それはどういうことか
――今から二十数年前の事。 場所は、今よりも下町然としていた、秀薇坊である。 「あれ? 巽李じゃない。今日は早いね」 いつもは塾とか、色々と大変そうにしていて、遊ぶときは大抵一番最後にやってくる巽李なのに、その日は意外と早く、私の次に来ていた。 集合場所である、うちの大きな楠の枝の上に座っていた私は、キョロキョロとしている巽李を見つけて、名前を呼びながら手を振る。 気づいた巽李は小さく振り返してくれ、それからまた回りを見渡し、怪訝な顔をした。 「仙姫。皆は?」 「青架は今日は来ないって。で、玄翔は凰畢に奢らされてて後から合流。彩鈴は麗華を連れてくるって」 「僕より遅いって、珍しい……。ん、ありがと」 「いーえ」 納得したらしく巽李は頷くと、今度はちょっと真剣な顔をして私が座ってる楠を見つめる。 「……隣良い?」 「上ってこれるなら。手貸そうか?」 「いい。……多分」 「前みたいに落ちないでよ……? 玄翔居ないんだし」 前回やった時は見事に落ちて、下に居た、無駄に体格の良い玄翔が受け止めた、という事実があるだけに、すこーし心配。 かと言って、この様子で手伝おうとしたら、むっ、とした顔して、逆にムキになってきそうだからなぁ。まぁ、そうなったとしても、そうなったで、腕っ節ならまだ負けないつもりであるから、怖くはないんだけどね。 ただ、機嫌を損ねさせるのが忍びないだけ。 塾帰りかもしれないし、結構不自由そうな生活してそうだから。 真剣な顔でどうやって登ろうか考えてる顔を上から眺めながら、私は小さく笑ってしまった。 だって、慣れすぎてて、私には考えるようなものじゃなかったから。 「どこ掴まるか言おうか?」 「いらない。……っていいたいけど、分かんない……。教えて」 「分かったー」 真剣だった顔が解れて照れ顔に。ちょっと可愛い。 そう思いながらも、私はそこよーと指を指す。 「右手の……、そっちじゃなくって、もう一つ上の窪みに手やって、足はちょっと遠いけど洞にかけるの」 「こ、こう?」 「そうそう。それで、枝落としたとこあるでしょ?」 「ここ!?」 「それ。そこに反対の足。後は分かるわね」 「無理!」 「もーっ! 後は――」 うちの家の裏で私の声が飛び交う。 通りの人がなんだなんだと門からちらちらと覗いてきて、私と巽李を見ると、あぁ、と納得したように通り過ぎていく。 お転婆として私は結構有名だったのだ。 どれだけ声を飛ばしてただろう。 何回か落ちかけて、その度に踏ん張って、ようやく巽李は私の枝にとたどり着いた。 最後に手を伸ばしてみたけど、予想通り私の手は取らなかった。自分の力で登りきりたかったみたいだからね。 「はい、お疲れ」 「……疲れた……」 まだ息が荒い巽李に、偶然持ってきていた竹筒を渡すと、中に入ってたのを半分位飲み干してしまった。 それから、申し訳そうな顔になってごめん、と項垂れた。 どこか子犬然としていて、撫でたい気分になってたけど、それをやると巽李は拗ねるからやらない。 もう一本あるから気にしない、と出して見せれば、そっか、と安心したような顔になって、さっと引き締めてた。 「お疲れの巽李君に、桃まんをあげましょー」 「桃饅頭?」 「そうそう。暇だったから作ってみたの。食べる?」 「うん、食べる」 少し冷たくなった桃まんを渡せば、嬉しそうな顔をして彼は受け取った。 隠してはいるけど、結構甘いものが好きみたい。 玄翔も凰畢も桃まんに関しては大好物で、彩鈴と麗華は言うまでもなかったから、今朝方にお母さんに混じって作ってたのだった。 ――あー、結構上手くできた、かな。 自画自賛。 程よい甘さで、普通に美味しいと思う。 「美味しかったよ」 「んー、ありがと」 巽李もご満悦顔で、あ、満足してくれたんだー、と嬉しかった。 自分のを食べ終わり、枝に吊るしていた竹筒の水を飲んでると、巽李がこっちを見ていた。 どうかした? と問うと。 「あ、ううん。仙姫、珍しいなーって」 「? 何が」 「髪飾り付けてる」 耳の上につけていた、桜の花飾りを指差す巽李。 あぁ、と頷く。 お父さんに市で買ってもらったものだった。 木登りには裳はむかないけど、髪飾りなら別に邪魔にはならない。可愛いものは嫌いじゃないし、お洒落だって興味がないわけじゃない。 