「何笑ってるんだよ」

 随分と不貞腐れた声が漏れた。

 くすくすと笑い声を出したあと、あからさまに面白がっている声で彼も返した。 

「アランの乙女反応を見ての率直な反応」

「は?」

「まだ耳赤いけど?」

「……黙れ」

 居心地悪そうにずるずると彼は沈み込んだ。

 運転手の彼からは見えないが、アランは口を尖らせ、今現状でからかわれている状況を不本意だ、という事をありありと示していた。

 示したところで、どうこうなる相手では無い事は、彼も重々承知ではあったが。

「どんな子だったの?」

「……答える義務が?」

「んー、俺の個人的な興味。可愛い子なら、俺もお相手願いたかったし」

「おい……」

 さっきと言ってることが全然違う。

 憤然と同僚を睨みつけてはみるが、彼は飄々としていて、悪びれる様子なんて欠片も見つからなかった。

 結局、ただ聞きたかっただけか。

 相変わらずな彼に、アランは頭をガシガシと掻く。

 右折をする時に、ちらりと見られ、あぁー、と嘆息すると、ぽつりと言った。

「泣いてたんだよ」

「ん?」

「土砂降りの中で、なーんにもささずに歩いてて、それで……。――泣いてたから貸した。それだけ」

「ふーん。流石紳士」

「何でそこ持ってくんだよ……」

「だって、英国紳士だろ?」

「関係ないって」

「でもま」

「……聞いてねぇし……」

「泣いた女の子に手を貸してあげたのは合格か。偉いぞー」

「……ガキ扱いするなよ」

 実際、フェルナンよりは三つ下なアランである。

 強い口調で言い切れずにいれば、フェルナンはさらに笑みを深くした。

「金髪美女?」

 楽しそうに聞くので、ついにアランは根負けして、付き合うことにした。

 少女の容貌を思い浮かべながら首を振る。

「黒髪だったよ。後、俺より年上に見えた」

「ふーん? チャイニーズ?」

「どうだろ、それほど東洋系には見えなかったなー」

「じゃあ、俺みたいにラテン系かもね」

「区分する訳じゃねーけど、多分違う。なんか、ラテンの女の雰囲気じゃなかった」

「なら混血かな。――可愛い子だったんだよね?」

「あー、綺麗な奴だったよー」

 随分と投げやりな答えである。

 つまらなさそうにフェルナンが顔を顰めた。

 聞き方を間違えた、という表情。

 もっとからかえたのになぁ、と彼が呟けば、思いっきり嫌そうな顔で、アランがやめろ、と言った。

 車がかの有名な大学を通り過ぎる。

「そういえば、ペロの奴がここ出だっけ?」

「うっわー、何でうちに入ったんだろうねー」

「それ言うならボリスもだろ? 警察一家なのに」

「まぁ、それは言っちゃおしまいだよ」

 あいつの思いはすっごい深いからさ。

 苦味と、羨望と。

 彼は色んな物が混ざった笑みを浮かべた。

 そのうちに、車がとある教会の前で止まる。

 既に色んな人が着いているらしく、駐車場には様々な車が並んでいて、結構な威圧感を放っていた。

 フェルナンの車もその中の一つとして停車する。ロックを解除し、車から降りる。

 結構降ってやがるなぁ、と彼は嫌そうに呟き、真っ黒で上品な傘を広げた。

「アラン?」

 彼の表情が固まっていた。

 教会を見て、それから。

「……わりぃ」

「いや」

 緩慢にフェルナンが首を振った。

「サンキュ」

 何で馬鹿みたいな話題しか振ってこないのか、自分をからかう事に専念していたのか。

 ようやくアランは思い当たった。

 きっと、本質的には優しい彼の気遣いだ。

 ……少しの趣味が入ってたとしても。

アランは自嘲的笑みを浮かべ、それからくしゃりと柔らかそうな髪を握った。

 現実を突きつけられた。

 何でココに来たか。

「ポール、……死んだんだよな」

「……あぁ」

 パーティーを組んでいた男の名前を出して、アランは泣きそうな顔をした。

 実際には泣いてない、泣く寸前だったのかもしれないが。

 それは彼の自尊心が許さない。

 だから、何とも言えない表情で彼は小さな声で言った。

「行こ。俺は大丈夫」

「ボリスも待ってるしね」

「うん、あいつ待たせたらすっげー怒るだろうし」

 助手席から足を踏み出し、鳴りそうになった喉を押さえ、深く息を吸った。

