洛中の人々
 
 
帝、苑・奏悸の場合
 
 
 
銘国の帝の執務室にて。
「陛下!」
 数名の貴族達が、一斉に執務室に入ってきた。
 中に居るのは、この国の帝、苑奏悸と、その側近、翠刑部侍郎。
 それを見とめ、貴族達は机の前に寄った。
「何かあったのか? そんなにも慌てて」
 不思議そうに問う帝に対し、貴族達は立腹だ。
「何かとはっ」
「陛下、また縁談を断られましたね!」
「いったい何回目ですかっ」
「縁談も受けないとは、反対勢力から批判を真っ向に受けますよ」
 苑奏悸は、先帝の長子として生まれ、叔父との帝位争いに勝利し、現在の地位にある、臣下からも、
国民からも、聡明と名高い方である。
 民の声にも十分に応え、貴族達との交渉も上手くやってきており、反対勢力からもけちの付けようが
ないほどの完璧さ。
 しかし。
 唯一つ、先帝や、前の帝達とは違う、困った点があった。
 齢19にして、未だ后どころか、妃の一人さえ居ないのだ。
 つまり、後宮の中は空っぽ。
 かつて華やかだったその場所は、今は空しく鳥たちが鳴くのみだ。
「いい加減、妃の一人でもお持ちください!」
 この数名の貴族達は本気で奏悸を心配している人たちで、けっして自分たちの娘を! と、媚びてるわけ
ではなかった。
 もしかしたら、少しだけ狙っているかもしれないが……
 奏悸は少しだけ首を傾げ、口を開いた。
「といわれてもな、面白そうな娘が一人も居ない。そんな妃は要らないな」
「その言葉は聞き飽きました……
「なら覚えてほしいな」
「ならば、我らの言も覚えてください」
「記憶はしている。実行しようとしていないだけだ」
「陛下。それは偉そうに言うことじゃありませんよー」
 側近として、側に控えていた琉李がからかうような口調で参戦してきた。
「皆さん、あとは俺が言っときますんで、とりあえず仕事の方に戻っては?」
「う……。後は頼んだ」
「頼まれました」
 貴族方は、一礼して執務室から出て行った。
「可哀想じゃないですか、せっかく心配して言ってきてるんですよ」
「そう言われても、自分が妃にするなら、好きな相手を入れてもいいとは思わないか?」
「思いますけど、一人も入れていない貴方に説得力はありませんよ」
……一本捕られたな」
 不貞腐れたようにつぶやくと、奏悸は外に視線を向けた。
「騒がしいな」
「えぇ、科挙の時期ですから」
 合格率三千倍を誇る、科挙。
 貴族ではなく、一般庶民も受ける、官吏になるための試験。
 今回の試験は、見事進士になったものが受けれる試験であり、この側近である琉悸もこの試験を
受けた者の一人だった。
 そして、見事第一位の伏元になったと言う経歴の持ち主だ。
 翠家の長子で、科挙なんてものも受けなくとも、それなりの地位にはいけるにも関わらず、この男は
16位で受け、見事合格し、20歳からの仕官の所を、17で仕官し、今の地位にいるのだ。
 見かけによらず、意外と頭がよかったりする。
「君も受けたな。あの時の回答は面白かった」
 奏悸はクスクスと笑う。
「そりゃあ、最後の一問はふざけましたから」
治水が出来ていないが、どうするかか。君の答えは確か……
「見てないものは分からん。自分でその場所を見てから考えやがれ! あとさっさと地盤固めろ、ばー
か」
――だったな」
 その時はすでに先帝が病気だったから、太子として見なければならず、執務室に座っていたところ、
一問を除き、全問正解の者がいる、と言われたので見てみれば、あろうことか、剣を共に学び、門下侍
中共に時々遊びにやってきた、翠琉李の回答ではないか。
 それなのに渋面だったから、何事かと思えば最後の一問がかなり無茶苦茶な回答、そして、思いっき
り私信が入っていたのだから、驚きだった。
「まだ、剣を一緒に習っていた時期ですから、口調もそんな感じだったんですねー」
「私は、お前が今、敬語を使っていること自体が驚きなんだが」
「え、なら、普通に戻しても?」
……夏水宮の時以外はやめといたほうがいいと思うが?」
「ですね。不敬罪で、俺の首が飛びますからねぇ」
 肩を竦めて笑うと、琉李は外の窓に目をやり。
「はっ?」
「どうした? 琉李」
「ちょ、ちょっと待ってくださいっ」
 そのまま、窓へ向かい、じっと外を見つめる。
 確かその方角は、礼部の部署がある。
「どうかしたのか?」
「何やってるんだ、あいつ……っ」
 話を聞いていないな。
 奏悸は、机から立ち上がり、琉李の方へと向かう。
 琉李を見やり、視線を追えば、礼部で忙しそうに走り回っている少年とぶつかった。
 まだ成人の域は超えておらず、少年ではなく少女と言われても頷けるほどの中性的な容姿だ。
 貴族ではないのか、あまり飾りは付けず、簡易な服装で仕事に励んでいる。
 仕事ぶりは、有能そうだが?
 心配する要素はどこにも無さそうなので、首を捻るが、琉李はにらめ付けるかのように、その少年の
事を見ている。
 少年のほうも忙しく動き回っていたが、ふとした拍子にこちらに視線がきた。
「げっ」
 確かに、こう動いたように見えた。
 自分たちのほう、いや、正確には、琉李の方を向いて、あらかさまに動揺した。
 知り合いなのだろうか?
「琉李、あの少年とは知り合いなのか?」
……一応。何であいつ……
 困惑してるのか?
「まぁ、いい。少し礼部の方に視察に行ってくるよ」
「俺も行きます」
「そうか」
「ちょっと気になるんで」
 と言って、また黙り込んでしまった。
 よくは分からないが、行って見たら面白そうなので、奏悸はでかけることにした。
 
