「姫様! 朔姫様! ご無事ですか!」

 自分の世話をしてくれていた侍女の一人が、私を見つけて何か叫んでいる。

 けれど、私は全く反応を返せなかった。

 目の前のソレに目を奪われて。

「燃えてる……」

邸が、自分が生まれ育った家が燃えていた。

正直、あまり驚いていない。

怒っていないか、と問われたら、否と答える自信はあるが。

父や周りの同族、そして奴ら、樹冬の動向を見ていたら、近々こうなるだろうというのは分かっていた。

妹もこの事を詠んでいたから、推測は確信に変わっていた。

 樹冬が、分家の奴らが、我ら宗家“嶺夏”に反乱を起こすだろうと。

 昨日の密会も、父や叔父らとその事についての話だった。

 この事に我らも便乗させてもらう、と言う事の。

 けれども。

 自分の家といえるものが、他人に奪われたという感覚は、自分の中の何かをごっそり盗られたような感じで、正直気持ち悪くて、悔しくて、悲しかった。

「おい、朔」

 後ろで自分が降ろした神が呼んでいる。

 振り返るのも億劫であったから、そのまま応えた。

「何だ?」

「……そろそろ、崩れるぞ」

「そうだな」

「この辺にも火の粉が飛ぶぞ」

「だろうな」

 後ろでため息が聞こえた。

 気配が近くなる。

 害を与える気は無さそうであったから、放っておいたら。

「っ? 離せ!」

 肩に担がれた。

 そのまま燃えている家を後にされる。

 それが名残惜しくて、蹴ったり殴ったりしてみるが、神である彼には、否、依り代に宿っているだけの彼には、痛覚が無いから、反応さえ返してくれない。

 仕方が無いので、名を呼ぶ。

「満月」

「おう、何だ」

「降ろせ」

「やだね。またお前、あそこに戻るつもりだろ?」

 返す言葉も無い。

 あそこにいてどうするつもりだ、と問われても、ただ居たいから、と応えるしかない。それに、あそこに居て不利益がでたとしても、利点など欠片も無い。

 よって、反論は不可能。

 自分で自分に引導に引渡し、一人落ち込んだ。

 視線だけ燃えているソコに向けて、遠ざかっている様をただただ眺めた。

 それを見ていたのか、感じたのか、満月は呆れたように話しかけてきた。

「未練か?」

「さぁ、な」

「五で俺を呼び出し、十で閣議に出され、その歳で将軍と呼ばれている奴の態度とは思えないな」

「勝手に言ってろ。周囲が勝手に祭り上げてるだけだ」

 あぁ、家が、私の拠り所だった場所が崩れ落ちていく。

 思えば、こいつを降ろしたのも、あそこの庭だった。

 いきなり、満月が頭を軽く叩いてきた。

「何だ?」

「可笑しな奴だな。人の生き死にでは一喜一憂もしない位なのに、家一つ焼かれた位で落ち込むのか」

 流石にむっとして睨みつけてやれば、奴はぎょっとした表情を浮かべた。

 おいおい、と言いながら、顔を掻いている。

 良く分からない反応に首を傾げていると、布を被せさせられた。

「泣くな」

「は?」

 私が、泣く?

 何を、馬鹿な事を。

「俺は、お前が泣くのが一番苦手だ……」

 そんなの知らん、と言い返したかったが、こいつが聞く耳を持つはずが無いので諦めた。

 目を擦れば、確かに濡れている。

 泣いて、いた?

「そんなはず、ないか」

 かぶさせられた布を少しだけ空け、燃え滾る炎を見つめた。

「消えろ、弱い私」

 もう、振り返らない。

 私の拠点は失った。

 弱くなる場所も失った。

 残るは、将軍である私のみ。

「満月」

「あ?」

「もういい、降ろせ。戻りはしないから」

「……ほんとだな?」

 懐疑的に私を見る満月に一つ頷いてみせると、やれやれ、と言うかのように息をつき、私を降ろした。

 被せさせられていた布をみると、見たことの無い文様、そして微かに漂う力の気配。

 先に歩いている満月が創造したのだと、一瞬で分かった。

 基本、これがあるから、こいつは持ち物がいらない。

 想像一つで創造出来る神。

「朔様!」

 横から少年が飛び出してくる。

 あの侍女と同じ顔をした少年。

「どうした」

「……いえ、ご無事で何よりです」

「お前も。……妹はどうした」

「大丈夫です。避難してます」

「分かった」

 一つ頷くと、従者である彼に命令を下す。

「……多分、“これ”が終わるまで無い、最後の命令。鴛、父いや、帝と皇神の元に案内しろ」

「御意」

 

 

 もう、振り返らなかった。

 

