 冰梦さんに一言断り、凰畢さんとのんびりお茶でも飲んでいるに違いない、お父さんを探す。

 案の定、仲良く茶を啜って、菓子をつまんでいる二方を見つけた。

「お父さん」

 ねぇー、と声をかけると、おぉ、とお父さんが手を挙げた。

「もう終わったのか?」

「お陰さまで。冰梦さんが来てるわよ」

「分かった。あの坊主だな」

「え。お父さん知ってたの?」

「は? 得意先の餓鬼だぞ? 知っているに決まってる」

 さぞ当たり前だというように、深く頷くお父さん。

 あれ、知らなかったのは私だけなのかしら?

「私、知らなかったわ」

「だろうな。あの坊主の事、奥方とかは隠したがったからな」

 え? 隠したがる?

 お父さんは、もしかして、全部知ってるの?

「じゃあ、妾腹って事も?」

「あぁ、青架殿から聞いてる。だからか知らんが、奥方はあいつを見せようとしなかったな。その代わり、あの赤威って坊主ばっか見せてきただろ?」

「……嫌になるくらいね」

「息子自慢したがる奥方だからなぁ」

 お父さんは知ってたんだ。

 ……って、当たり前よね。お父さんは、自分であそこの家に行ってるもの。冰梦さんと会わないはずが無いわ。

「でもな、瑶漣」

「ん?」

「俺は、冰梦の奴の方が才能があると思ってる。鈴明なみにな。あいつは、力がある奴だからねぇ」

 だからこそ、奥方があんなのってのが悔やまれるぜ。

 あんな優秀な奴そういないっつーのに。

 ボヤキながら、お父さんは表のほうへと出て行った。

「お父さん、べた褒めじゃない」

 お気に入りの鈴明なみ。

 あそこまで褒めるのは、鈴明以来、初めて聞いたわ。

 お父さん、辛口なのに。

 欠点を一つも指摘しなかったってことは、心のそこから認めてるってこと?

「私の態度も隙があるって言うくせに……」

 さっきはイライラとした感情が、今は。

嬉しいと、嬉しいと感じている。

こういう風に考えてるのは、苦労している人だから?

 分からない。

 分からない。

 分からない……。

 良く分からない感情に、私はただ立ち尽くしかなかった。




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