 
 
 
 礼部の方へいくと、皆が一斉にこちらを向き、礼をしていくるのを片手で制し、仕事を続けるように
言った。
 奏悸は、礼部尚書の所まで行き、進み具合を問うた。
「どうだ? 採点は」
「大方は終わりました。あとは順位だけですね」
「そうか。上位10名の答案は私のところに持ってきてくれ」
「御意」
 一礼する尚書に戻るように言い、奏悸は琉李を探した。
 少し視線を動かせば、居た。
 端っこのほうで、かの少年と話をしている。
 面白そうなので近づいて見れば、琉李は気づかずそのまま話をしていた。
「で、何でお前がここにいるんだよ!」
「さっきから言ってるだろ! 兄さんの手伝いだって」
……お前、本当に荒っぽい言葉似合うな……
「変なとこで感心するな、阿呆!」
 漫才を展開していた。
「お前馬鹿だろ? 何で琉李みたいなのが、主席で合格したのかがわかんねぇ」
 そこは私も同感だ。
「しらねーよ。塾に8年位通っていたら当然だろう?」
「無駄なお金。あ……俺に頂戴?」
「お前だって稼いでるだろ? 反物屋の娘がっ」
「馬鹿っ!」
 すごい勢いで殴られた……
「ってぇ!」
「俺は、舜・鈴明じゃなくって、舜・滋雲なんだよ。覚えとけ、阿呆」
「へぇい」
 女……
 確かによくよく見れば、少年らしい格好で誤魔化してはいるが、女性特有の柔らかさというのは誤魔
化しきれていない。
 そういえば、声も結構高かったな。
……舜、鈴明、か。
面白い。
奏悸は思わず笑い声を上げてしまった。
「へ、陛下!」
「やべっ」
 少年、否少女は、そのまま琉李から離れ、怒涛の仕事場へと戻って行ってしまった。
「き、聞いてました?」
「残念ながらしっかりとこの耳で聞いたぞ」
……あいつが女だと言うのも?」

 直接的な言い方は、交渉には不向きだぞ?

 と、言ってやろうかと思ったが、その顔があまりに真剣だったから、真面目に答えてやった。
「それは、どうたったか。確か、女性官吏は少なかったが、舜性の者はいなかったな。……が、礼部も
今は忙しいだろう。多少の手助けは合った方が効率がいいな」
「ありがとうございます……
 心底ほっとしたように琉李は頭を下げた。
「でも」
「でも?」
「とても面白い娘だな、舜、鈴明」
「とても面白い娘って……、もしかして陛下!」
「さて、どうしようか」
 この様子だと、琉李もか。
 先ほど見た少女。
 貴族の娘とは違った輝きを見せた、面白い娘。
 どうやって近づこうか。
 奏悸の目は楽しげに輝いたのであった。
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