「軍の方が、私にいったい何のようです?」 翡翠がこの重々しい空気に参ってしまったから、仕方が無く出て行くと、物々しいよろいを身に付けた男達が外で待っていた。 ざっと、10人。小隊が二つか。 自分の目の前には、隊長格であろう男が、少し緊張気味に立っている。推定20代。30にはまだ2、3年は確実かかる程度。若いのにここまでのし上がるとは、中々の実力の持ち主。それとも、軍養成学校にでも入っていたか? 胸に目をやると、桜の花をかたどった勲章が一つ、二つ。 ――桜花章授章者、二つという事は位は中尉程度か。 何気なく観察していると、私を見て呆然としている視線とぶつかった。 ――もしや、こいつら。 自分と六年前までに顔を合わせたことのある奴ら? その頃はもう私は将軍職についていたから顔を見られていてもおかしくない。 そして、私が最初に軍に顔を出したのは、確か……、九年前。 私が十歳の時だ。 六歳で天界のはざまに落ち、満月と偶然にも遭遇して、なんだか良く分からないまま舞士になった事、十分な教育が受けさせられていた事を認められ、周囲に早いといわれながらも、異例の10という齢で閣議に参加する事を許された。 皇神の進言に、父上は心配そうな顔をなされたけれど、政の、軍の世界はとても興味深いものだった。勉学で習ったお綺麗な策が通用しない。その事だけで私は驚き、新鮮で、そんな所に身をおくというのは、公務――臣民の前で舞を奉納する等の事よりもずっと楽しかった。 もしも、だ。 その三年間の間に、幼かった私を、この将校が見ていたのだとして。 もし、この将校らが樹冬の奴ら側の人間であったのだとしたら。 ――街の奴らがヤバイな 自分達の身の心配などしていない。 なにせ、こっちの守りは完璧だ。自分ひとりだったとしても、この10人からなる小隊を潰す自信が自分にはある。 それに、万が一、中隊や大隊が来たとしても、こっちには、“鬼才”の兄、颯、予測能力を持つ翡翠、双子の舞士、鴛と鴦という私を含め、格付け“甲〜乙”の舞士だ。隊長はともかく、そこらの兵卒に負けるはずが無い。例え、消耗戦を狙われたとしてもだ。 ……無いのだが、周りへの被害が凄い事になるというのは、悲しいが否定できない。 と、隣に鴛が立った。 視線だけ向けると、瞳はまだ緋の瞳のように紅くはなっていなかった。ということは、降ろしていないのか。 どうした? と目で問うと、そっと耳打ちしてきた。 「――満月様が、俺を出せ、と」 「……馬鹿と伝えて。まだ敵とは決まっていない」 「――後者の方だけ伝えておきます」 いつもはため口のはずが、昔に戻ったかのように鴛が敬語調で話した。 ソレが気になったから聞いてみたら。 「いや……。なんか、朔が。昔に戻ったような気がしたから」 「まだ、戻っては居ないよ。今は、まだ。――満月を抑えていてくれ」 「御意」 否定はしたのに、軍の気配に昔に戻ってしまったのか、鴛は一礼して家へ戻っていった。 と、同時に満月の気配が刺々しさを増した。わざとに違いない。 それを意識の外に追い出し、目の前に立っている中尉らしき男と対峙した。 彼は、私の意識が自分に向いたと分かると、軍式に敬礼して見せた。 「ごぶさたしております」 「何の事ですか? 私は貴方に会ったのは初めてだと思うのですが……」 普通の一般市民を装いつつ、さっさと帰ってくれることを願っていたが。 その願いは届かなかった。 つまりだ。 この中尉は、かなりしつこかったのだ。 こんな私の態度にもめげずに、笑ってさえみせた。 「私はそうかもしれませんがね。あの時は、ただの一等兵でしたから。――月読将軍? 己の軍を忘れたとは言いませんでしょう?」 「月読将軍? 今は御殿にいらっしゃるのでしょう?」 これが、失言だった。 中尉はにやりと笑ったのだ。 「月読というのは将軍名ですよ? 一般の人が王族の方だと分かるでしょうかね?」 しくった。 本気でしくった。 顔には出していないが、これが普段であったら盛大に顔を顰めているところだ。 将軍職、というのはややこしいもので、皇族のものがなる事も確かにあるが、あの席は実力主義。例外なく強いものが付く位。皇族であろうが、貴族であろうが、一般人であろうとも。そんでもって、さらにややこしいのは“神”の名が冠される事。 将軍、将軍を含め軍の中では、出生は一切明かされない。そうでなくては、実力主義なんてものはできないから。 この事から言えるのは。 一般人、臣民であるのなら、“女将軍”が“皇将軍”だとは知らないのだ。 しかし、何故、こいつが知っている? 私は滅多に、いや、全くと言って良いほど公務には出ていないから、軍にでている女将軍とは繋がらないはず。 目の前の将校をまっすぐに見据える。 少々緊張した面持ちで私の視線に耐える中尉。こいつ、中々出来る。 そして、今まで意識の外に出していたが、樹冬のまやかしを跳ね除けるとは、上の下位の力は持っているという事だ。 中尉は少し微笑んでみせた。豪胆な。 「この小隊を見て、たじろかない女性なんて、私は月様しか知りませんよ。――見てください」 中尉は、9人の部下達に腰布を出させた。――舞士の格付けを示す布。 全員が橙。赤に近づくほど強く、青に近づく程弱いとされる。 私か? もちろん真紅だ。だから橙程度の舞士なんて恐れるのに値しない。演技をした方が都合がいいのだろうが、それも癪だ。この程度を恐れるなんて。 けど、まぁ、一般的に見たら、高位の者なんだろう。