人ごみは逃れた。 パンパンな電車も、我慢して乗った。 そうして着いたのが、約束の時間の二十分前。 ここからが問題だ。 手の中にある携帯をじっと見つめ、動かないアラン。 顔には、掛けなくないな……、という感情がありありと映っていた。 深い息を吐き、足が無い以上、仕方がないので電話を掛けようと、携帯を開けた。 と。 先ほどとは違う黒がアランの視界に入る。 「アラン? なーにしてるの?」 「わ!」 ひょっこりと目の前に現れた友人に、彼は思わず声を上げてしまった。 一歩下がってみてみれば、紛れも無く友人で、しかも今電話を掛けようとしていた相手だった。 フェルナン=ボヌール。 それが彼の名前だ。微妙に長いので、アランはフェルと呼んでいる。 ぱっと見はただの好青年で、優しそうな風貌をしているのに、どうしてか口を開けば意地悪気な言葉が紡がれる。仲が良い人限定とは言え、あまり嬉しくない限定だ、とアランは常日頃から思っていた。 仲の良い人限定。 つまりは、自分に被害が来る、という事なのだった。 アランがふぅ、と息をつけば、その灰色の目を面白そうに細めて、彼が口を開いた。 「で? 事の顛末は?」 「……何にも無かった」 「ふーん。俺からの電話を切って、折り畳み傘いつも持ってる癖にびしょ濡れで、しかもこんな時間ギリギリ、ってのに俺には何の説明は無しと来たか」 じりっ、とアランが後退する。 逃走体制だ。 が、フェルナンもそれを逃すつもりはさらさら無いようで、がっしりとアランの腕を握った。 「ちっ。離せよー」 「といわれて離す奴がいると思う? はいはい、大人しく車に乗ろうか、メイヤー君」 途端、アランが嫌な顔をする。 「ファミリーネームで呼ぶな、気色悪い」 「はぁ? なんだよ、その感性」 「うるさい」 ぷいっ、とそっぽを向いてしまったアラン。 だがその間に、フェルナンは彼を引っ張りずるずると引きずる。 細身な割には、結構な強力である。 ある意味のせられた、ともいえる。 「ちょ、フェル! 痛いって!」 「んー? 聞こえないな」 「絶対聞こえてるだろ! ひきずんな!」 「あーあーあー」 まるっきり無視するフェルナン。 抗議をするが受け入れてもらえないアラン。 奇異の目に晒されているのにも関わらず、二人は――特にフェルナンはそ知らぬ顔である。アランはただフェルナンの方に意識が向いていて気づいてないだけだろう。 階段が迫り、流石にアランが蒼くなった所で、フェルナンが止まった。 後ろ向きで必死に引きずられないようにしていたアランを一瞥し、それはもう良い笑顔で笑う。 アランの顔が固まってしまうほどに。 「説明してくれるな?」 「……了解」 でなければ、絶対に階段から転がされる。 仕方無しに渋々、本当に渋々頷けば、拍子抜けするくらい簡単に離された。 ばっ、と振り向けば、悪戯が成功した、そんな風にいうかのような笑み。 やられた……。 フェルナンの歩調に戻しながら、彼はぐったりとした。 反対に彼は、すごく生き生きとしていて、上機嫌だ。 駅に隣接された駐車場につく。 フェルナンはボタンを押して鍵を開けると、アランを助手席に乗らせ、長身を押し込めるようにして、自らは運転席に納まった。 「チケット大丈夫か?」 「ぬかりないって、大丈夫。三十分にしといたから、後十分は余裕ある」 ほら、と運転席の前に置いてあったチケットを見せる。 確かに時刻としては充分間に合う。 流石だなぁー、と彼が言うと、誰かさんとは違うからね、とフェルナンが笑った。 その誰かさんは、むっ、とした顔でフェルナンを睨んだが、反論しようにも、実際に抜かって、罰金を取られたところを見られているので、どうにも言えない。だから、不機嫌な顔で、何も言わずに、また前に向き直る。 彼の反応を横目に見て、くすくすとフェルナンが笑うから、アランは尚更しかめっ面になるのだ。 幼馴染が隣にいれば、いい加減にしろ、などと言って止めてくれただろうが、生憎その幼馴染をフェルナンは置いてきてしまった。 大きなラウンドアバウトの円が見える。 交差点である。 