 

 

 

――姫将軍

 

 

 

 昔、この国にある一人の男がいた。

 そいつは、神を降ろす事ができる“舞士”で、紅と呼ばれていた。

 紅は、舞士の中でも特別だった。

 彼だけ、降ろせる神の力量が半端なかったのだ。

 何年か経ち、この国が荒れた時、彼はいつも渋っていた力を全部曝け出した。

 そのお陰で国は安定し、また平穏に戻ったのだ。

 たった一人で、乱や天災を止めた彼を、“皇祖”と呼び、彼が降ろしたという神を“皇神”と呼んだ。

 そして、その血筋を引くのが “嶺夏”であり、その分家である“樹冬”だった。

 

 宗家である“嶺夏”は、頂点にいるものとして、皇や、将軍の任、要所の守人となった。

 分家である“樹冬”は、嶺夏の影として、基として、従者や、斥候、大臣として嶺夏を支えた。

 この体制がずっと続き、上手くいっていたはずだった。

 しかし――。

 

六年前、その均衡が崩れた。

宗家の上に行こうとしたかは分からない。が、王権をひっくりかえす反乱が起こったのだ。

けれども、宗家の力は凄まじく、王族全員が最高位である甲の舞士。その中でも、皇の皇神、そして“姫将軍”と呼ばれる皇女は創造の神を降ろし、反乱は不可能だと思われていた。

思われていたのだが、何らかの要因があったかはしらないが、反乱は成功、宗家と分家の勢力は逆転した。

だが、表向きは全く変わらない。

彼らは成り代わりを望んでいたのやもしれないが、周りの者が止めたのか、分家の者は“幻影”の神、あるいはその舞士の能力で、民を、臣下をたばかり、“本物”の宗家を演じた。

――肝心の宗家は。

彼らが誇らしげに誅したという宗家の者は。

死体を、否、幻影を消し去り、傷一つ無く生き残っていた。

 

市街に身を潜めながら。

 

 

 

 

 

反乱から6年後。

 

市街地の端の方。

貴族達のように豪邸では無いが、立派な門構えの邸の一つに皇族、宗家、嶺夏の一角である兄妹が隠れ住んでいた。

六年前までは、何不自由無く暮らしていた彼らからすれば、不便極まりない邸、生活なのだろうが、そんな事を思っているそぶりは欠片も見せずに、彼らは生活していた。

今、邸の中には少女が二人。

その内の一人、名通りの漆黒の髪に、中性的な顔立ち、鋭い目つきの持ち主、朔は、二階の自室から一階におりてきた。

――六年前の反乱の時と変わらない、いや、さらに鋭くなった感覚と共に、彼女は成長していた。

実際、六年前はその顔立ちも手伝って、少年なのか少女なのか分からなかったのだが、今は身体も女性らしく成長し、……前よりではあるが、女だという事を主張している。まだ、分からないという時もあるが。

一方で、もう一人の少女、彼女の妹“翡翠”は、目を瞑りながら、織物をしていた。

姉とは対象に、触れたら折れそうな肢体に、乳白色の髪、柔らかな目元。穏やかな風貌に、焦点が合わない翡翠色の瞳。

その瞳を朔に向け、翡翠は小首を傾げた。

「姉様、またお出かけですか?」

「あぁ。少しふら付いて来る」

「――憲兵が大通りにいます。お気をつけて」

 少し目を瞑り、翡翠は“何か”を感じ取り、そう忠告する。

 その言葉を朔は微塵にも疑わず、素直に頷いた。

「ありがと。今日は裏道からいくことにする」

「その方が懸命だと思います」

 にこっと微笑むと、彼女は再び機織の手を動かし始めた。

「瑠璃殿、いるか?」

「ここに、居ますわ」

 朔の背後に、翡翠に劣らない少女が現れた。

 金髪の編みこんだ髪に瑠璃色の瞳、白雪のように透き通った肌の色。その身を宮廷の女官のような煌びやかでもなく、けれどけして気品を失わない、上品に染まった薄紅色の衣に通す。

 人ならぬ美しさを持つ少女。

 明らかに年下の彼女に、朔は頭を下げ敬意を示しながら頼んだ。

「瑠璃殿、翡翠を頼んでもいいだろうか?」

「えぇ。言われなくても、ちゃんと世話をするつもりですわ。だから、安心なさって、朔」

「すまない……」

「いいんですよ。――さぁ、今日も情報収集でしょう? いってらっしゃいませ」

「……いってきます」

 また一礼し。機織の手を休めないながらも、にこにこと笑いながら見送ってくれる妹に、見えないだろうが手を挙げ答え、朔は家の外へと出て行った。

 

 

 

 

 

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