 その間にトランクから大きなバスタオルを取り出したフェルナンは、ばさっ、と彼の上にかけてやる。

 怪訝な顔をするアランに、自分が差していた傘を押し付け、濡れている金髪を指し示す。

「拭いとくように。立派なスーツが台無しだよ」

「……りょーかい」

 少しの沈黙の後、バスタオルの下で彼が頷いたのが微かに見えた。

 軽く俯いた頭を叩いてから、フェルナンは先行くなー、と小走り気味に教会の奥へと消えていった。

 彼なりに気を使ったのだろう。

 その姿を見送り、それからアランはぎゅっとバスタオルを握った。きつく、きつく。

「ポー、ル」

 涙は、ない。

 それが彼の矜持だから。

 けれど、よく分からない感情が彼の中を渦巻いているのは事実だった。

 唇を噛む。痛みで感情をどこかに追いやるために。

「……行くか」

 頭から被っていたバスタオルを畳み、脇に抱えながら傘を差しなおした。

 舗装されていない駐車場には水溜りで溢れかえっていて、すでに靴は湿ってるとは言え、落ちないように気をつけながら彼は進んだ。

 教会の前に立つ。

 何故か警備員のような男が居て、強面を更に厳しくさせてアランを睨みつける。

 アランは背筋を伸ばしながら言った。

「ボヌールのパーティーのアラン=メイヤーです」

「証明書は?」

「ここに」

 胸ポケットから出し、目の前へと持っていく。

 警備員、いや、アランの同僚の一人である男性は、メモ帳を取り出し、彼の番号を照会すると、厳しい顔を労わる表情へと変化させた。

「……お疲れ様だね」

「いえ。……覚悟は、してました」

「相手は化け物だからな。仕方ない、といったら彼は報われないが……。やるせないな」

 本当に何とも言えない表情をする。

 吸血鬼。

 化け物みたいな身体能力。

 抵抗手段は、ここにいるだろう皆が持つ、銀の弾丸が込められた銃のみ。

 今日、ここで弔われる彼は、それさえも通じず、儚くも散ったのだろう。

 容易に想像できて、なおさら、彼の言う通りやるせなかった。

「今回は、ムーンの奴らだったらしい。歯が立たないのも分かる気がするよ」

「え、ムーン……?」

 聞きなれない単語を聞いて、アランは顔を上げる。

 その間に男性は、後ろの人に気付き、悪いね、とアランに一声かけ、そのままそちらへ行ってしまった。

 伸ばしかけた手を下げる。

「ムーン……?」

 聞いたことの無い名前。

 吸血鬼の名前だろうか? 要注意人物とか。

 自然に彼の額に皴が寄った。

「おい、入らないのか」

 突っ立っていた彼に、不機嫌そうな声を掛ける男。

 ばっ、と顔を上げ、アランは左足を引いた。思わずの逃げ腰。

「……何をやっていた」

「いや、その」

 フェルナンは分かってくれる事情だが、こいつは分かってくれない。

 素直に女の子に傘を貸してました、と言っても、人ごみにやられていた、と言っても、絶対に納得してくれない。むしろ、軟弱物、とか、それはこの約束よりも大事な事なのか、とか、絶対に怒声を上げるに決まっている。

 彼が知る、ボリス=ベーレンスという男は、そういう奴だった。

 もう一歩退けば、一歩つめてくる。

 緑色の目が不機嫌そうに細められる。眉間の皴はデフォルトである。

 長身で、適度に筋肉がついている彼は、立っているだけで、先ほどの男性と同じくらい、それ以上の威圧感を発している。

 怖いだけの男じゃない、という事は、パーティーを組んでいるうちに、アランは知っていたものの、こうまでして怒気を露にされると、流石に退かざるをえない。

「ポールの葬式だぞ! 遅れたらどうするつもりだった」

「……ごめん」

 返す言葉も無い。

 何時もならつっかかってくるアランである。ボリスは、こうも素直に謝罪するとは思っていなかったらしい。

 目を瞬かせ、次にぶつけようとしていた言葉を飲み込んだ。

 調子が狂う、とぼやき、背を向ける。

「始まるぞ」

「分かった」

 ドアに手をかけ、それから思い出したように言った。

「遅れてごめん」

 ボリスはぴたりと足を止めた。 

 それから、深く息を吐くと、彼らしい言葉でそれに返した。

「そう思うなら遅れるな」

 







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