「ご馳走様でした、鴦羽さん、芙蓉さん」 「ごちそーさま、兄ぃ、義姉さん。――説教はもう勘弁して……」 「お疲れ、鈴明。俺の変わりは頼んだ!」 「それは、こっちの台詞だ!」 「毎日やられてる俺のみにも……」 「ならないね。だって、兄ぃは全く応えない人だもん」 「そうなのよねぇ。だから、何言ってもいいって言うか……」 「おい、芙蓉。それ、かなり酷いぞ」 軽く青ざめた鴦羽を尻目に、芙蓉は微笑む。 「この人は放っておいて、またいらっしゃいな。今度は瑶漣ちゃんと一緒に着飾ってあげるわ」 「……瑶漣だけにしといて下さい」 「なぁんで、私だけ? 反物屋の娘でしょー? 着飾られる事、慣れてるんじゃないの?」 「母さんは、あたしの意見全く聞かないからさ。着飾られるってより、着せされてるんだよ。……あたしのためにやられるのは、苦手」 商売のためなら我慢できる。 自分のためにやられると、無理だ。 「そんな着飾っても大して変わんないから。瑶漣にした方が楽しいってー」 「違うのっ。二人を並べてこそ意味があるんだから!」 「芙蓉さん一緒にやりましょうよ!」 「えぇー、でも若い子二人の隣はなぁ」 「芙蓉さん、綺麗だからだいじょうぶですって」 えー、また二人だけの会話になってます。 この間に逃げようかなぁ。 「……おい、芙蓉。のめり込みすぎ」 鴦羽が額に片手をやりながら、もう片方で芙蓉の肩を叩いた。 それにはっとすると、彼女は頬に手を当てて少し赤くなった。 「ご、ごめんね。これから、市行くのよね?」 「……そうだったわ。鈴明、お金持ってきた?」 「うん、一応。茶屋の後は、いつも市いくからさ」 秀薇坊の通りには、貴族や豪商、官吏など、一般庶民よりも金を持った人たちを顧客とする店が立ち並ぶ。 鈴明と鴦羽の実家である、舜反物店。 瑶漣の家である、珠玉堂。 鴦羽と芙蓉の店、春梅堂。 どの店もが、秀薇坊に立ち並ぶ、この都で花形の店だったりするのだ。 で、鈴明と瑶漣が行こうとしているのが、涼秋坊。 店は一個も立っていない、ただの広場。 だが、毎日そこは賑わっている。 それは、先程芙蓉が言ったとおり、涼秋坊は市、つまり露店の集合体なのだ。 毎日、店が入れ替わり、つねに新しいものが、安い値段で買える。 野菜から服、服から剣、剣から書物など、そこで無いものは、何処へ行っても買えないだろう、と言われるほど、たくさんのものが売られているのだ。 そこには、鈴明の家の店のような、格式も信用も品質も保証はされていない。 けれど、そこに人は集まる。 色々なものが買えるから。 言わばそこは、庶民達の生活の基といえる場所だ。 「今日は何を買うつもりなんだ?」 市――涼秋坊と聞き、瞳を輝かせて聞いてくる鴦羽。 この人は、根っからの涼秋坊好きだ。 そこで手綱を放したら、丸一日帰ってこない。大量の商品と一緒に発見されるのを待つしか、彼を帰す方法は無い、と親から、兄妹から飽きられるほど、彼は好いている。 「うーんとね、あたしは研ぎ石と紙と墨」 「私は、簪」 見よ、この性格が現れる品物の違いを。 芙蓉が、少しだけ顔を顰めながら、鈴明に尋ねた。 「えー、と? 鈴明。研ぎ石は何に使うの?」 すると、鈴明はきょとんとした表情を見せ、何を言うのだと言うかのように、背負っていた細い包みを指差す。 「こいつを研ぐんだけど」 「こいつって?」 「刀」 芙蓉は崩れ落ちた。 「り、鈴明ちゃん……」 「芙蓉義姉さん??」 「鴦羽。まだ、この子、男の子みたいな真似しているの?」 「は? まだってか、ずっとやってると思うぞ? 俺も欠かすなって言ってるし」 兄も、何を言うんだこいつは? みたいな顔をして、芙蓉を見た。 再び芙蓉撃沈。 両手で頭を抱える。 「もうっ、女の子になんてこと言ってるのよ!」 「はぁ? 訳わかんねぇ。――鈴明。刀だけじゃなくって、弓もやってるか? 今度見てやるけど、サボってると、筋力落ちて引けなくなるぞ」 「サボるわけ無いじゃんか。