アランはちょっとだけ笑みを見せて、頷いた。 「それもそうだな」 その言葉を背中で聞きながら、ボリスは無言で教会の扉の向こうへ歩いていく。 彼の後姿を見送った後、曲がっていた背中をアランは伸ばし、まっすぐ前を向いて、ボリスの後を追った。 扉を潜ると壁際にフェルナンがいて、アランを見つけると、ゆっくりと近づいてきて、苦笑気味に、冷や冷やしたよ、と。 前のボリスにばれないよう俯いて、俺も、と小さく答えた。 その瞬間にボリスが振り向いて、何だ、と言ったようにこちらを見るので、二人は揃って、何にも、と首を振った。 「……言いたいことがあるなら言え」 むすっ、とした顔で彼が言った。 フェルナンはしょうがないなぁ、と首を振り、冗談めかして言うのだ。 「アランが見蕩れてた女の子の話をしてただけだよ」 「はぁ?」 思いっきり怪訝な顔をするアランに対して、ボリスは。 「そ、そんなことで――」 「あれ? ボリス、羨ましいの?」 「何を言ってる」 「まぁ、ボリスの強面じゃ、女の子は寄ってこないか」 「フェルナン!」 フェルナンのお遊びが始まった。 矛先が逸れたことにほっとし、幾らか気分が上昇した事に安心して、アランは安堵の息をついた。 先行ってるぞー、と声を掛け、奥の方へと足を向ける。 大きな教会の十字架は、心なしか威圧的で、こちらをにらみつけてくるように感じられた。それにも増して感じられるのは。 「殺気立ってる……」 身震いした。 スーツからカジュアルな格好の男達。異様にも見えるかもしれないが、ここでは普通の光景だ。 中には見知らぬ者もいたが、一緒に仕事をした顔もあった。 倒れた仲間、ポールには親族が居ないので、周りにいるのは同僚ばかり。だからか、この地にずっと住んでいるアランからすれば、物珍しく映るほど人が多い。普通は、親族だけで済ませ、友人や同僚などは、花を贈って、哀悼の意を示すからだ。 その顔達が、一様に厳しい表情を映していて、アランは思わずぶるりと震えた。 どうにも、慣れない。 逃れるために逸らした視線が真ん中に安置された棺を捉えて、天を仰いだ。 殺気立ってる理由だ。 真っ直ぐに歩いて、そこを目指す。 火葬にするためか、それは凄く簡素なものだった。 「ポール……」 唇を噛んだ。 彼にとってポールはパーティーの仲間、という事だけでなく、平時では一緒に遊んだりする友達であった。 ――今度はどっか遠いとこいこーぜー。 旅行雑誌を手にして楽しそうに笑っていた顔が思い出されて、泣きそうな気分になる。 「……いけねーじゃん……」 ボリスに緊張感がない! とか怒られそうだなぁー、とか言いながら計画していた旅行はもう実現しない。 ……彼が居ないから。 フェルナンにアランがからかわれてるのを助けようとして、彼もまたからかわれる、なんていう光景ももう見ることも、感じることはできないのだ。 (最期の声、なんだっけなぁ) 自分で最期、と言葉にしていることに痛みと、寂寥感を覚えながら、アランは首をひねった。何だっただろう。他愛もなくて忘れてしまったのかもしれない。こんなことになるなんて考えもしなかったから。 だから、だろう。 凄く顔が見たかった。 どれだけ悲愴な想いに陥るとしても。 恐る恐る伸ばした手を、無作法にあたるかもしれない、と思いだして一瞬止めたが、それでも、今回ばかりはと思い、棺に手をまた伸ばす。 「やめておけ」 手が棺に触れて止まる。 アランは緩慢に後ろを振り返った。 椅子に座っていた男が首を振っていた。 「何故?」 「見ても空だ」 端的に男は告げた。 え、と固まるアランを見、今来たのか? と問う。 「はい。さっき来ました」 「それなら知らないのも当然だな」 気の毒に、と息を零す男を、アランは怪訝な顔で見つめる。 「? どういうことですか?」 言われている事が理解できない。 空? どういうことだ。ここに棺があるというのに。 男はアランの怪訝な顔の意味を正確に読み取ったらしい。 首を振って、もう一度息を吐くと、やるせない表情でアランに言った。 「リーダーの側近が言っていた。……遺体は、無い、と」 それが何を意味するのか、アランは分からない訳ではなかった。 