その行為に気付いたのか否か、鈴明は膨れっ面になると、反撃とばかりに瑶漣を見つめながら言う。

「じゃあ、瑶漣はどうなのさー」

「私?」

「冰梦さんに誉められたら自信つくのー?」

 鈴明にとっては渾身の一撃だったのだろう。

 だが、瑶漣は隙の無い笑顔を纏って小首を傾げてさえみせた。

「私は自信があるから問題ないわ」

 ……表面一筋さえ攻撃が当たらなかったようである。

 撃沈した鈴明は、瑶漣がついっ、と視線を鈴明から外し、ちょっとだけ笑みを浮かべたのを見ることが叶わなかった。

「誉められたら嬉しいと思うけどね」

 ばっ、と顔を上げても、既に瑶漣は普通の顔で、澄ました顔をしてお茶を飲んでいた。

 鈴明が舌打ちすれば、はしたないわよ、と窘めるほどの冷静ぶり。

「見逃したぁー」

「何のことかしら」

 ん? 完璧な笑みを浮かべ、陶器を少し浮かせた、絵になる光景を体現させて応対する瑶漣に、ぶすーっ、とした鈴明は、顎を机につけて、瑶漣にむけて手を伸ばす。

「その厚い顔の皮とっちゃいたい」

「それはご遠慮願いたいわね」

 済ました顔でお茶を飲む瑶漣を眺め、机と御友達な状態で鈴明も頷いた。

「あたしもそんな血みどろな光景みたくないな」

「なら、そんな事言わないの」

「まーね」

 軽い音が鈴明の額にあたり、べぇー、と鈴明は舌を出した。

 すかさず瑶漣がその口に焼き菓子を入れて閉じさせる。

「だめよ」

「やなこったー」

「こら」

 思わず鈴明が避けると、瑶漣は悔しそうな顔になって、もう一つの手を振り下ろす。

 が、やっぱり鈴明は避けてしまい、その表情は濃くなる。

 最後にぺちっ、となった音も、鈴明が掌で受け止めた音で、やっぱり瑶漣はどこか悔しそうな顔をした。

「残念」

「もー、当たってくれたっていいじゃない」

「たまにはいいじゃん」

 額にやってきた手を離して、自分の焼き菓子を乗せる。

 当たり前のように瑶漣の口に入ったそれは、瞬く間に咀嚼され、消えていく。

「はやっ」

「お菓子だもの」

「理由なのかなぁ」

 首を捻り、小さく啄ばむ鈴明に、呆れた声を瑶漣は漏らした。

「全般的に速い鈴明には言われたくないわ」

 その食べ方も似合わないし、と彼女が言えば、流石に苦りきった顔で瑶漣を見つめた。

「流石にそれは酷くない?」

「何処が」

「あたしだってこういう風に食べることはあるよ」

 小さくまたつまみ、咀嚼する。

「ふぅん」

「何その疑ってる目……」

「琉李がその辺にいるかもしれないからやってるのかな、って思ったのよ」

 お茶を飲んでいた鈴明が噴出しかけた。

 瑶漣は小さく首を傾げて。

「図星?」

「そんな訳あるか!」

 咳き込みながら言うので、なおもむせる。

 おざなりに返事をして、瑶漣は彼女の背をさすってやった。

 げほげほ咳き込んでいたが、しばらくすると落ち着いたようで、お礼の言葉が口にされた。

 お茶を含み、店員におかわりを求めてから、鈴明はきょろきょろと周りを見渡す。

 瑶漣はちょっと目が鋭いわねぇー、なんて思いながら鈴明の挙動を見守っている。

「……よっし、居なかった」

「誰が?」

「琉李」

「やぁね。本気にしたの? 言葉の綾よ、綾」

「人から言われたら何か気になるじゃん」

「それもそうね」

 どうぞ、と鈴明に渡されたお茶を見て、瑶漣も私も下さい、と追加を頼む。

 すると店員は、僅かに上ずった声で返事をして、奥へと引っ込んでいった。

「あー」

「……何よ」

「瑶漣のに当てられちゃったかなー? あの人」

 苦笑い気味に鈴明が店員の背を見送る。

 僅かに赤らんでいるように見えたのは、多分鈴明の見間違いではない。

 ではあるが、瑶漣は興味がないのか、唐菓子を口の中に放りこみながら、片方の手をひらひらと振る。

「年上の方だったじゃない」

 私みたいな小娘を相手するかしら?