あ、でも、ソウはちょっとやってない……」 「うげっ、鷹羽兄ぃに叱られるぞ……」 あちゃあ、と苦笑いを浮かべる鴦羽に、沈んでいる芙蓉が少しだけ顔を上げて、彼に聞く。 「ソウって、鷹羽義兄さん、筝を弾かれるの?」 少しだけ期待を帯びた視線。 鈴明に女らしさを備えたものが出来るのか、という期待。 だが。 「鷹羽兄ぃがそんなもん弾くわけ無いだろ。鷹羽兄ぃは笛だしな」 木っ端微塵に踏み潰された。 「じゃあ、ソウって……」 「ソウ、槍に決まってる」 あぁ、なんで、この兄妹は! 「何て事、鈴明ちゃんに教えてるのよ! 貴方達兄弟は!!」 春梅堂に、芙蓉の悲鳴に似た怒声が響き渡った。 「鈴明ちゃんは女の子なのっ。男の子みたいに育て上げてどうするのよ」 近くにいた鈴明をぎゅっと抱きしめて、彼女は鴦羽をにらめつける。 それに少し後ろへ下がりながらも、彼は首を傾げる。 「そんなにおかしいことか? 自衛のためにやらせてるんだけどなぁ」 「自衛以上に行ってるわよっ。あぁ、もう。義兄さん達にも言っておかないと……」 「ふ、芙蓉義姉さん!」 一人で燃え上がっている彼女に、制止の声。 「えーと、兄ぃに言っても無駄だよ?」 「何で? 義兄さんたちがやらせてるんじゃないの?」 きっぱりとした否定が返る。 「? 違うよ」 「じゃあ、義父さん?」 「ううん。あたし」 一番聞きたくない答えが返ってきた。 「あたしが趣味でやってるんだけど……、いけなかった?」 二度目の悲鳴が木霊した。 「あぁー、芙蓉さん、同情するわぁ」 結局外に出れたのは一時間後で、その間、鈴明は芙蓉と一対一で再び説教されることとなったのだ いつも同じような説教を父の凰畢からされているが、同性から、しかも芙蓉から、ということもあって、色々とぐっさりとくることも多々あり。 ぐったりと、ぐっさりとしながら、へろへろの状態で鈴明は春梅堂から出る事となった。 しかし、一時間足らずで出れたのは、鴦羽が宥めてくれたお陰であったりしたから、もし居なかったら、一時間位では開放してくれなかっただろう。 鈴明は、先程の台詞を言った瑶漣をじとっ、と睨めつけた。 「なんで、あたしじゃなくて、芙蓉義姉さんなのさー」 足を涼秋坊へ向けながら、幼馴染にむかって文句を垂れた。 「全く止めてくれなかったしさー」 けれど、そんな幼馴染の恨み言にも瑶漣は澄ました顔だ。 「だって、私と同じ意見だったんだもの。いい薬になるかしら、って思って」 「瑶漣―」 「何よ」 お互い睨みあい、十位呼吸を置くと、先に鈴明が目をそらした。 肩をがっくりと落とし、少々疲れた様子である。 「何でさ、人の趣味に口出すかな」 「それが筝とかだったら文句言わないわよ」 「刀でも別に良いじゃんか」 「豪商の子女がやることじゃありません」 「鳶羽兄ぃからやれって言われてるから、あたしが嫌いになっても止めれないんだよー」 「……鳶羽さんが?」 「うん」 鈴明の個人的な順位でいくと、「怖い」の格付けで鳶羽が堂々の一位を飾っている。 なので、その鳶羽の命令とくれば、鈴明は従わざるおえないのだ。 と、言っても、「武芸」は、彼女の言うとおり、個人的な趣味であるので、命令でなくともやっているに違いない。 それが容易に想像できる瑶漣であるから、嘆きようは半端で無い。 「せっかくの容姿が……」 「美人さんに言われても嫌味にしか聞こえませんー」 「だから、お世辞を言うほど、私は暇じゃないって言ったでしょ」 「はいはい、ありがとうございます」 全く意に解さない幼馴染に、呆れを通り越して、感嘆が浮かぶ瑶漣である。 さらに言い募ろうと口を開くが、既に鈴明の興味が逸れていた。 ――涼秋坊。 いつの間にか、“市”に着いていた。 「わああ! いつも以上に店が多いよ!」 「そうねー」 あれだけ芙蓉が“女性らしさ”について説教したが、……すでに頭の中には残っていないだろう。 