だからこそ、男が何を言っているのかが理解できなかった。 「え……?」 「奴が言うんだ。間違いはないだろうよ」 男の言葉をアランは無視した。 止めていた手を再び動かし、棺の中を見ようと蓋に手をかける。 男が「おい」と止めるのも聞かない。 ……信じたく、なかったから。 「……だから、言ったんだ」 憐れみが混じった、男の声が響いた。 同時にアランの膝が崩れ落ちる。 伸ばしていた手が力なく膝の上にのった。 「……なんで」 空ではなかった。 正確には空っぽではなかった“だけ”だ。 けれども、それは際立たせただけだった。 ポールの代わりに敷き詰められた、大量の百合の花。そして、ポールが使っていたであろう服と靴。 それだけしか、居なかった。 男の言ったとおり、ポールなど何処にも存在しなかったのだ。 「え、ちょ、アランどうした?」 棺の前で膝をついているアランを目にして、壁際で同僚と話しをしていただろうフェルナンが駆け寄ってきた。 目で男に問いかけると、男は軽く首を振り、棺を示した。 「中を見ただけだ。……あんたと同じ反応をした」 「あぁ……。……そっか」 「見ないほうが良いって言ったんだがな」 「無理だよ。ポールはアランと友達だったし、相棒だったから」 「……そうか」 「うん。……無理なんだよ」 何かを堪えるように奥歯をかみ締める。 そして、努めて明るい声でアランに話しかける。 「アランー。座るのはいいけど、床はやめとこうか」 「……フェルナン」 「ん?」 「……喰われたんだよな?」 アランの腕に手をかけようとしていたフェルナンの手が止まった。 手で顔を覆っていたアランは、その手を外し、今にも泣きそうな顔で、再度問いかける。何かを確認するかのように。 問いかけられたフェルナンは、伸ばしていた手を戻して、その端整な顔を歪めた。それでも聞かずには要られない。聞かないと、咀嚼できないから。 「奴らに食われたんだろ……?」 「……多分、ね。証拠は残ってないけど」 一呼吸を置いて彼は頷いた。 途端にアランの顔も歪んで、それからフェルナンは顔を背けた。 開いたままの棺。直視するには痛い、白。 座り込んでいるアランを尻目に、静かにフェルナンはそれを元に戻した。男が言った通り、彼も一旦これに衝撃を受けた一人だ。白い花を見て、アランの死角で唇を噛み締めていた。 しかしそれも一瞬のこと。 感嘆する位綺麗に隠して、アランの所へ行くと、柔らかなその金髪をくしゃりと掻き混ぜた。 「……なんだよ」 「座り込んだら立派なスーツに皺がつくよ」 「いいだろ、別に」 「良くないよ。ボリスとお前のスーツ片付けるの俺なんだからな? ちゃんと立つ。……それにそろそろ始まる」 「……分かった」 のそりと立ち上がった彼の動きは酷く緩慢だ。 頭の中ではきっと様々な思考が飛び交っていて、きっと整理するのに苦労しているのだろう。 「……覚悟してたよ」 「……知ってる」 「こういう仕事だからね。選んだのは……俺達だ」 「……そう、だな」 「こんな覚悟は嫌だけどね」 「当たり前だろ」 ひっそりとした会場。 見渡せば、全員が全員同業者。 世間から見れば、ただのアウトロー。“吸血鬼”という存在を信じている、前時代的なグループ。 けれど、“それ”は確実にいて、“それ”は確実に自分達を害す。 その事実が、……ハンターになって三年が経つアランであったが、初めて身に染みて感じた。チームの一人であり友達であった人を失って。 「フェル」 「ん?」 赤絨毯を避けながら、イスに向かう途中で、アランが小さな声で呼びかけた。 フェルナンがそれに応え、ふと彼の顔を伺い見れば。 「……オレ、分かった気がする。やっと」 「何が?」 「皆が殺気振りまいちまう理由」 泣き笑いに近い、表情。 それを直視して、フェルナンはぐっ、と何かに耐える顔をした。 「……哀しい、んだな。きっと」 「…………だろう、な」
外の雨はやまない。 零せない涙を代替わりするかのように。 日曜日のミサの度に聞かされていた聖書の言葉は、何も響いてこなかった。 |
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