一応、赤みが入っているからな。 全くと言って良いほど表情を動かさない私を見て中尉は苦笑した。 「ほら、月様だけです。ここに来る途中なんて、皆さん膝まずかれて……」 そうだろうな。 滅多に現れない舞士、しかもそれの上位の者が現れたら、恐れ多いに決まっている。 ――って、月は……。 密かに呼ばれていた懐かしい響き。 私の軍の中での名称だ。 出生を明かさないために、名を取り上げられ、上から名を貰う。皇族だろうが、しきたりはしきたり。私も例外なく取り上げられ、朔ではなく、月と呼ばれていた。 「月様。何でこんな事になっているかも、御殿にいる月読将軍は誰なのかも問いません。ただ――」 「お戻りください閣下!」 「お前ら!」 中尉の言葉を聴かず、彼らは一斉に膝を付いた。 拝命する時の格好。 そして、その格好は月読軍特有の、私が居た時に、小さかった私を気遣ってやってくれていた格好。 「偽者の将軍の命令なんて聞くのもうんざりです!」 「閣下に忠誠を誓ったのに、何であんな奴らに!」 「偽者の言う策が素晴らしすぎる事。貴方が居ないと、うちの軍は纏まらない」 正直言葉が返せなかった。 こんなに私の戻りを待っている奴がいるなんて、この六年間考えた事もなかった。 ただ、父上の策が成功するのを手伝ってきただけ。 自分の部下達も、今の将軍に疑いもせず付いてきてるのだろうな、と思ったくらいだ。 中尉は部下達の様子に苦笑しつつ、自らも膝を付いた。 もう、小さくないのに。 「私ら10人は代表です、月様。月読軍は、全員で月様のお戻りを望んでいます」 全員? もうばれているのか!? これは、少し予想外だ。 計画が少し早まるかもしれない。 頭の中で報告の段取りを決めながら、私は一通り兵達の顔ぶれを眺めて見る。 知らない顔の奴もいれば、知った顔の奴もいた。 多分知らない奴は、当時、外へ任務に行っていた奴か、私が消えた後に入った奴だろう。 中々口を開かない私に焦れたのか、中尉はとうとう切り札を切ってきた。 「それでも否定なさるなら」 「どうすると? 拷問でもしますか?」 楽しげに笑って見せれば、真剣な顔で首を振られた。 「額を見せてください」 「え」 「月様なら、御印があるはずです」 「この額布は」 「御印が無いのならば、ご無礼、謝ります」 とうとう、切られた。 御印。 皇族の証でもある、額にくっついている黒曜石みたいな印。 こいつからは、たっくさん力が放たれるから、開放すると面倒な事この上ない。 だから、兄上も翡翠も私も、呪式が書かれたこの額布を例外なくつけている、 でもって、こいつを取ると、満のやつが暴走する可能性が高い。久しく開放していないからな。神界にも全く戻っていないようだし。 ただでさえ苛立ってる奴に、開放するような手助けは出来ない。 大惨事になることが丸見えだ。 「月様?」 「閣下?」 目の前には、かつての月読軍が私と思い疑わず、立ちはだかっている。 ――頃合か? いや、まだ勘付かれるわけにはいかない。 かといって御印を出すのにも是とは言えない。満の暴走を抑えるなんて無茶は極力避けたい。今は父上の手助けも、皇神の手助けも期待できない。出来ても兄上のみ。 いつもは三人? の援護があって出来るのに、1人じゃキツイ……誰がって兄上が。 だとしたら、道は一つか。 「後悔、するなよ?」 平常の口調に、中尉らは、顔を綻ばせ、私が取り出した真紅の布に目を見開いた。 「甲?」 「やっぱり……っ!」 「月読将軍だ!」 創造が事実に、奴らの中では昇華したらしい、 だが、そんなモノは知らない。 「満月、降りてくれ」 『御意、我が相棒』 頭の中で、満が降りた声がした。 きっと、今の私の目は、満の目のように金色に光っている事だろう。 『何で俺をさっさと出さなかったんだよ』 拗ねたような声が頭の中でした。 『しかも、何で降ろした? その印を開放したらすんだ話しだろ?』 『そうしたら、お前暴走して、あたりが血の海になるだろう?』 『……否定はしない。けど、お前……』 『私の身体なら心配するな』 神を降ろすというのは、恐ろしく体力の居る仕事だ。 満はそれを心配して、あんなにも開放しろという思念を送ってきたというわけか。 『結界を張ってくれないか? 奴らと話しをしたいが、今のままだと盗聴の危険性がある』 『分かったよ。俺にも話させろよ?』 その声が頭の中で弾けた瞬間、私の手が勝手に動き、同時に外の騒音が全て消えた。 結界が全てを覆ったのを感じ取り、目を開けると、満が隣に立っていて、少しはなれたところに、おや? といった表情を浮かべている兄上と、小隊の気配に怯えた様子の翡翠。そして、その真向かいに、中尉らの招待が呆然としたように私達を見ていた。 嶺夏の三兄妹。 天才神祇官に、多才な戦姫、国の象徴にもなっている姫君。 この国の顔とも言える、否、言えた三兄妹が目の前に立っているのだから当然か。 視線に耐え切れなくなったのか。 翡翠がよろよろとした足取りのまま、私のほうへと近づいてきた。 危なっかしいので手をとってやると、そのまま私に抱きついた。 「ね、姉様」 「どうした?」 原因は分かっている。 けれど、あえて聞く。話すほうが落ち着くだろうから。 「軍の気配が間近に……っ。それに、満月さんの力が」 妹は極度に力を恐れる。
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