暗い路地裏。 三日月の光がちらちらと見え隠れする、曇天の下。 星明りは無く、点々と寂しく立っている街頭だけが、その道を照らす。 眩い光が真っ暗な路地を照らすけれども、届かない場所では闇が蠢く。入ってきたモノを飲み込まんばかりに。 「ごめん」 アルトが闇の中で響いた。 人通りの少ない裏通り。 住宅も少なく、不景気の煽りを受けて閉店してしまった店が集まった場所。 その靴の裏が鉄なのか、カツン、と異常に良い響きがあたりに回る。 銃声。 風景に似合わない音が鳴り響く。 音の出所を辿れば、暗闇に紛れてよくは見えないが、年若い男のようである。 彼はしっかりとリボルバーのグリップを握り、アルトの主へと照準を合わせる。 「お前だろう!? リッパーをやった奴は!」 「さぁ? 君は何と言ったら納得する?」 「とぼけんな!」 閑静を引き裂く大きな音。 一発。 二発。 三発。 弾丸を詰め替える。 また一発。 それでも。 ――当たった感覚がしない。 音が空虚なのだ。 肉に当たった音がしない。 「くそっ……」 空しく響く金属音。 焦燥感に苛まれる男。 そして、全く反応のないアルトの誰か。 彼か、彼女か。 その人は、全く闇に紛れてしまって、表情が見えない。 ただ薄着な格好がぼんやりと街灯に照らされて目視できるだけだ。 カツン。 なんなのだろうか、この音は。 ただそれだけなのに、男は知らぬ間に体が震えていた。 寒いからかもしれない。 五月上旬になったとは言え、ここの夜は上着なしではしのげない。 だから認めない。 この震えが本能による警告だということを。恐怖によるものとはけっして。 「今ならさ」 憂いを帯びたアルトが彼の耳に届く。 揺らぎそうになる自分を、男は必死で宥める。 騙されるな。 奴は化け物だ。 倒すべき、敵。 「今なら見逃すけど?」 その人の表情は闇に隠れて見えない。 彼からは逆光だからだ。 見逃す。 この震えから、気持ち悪い感覚から逃れること。 それでも。 唇をかみ締めた。 「断る」 「……そっか」 「リッパーを殺めた奴が何を」 「――君らが殺した奴の事を覚えてないとでも?」 空気が冷える。 首筋がちくちくする。 それが合図だった。 もう一度、あの靴の音がして。 次の瞬間には目の前にその顔が。 「――っ!」 綺麗な顔がそこにあった。 どんな面をしている。 見たら、こんな時でも、その人は憂い顔で。 「ごめん」 その言葉をもう一度呟いた。 そこには、異常に長い犬歯が覗いていて、あぁ、これは疑いようも無かった。 だから、彼は全ての怨念を込めて。 だらりと下げていた銃と共に叫んだ。 「ヴァンパイアが――っ!」 次の瞬間、男は既に沈んでいた。 静かに眺めるその人。 やはりもう一度、そのアルトの声で、ごめん、と呟き、悲しそうな顔で無理矢理笑う。 見上げても月は覗いていない。 きっと空を覆っている、分厚い雲に隠されてしまったのだろう。 その人は、寂しそうに目を瞑り、ここの言語ではない言葉を呟く。何かのお呪いだろうか。 目を開けると、すでにそこには表情はなく、中に押し込んだように見えた。 その人はもう一度あの金属音を響かせると、とんとん、と身軽に駆け、すぐに暗闇に溶けて紛れてしまった。 もう、姿は見えない。 残された男の影。 くすんだ黒髪の男がそれを回収しにきたのは数十分後。 彼もまた、ごめんと呟いた。 事実も真実も。 見ていた者は誰も居ない。 |
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