瑶漣は頭を抱えたい衝動に掛かれつつ、それでも、これが鈴明か……、と変に納得していた。 というより、そんなものを持ったのは鈴明らしく無くって、むしろ気持ち悪いんじゃ……と、思ってしまったのだ。 鈴明の考え方に影響されちゃったかなー、と引きつった笑みを浮かべていると、突然手を攫われた。 「鈴明?」 「んー? 逸れちゃいそうだったから。あっちに簪あるよー」 ほんと、突拍子も無い。 いきなり走り出され、手を引っ張られる。 「ほらほら! この青いのとか、瑶漣に似合うんじゃない?」 「着飾るのは苦手じゃなかったのー?」 少しからかってみれば、むぅーと、唇を出し拗ねた。 「あたしが対象じゃなかったら、関係ないんですー」 瑶漣に簪を当てて、これじゃないか、と一つまた戻す。 「んー、瑶漣は、小ぶりのやつの方が良いみたいだね」 青い小さな花が垂らしてある簪を手に取り、鈴明は一人頷いた。 奥のほうに店主を見つけると、手をふり叫ぶ。 「おっちゃん!」 「おっ、鈴明ちゃんじゃないか。毎度、ありがとう」 30代位の男は、太陽で眩しそうにしながらも、笑いながら椅子から立ち上がり鈴明のほうへ寄ってきた。 「あたしのうちこそ、贔屓にしてもらってありがとねっ。あ、これちょーだい。何元?」 「えーと、それは10元だね」 「えー! それちょっと高いっ! もう少しおまけしてよ。今度、うち来たときおまけしてあげるからさぁー」 鈴明が、おねがいっ、と手を合わせると、男は少しだけ考えて頷いた。 「そうかい? じゃあ、8元でどうだい?」 「むー、ま、いっか。分かった、8元ね」 銅貨を八枚出し、男の手へと乗せた。 男はそれを目算すると、袋の中へ放りこみ、簪を布で包み鈴明に手渡す。 「まいどー」 「おっちゃん、ありがとねー」 「またのご来店を!」 その言葉に笑顔で頷きつつ、いそいそと簪を出し、瑶漣の頭へとつけた。 「え、私に?」 「うん。やっぱ、瑶漣にはこの形状だよね。兄ぃにも言っておかないと」 「もう、こんな時にも仕事の事?」 「そうそう。あたしは商人だもん。だから、気にせず受け取ってよ、それ」 「いいの?」 「うん。その代わり、何か奢ってよ。それで対等でしょ?」 「そうね。なら、何か見繕ってあげるわ」 「服以外ね……」 「じゃあ、首飾りとかは?」 「それなら良い!」 「決まりね」 嬉しそうに笑う鈴明につられて、瑶漣も微笑む。 その辺に玉を扱った所は無いかと探していると。 「うわっ」 「瑶漣?」 「鈴明、後ろに行って」 「? 良いけど」 首を傾げながら言うとおりにする鈴明。 が、それも遅かった。 「――あのさぁ、何で隠すんだよ」 目の前に立った青年、おそらく成人の儀を行って、何年かたったような風貌。 整った容貌に、人懐っこそうな顔、雰囲気。 それを、少しだけ顰めて、彼は聞いた。 「あんたを用心してでしょ」 敵を見るかのように警戒しながら、瑶漣は応えた。 「何で用心するんだよ」 「私の鈴明を取ろうとするからよ。――大体、なんで貴族の子弟がこんなとこにいるの?」 瑶漣が質問したと同時に、大人しくしていた鈴明がひょっこりと顔をだした。 「瑶漣? ……って、うわっ! 琉李じゃんか! なんであんたがこんなとこにいるの?」 翠 琉李。 法律、警察を司る、刑部の役人。 彼は、戸惑ったように首を捻る。 「何でまた、同じ反応だ? そんでもって、俺を追い出すつもりか?」 「……上流貴族のあんたがここにいる事に疑問を感じてるのよ、馬鹿」 「むしろ、何でここに居るのか聞きたい」 容赦ない二人の言葉に、彼はがっくりと肩を落とすのであった。 翠 琉李。 貴族、上流貴族の息子。 法律、警察を司る、刑部の二番目に偉い、刑部侍中。
鈴明、瑶漣の幼馴染。 「んなもん、俺が来たかっただけに決まってるだろ?」 全く貴族の子弟らしくない、男だった。 |
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