 瑶漣は本当にそう思っているかは別として、あっさりと否定するが、鈴明は引き下がらず、妙に芝居がかった口調で指摘する。

「冰梦さんも年上だとおもいまーす」

「……冰梦は別なの」

 ぷいっ、と彼女はそっぽを向いてしまった。

 それをにやにやと見ている鈴明。

 矛先が自分で無くなっただけでも嬉しいらしい。

「じゃあさ――」

 何かを言おうと口を開きかけたところで。

「お嬢」

 質素なみなりを青年が鈴明の後ろに立っていた。

 身の丈は、鈴明より少々高い位で、髪の毛を一本に結って垂らしていた。

 彼は、少しだけ息を切らしながら、分厚い書留を大事そうに抱えていた。

 鈴明は、一瞬で誰かかを解し、不思議そうに首をかしげた。

「羚惺? どうしたの?」

 彼は、一呼吸だけつくと、分厚い書留の中から一枚を取り出す。

「玄の奥方の、が、抜けていて」

「げっ。……えっとね、鴛鴦の柄の布で、母さんの裁断、刺繍、鳶兄ぃの仕立てだったよ」

「料金は?」

「父さんの裁量で」

「分かった」

 明らかに安心した顔で、彼は肩の荷を降ろし、横に居た瑶漣に気付き、慌てて会釈をした。

「瑶漣嬢、久しぶり」

「えぇ、久しぶり。様になってきたわね」

 前までの所作を指して瑶漣が笑えば、羚惺が苦笑い気味に頷いた。

「それでもまだ鳶羽さんには怒られる」

「兄ぃは厳しいもん、しょうがないよ」

「鳶羽さんはねぇ……。あ、羚惺も飲んでいったらどう? お茶頼むわよ?」

 切れ気味の口元を指差し、丁度店員が持ってきたお茶に瑶漣は口をつけた。

 一瞬眉が顰められたが、それはすぐに霧散した。

 羚惺は少し迷った所作をしたが、書留を見つめて、首を振った。

「気持ちはありがたいけど、これ以上は鳶羽さんに怒られたくないから」

「あ……。それはしょうがないわ。無理なこといってごめんなさい」

「いや、瑶漣嬢は悪くないから謝らないでくれ」

 再度首を振って、膝をついた体制から立ち上がる。

「羚惺が怒られるんだったら、私は滅茶苦茶叱られるなぁ……」

 沈痛な表情に一変している鈴明。

 羚惺がここまで来てくれたのは、鈴明の失敗であると自覚はしているのだろう。

「羚惺―。鳶羽兄ぃなんか言ってなかった?」

「言ってた」

 即答。

 目を丸くして、それから先を促す。

「確か。――気にしてない、気にはしていないが、確か俺の部屋の紙が切れていたな。……だそうだ」

「……買ってきます」

「多分、それが一番良いと思う」

 気を落とさないで、と彼はぽん、と彼女と肩を叩く。

「じゃあ、お嬢、瑶漣嬢、引き続き楽しんで」

「はぁーい、お疲れ様―」

「鳶羽さんの事頑張ってね」

「そこまで怒ってはいなかったから大丈夫なはず」

 羚惺は、綺麗に一礼した後、一応は断ってはあったのか、店主に礼を言いに行き、店を出て行った。

 途中まではゆったりとした歩調であったが、店が見えなくなると、一目散に駆けていった。その時点で、鈴明は“そこまで怒っていなかった”という情報をあまり当てにしないことにした。

 怒っていないのであったら、羚惺があそこまで全力で走るはずがない。

「……うぅ……」

「どんまい。でも、自業自得よ?」

「知ってますー。後で紙買いに行くね」

「墨のついでで大丈夫なんじゃない?」

「そうだね……」

 気が早いことに、鈴明の頭の中では、鳶羽の説教がなり響いているらしい。卓に顎を乗せ、明日の稽古やばいんだろうなぁ、などとぶつぶつ言っている。

 これは援護しようにもしようながいので、瑶漣は何も突っ込まず、微妙に蒼くなっているその頬を瑶漣は突っつきながら関係のない事をぽつりとつぶやいた。

「ほんと、様になったわね」

 指しているのは羚惺の事だろう。

 突っつかれているのを咎めず、鈴明はそのままの姿勢で視線だけ瑶漣に寄越した。

「言葉遣いはそのままだけど、対応とかは出来るようになったじゃない」

 数ヶ月前の惨状を思い出して、瑶漣は少し遠い目をした。

 彼は、ある日突然、鈴明が拾ってきた青年だ。素性を瑶漣は知らない。きっと知っているのは、拾ってきたと言っている鈴明と、いきなり養い、雇う事を認めた凰畢と、その家族達だけなんだろうな、と思っている。

 話さない、という事は、あまり聞いて欲しい事柄ではないのだと納得して、瑶漣や周りの商人達は何も言わずに、新米の“商人”を眺めていた。

 羚惺の所作は、まるで一昔前の自分みたいで、あまり人事ではなかった覚えがある。

 それが、今の所作になっていて、結構瑶漣は感心していた。

 彼女の言葉に顎を微妙に引いて、鈴明は同意し、原因を口にした。

「まぁ、鳶羽兄ぃと父さんが仕込んでたから」

「鈴明は?」

「黙ってみてろって言われたー」

「鈴明は本能だものね」

「うるさいわ」

「鈴明が拾ってきたのにかわいそうにー」

「誰が」

「お二方と羚惺が」

「……使えるって判断したらしいよ。二人とも」

「良かったじゃない」

「うん」

 良かった、良かった。

 鈴明は繰り返した。

 卓にくっつけていた顎を離して、普通の体制に戻し、鈴明は瑶漣に視線を向ける。

「もういいわよ」

「んー。なら、紙と墨買いに行こうか」

 紙、と言ったところで、明らかに肩を落とすので、瑶漣は後ろで声を立てて笑っていた。





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