「俺、あれ苦手なんだよな……」 ぼそりとアランが言った。 ヨーロッパの各地で見られるこの円。円を中心にして、四つの道に分かれていて、その円を時計周りに回っていき、円の周りを回ってる車を優先しつつ、自分の出て行きたいところで出る、という至極簡単なルールで、かつ信号が要らないという利点を有するものである。 だが、タイミングを上手くつかめないと、その円の中をずっとぐるぐる回ってることとなってしまう。 ラウンドアバウトが無い国から来た駐在の奥方が、抜け出せなくて助けを求めた、という話は良く聞く。 その話を笑いごととして笑い飛ばせないのがアランで、彼もまた、ぐるぐると回り続けた、という経験があったのだ。 そんなアランに苦笑を漏らしつつ、フェルナンはラウンドアバウトの標識を見つけ、出口はどこかをさっと確認する。 そうして、タイミング良くその円の流れに乗ると、すいすいと右側へと行ってしまった。一回転もせずになので、手馴れてる、としか言いようがない。 時計をちらりと見、フェルナンはアランに笑いかける。少しの呆れを滲ませて。 「お前は遠慮しすぎだから」 「だって、なぁ」 「円の中はいったら遠慮なしでいいんだよ」 「入りたい奴いるかもしれないだろ?」 「そんな事考えてたらいつまでたっても抜け出せないよ。気にしたら負け」 アランは反応しない。 そうは言われても、気になるものは気になり、どうにもならないからだ。 車の中にフェルナンが好きな、UKロックの音だけが流れる。 機嫌良く聞いていた彼は、一曲過ぎた後に、また口を開く。 「で? 事の顛末は?」 じとーっ、とした視線がフェルナンに注がれる。 結局聞くのかよ、と言っている様子。 ラウンドアバウトでない交差点で赤になり、ブレーキを踏むと、彼はそりゃもちろん、とアランの方を向いて頷いた。 携帯の方を指差す。 「そうやって書いたよね? 俺」 「……書いてたけどさ」 渋々アランが頷けば、じゃあ、とフェルナンが催促する。 「何でそんなにも聞きたがるんだよ」 せめて矛先をずらそうと、時間を引き延ばそうとアランは質問してみるものの、フェルナンは、あっさりと答えてしまう。 「そりゃ、こんなギリギリにあんな場所にいて、かつ俺の電話きるからだよ」 「だから、人ごみで」 「その後は?」 「うっ」 「待たせといて理由も言わない、ってのは英国紳士として頂けないんじゃないのかな?」 「……紳士じゃないし」 「人間としてもどうかと思うけど? ――時は翼を持つ。さっさと吐け」 こう言う時に限って信号は変わらない。 ラウンドアバウトばっかりのイギリスの癖して、なんでここは……、と彼は心中で悪態をつくが、そんな事をしてもフェルナンの視線が途切れるはずもなく。 耐えかねたアランが白旗を揚げた。 「女の子に傘貸してただけだよ」 ひゅー、と口笛が鳴った。 「じゃあ、俺の“綺麗な女の子見つけた”ってのは、あながち間違ってなかったんだ」 からかう調子で、アランの反発を待つ反応をした。 けれど、一向に待っていた反応は来ない。 赤と黄色が点滅しだす。 ブレーキを解除し、アクセルを踏む前にアランの方へ視線を向ける。 「ちが――」 珍しいモノをみるかのように、フェルナンがアランを見た。 首筋まで真っ赤だ。 アランもその視線ではっ、と気づき、腕で顔を隠しつつ、信号を指差す。 「前!」 照れ隠しなのはバレバレだ。 だが、確かに緑に変わっていた。 「ちっ」 折角面白いものが。 自分のタイミングの悪さに舌打ちしながらも、彼はアクセルを踏む。 フロントミラーを見てみれば、まだ彼は腕で覆っていた。 「そんな可愛い子だった?」 「うっせ」 見向きもしない。 が、声は動揺をダイレクトに伝えてくる。 面白いなぁ、もったいない、と彼は歯噛みする。それと同時に幼馴染を思い浮かべて、連れてこなくてよかったな、と思う。ボリスがいたら、的外れな事を言いまくって、そちらにアランが逃げて、面白くないことになってしまう。 ――あぁ、でも。 その反応もまた面白いかもな。 フェルナンはこっそりと笑った。 |
← 目次 → TOP |