だから、たまには――、と思って控えめながら付けてきてたのだ。 「誰かに貰ったの?」 「ううん、お父さんに買ってもらった。良く分からないけど、びっくりしてたよ」 これ買ってー、と言った瞬間、目剥かれたのには、私の方こそ吃驚した。 あぁ、お母さんはこういうの好き、っての知ってたけど、お父さんは知らなかったんだっけ……。 「仙姫の父上は、仙姫の好み知らなかったんだね」 「そうみたいねー。あの時の顔は絵にして残しておきたい位だったよ」 「そんなに凄かったんだ」 「目をこおおんなんにしてた」 かっ、と見開いて、お父さんの顔を再現してみせたら、巽李も目を丸くして、耐え切れなくなったように笑い始める。 「そ、そんなに凄かったんだ」 「凄かったよー! しかもあのお父さんの顔でやるからね」 官吏のお仕事がお休みで、庭弄りをしていたお父さんを見つけて手をふる。 お父さんもまたか……、とばかりに、遠目でも分かる位肩を下ろしてたけど、やっぱり手を振ってくれた。 「まぁ、見ものだったからいいんだけどね」 「仲いいなぁ」 「そう?」 「うん」 私とお父さんを見て、それからこくりと頷いた。 ちょっと羨ましそうな顔をしている。 よっし、この話題は振らないでおこう。頭の中でそう決めた。 そう思うと、巽李の事は私は、私達は全然知らない。 市で、その辺のゴロツキに絡まれてたのを、私達五人で撃退――腕っ節で玄翔と青架と私が、彩鈴と凰畢は口で、麗華はにっこり笑ってただけ、だけど怖かった……――したのがきっかけで遊ぶようになっただけだったから。 秀薇坊の子じゃないのは確か。だって、そんな子はいないよ、ってお父さんが言ってたから。 巽李に聴いても、内緒じゃ、ダメ? と言ってきたので、それ以来聴いていない。 子供の間では、身分とか、住んでる場所とかは、あまり関係ないから。 友達は友達だ。 巽李は集合場所であるココに来てくれるし、普通に遊ぶから、もう皆あまり気にすることはない。 ただ、何処に住んでるんだろうねー、位は時々思うけど。 私が思うに、塾行ってるし、着てる服も彩鈴が言うには、結構高いらしいから、貴族さんじゃないかな、と。言ったら距離をおかれそう、とか考えてるから言わない、ってな風に思ってる。口には出さないけど。 「仙姫?」 「あ、ごめん、ぼーっとしてた」 「そっか。声かけても反応しないから、ちょっとびっくりした」 「ごめんねー」 大丈夫、と首を振る巽李は、一個下なんだけど、そうとは思えないくらい大人びてる……、と感じることもある。桃まんの事もあるから一概にはいえないけどね。 そんな思いに耽ってると。 巽李が私の髪に触れた。 「ん?」 どうかした? と問えば、何でもないよ、と首を振って、それでも私の髪から手は離さなくて、気持ち良さそうに手で梳いてる。 時々凰畢もやってくれるけど、ちょっと照れる。 「あのさ」 「ん?」 されるがままになりながら首を傾げれば、巽李が私の髪を弄りながら、照れた顔で私に言うのだ。 「僕がさ」 「うん」 「髪飾り買ってきたら、つけてくれる?」 拍子抜け。 なんだ、そんなことか。 「ダメ?」 ほら、またそんな子犬の顔。 私はんー、と思案してみせた。 「……綺麗なのだったら付けてあげる。私に似合わないのだったら付けないよ」 「似合うの選ぶよ!」 「なら付ける。それでいい?」 「ありがと、仙姫」 本当に嬉しそうに、巽李は笑った。 ここまでの満面の笑みを見たのは、また遊んでもらえる? と聴いてきたときに、玄翔が即答した時以来かもしれない。 なんとなく、その顔を見ていると、彼はその嬉しそうな顔のまま、私の髪をなおも梳き、それから桜の飾りにちょん、と触れて、目を細めたのだ。 「それから」 「今度は?」 「それ、似合ってるよ。可愛い」 息を呑んだ。 巽李はまだ嬉しそうに私の髪に触っている。 何故か編みこんでいるその手を眺め、頭の片隅で器用だな、と思いながら私は、こつんと彼の頭を叩く。 「マセガキ」 「いたっ」 「そんなに強く叩いてない」 「仙姫がそう思ってても」 「……ありがと」 それに照れが入っていないとは言い切れない。 巽李は、ちょっとだけ固まって、それから、どういたしまして、と笑った。 |
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