洛中の人々

 

 

 

「こんにちは、鈴明。お茶しにいきません?」

 耳に心地よい声が正面からしたので見てみれば、思ったとおりの姿が。

 あたしから見ても趣味がいいなぁ、と思う服を纏い、洛中の娘さんたちからの憧れの的である、珠玉堂の娘、王 瑶漣がにっこりと笑って店の正面に立っていた。

 豪商の玄翔さんが営む玉を扱う店の次女の彼女は、商人つながりということもあって、あたしとは小さいころからの友達だった。

 もっとも、小さいころはこんな感じじゃなかったはずなんだけど。

 まぁ、女は化けるっていうからね。

「ちょっと待ってて。――父さん、ちょっと空けてもいい?」

「あぁ、あんまり長くならなかったらいいぞ」

「分かった。瑶漣、いいって」

「なら行きましょ。私、いいお店見つけたの」

「はいはい、王のお嬢様」

「もう、行くわよ」

 あ、少し剥がれた。

 肩を少し怒らせて進んでいく瑶漣にゆっくりとついていくあたし。

 見れば、父さんにはちゃんと挨拶はしていた。

 やっぱり、その辺の教育は徹底されてるんだなーと感心しながら見てた。

 さらに眺めていると、町行く人の何人かが瑶漣に声を掛けていて、面倒だろうに丁寧にも全員に反応して、さらに笑顔で! 対応している。

 ……流石、商人。

 尊敬に値するなぁ。

 活発に活動する人々の間を通り抜け、市の少し手前で、瑶漣はようやく止まった。

 この間にも、2、3人の男に話しかけられ、笑顔で答え、申し訳そうな顔をして、鮮やかに断って見せていた。

 ……あたしとは正反対の撃退法。

 だって、あたしの力技だし。

 口で撃退する方法も覚えたほうがいいかもしれないね。

「鈴明、ここよ」

「……高そうじゃない?」

「いいじゃない、仮にもうちと同列の商人の娘でしょ。けちけちしないの」

 本格的に化けの皮が剥がれてきたな。

 まぁ、そこを指摘するのはかわいそうなので、放っておいて。

 建物を見上げてみれば、いかにも立派な建物で、あたしが屯している甘味処とは違って、言ってみれば敷居が高そうな店だった。

 だって、微かに匂ってくるお香の匂いとか、掛けてある布の高そうなことといったら……。

 それに、お庭の手入れだって行き届いていて、四季の草花も植えてある。

 ……堅苦しいとことか苦手なんだけど。

「ほら、行くわよ。鈴明」

「はぁーい」

 ゆっくりと潜れば、やっぱりお客は貴族方ばっかり。

 服からして上流階級の貴族たちだと思う。

「ねぇ……」

 あたしが文句を言おうとしたら、先をこされた。

 かわいい顔を少し膨らませ、拗ねたように言う。

「別にいいでしょ、こういうとこじゃないと、気も抜けないわ」

「……大変だね」

「もうね、半分反射だから直せないのよぉ……」

 そう、この子は大変な猫かぶりだ。

 可憐な笑顔を大出血放出みたいに振りまき、人の言うことに適度に合わせ、完璧な美少女を演じているが、何故かあたしの前ではこんな風に気を抜けたような口調、表情を見せる。

 なんでも、あたしの顔をみると気が抜けるらしい。

 失礼なっ。

「だから、こんな高そうな店はいったわけ? 町の子も寄ってこないし、周りも知らない顔だから」

「ご明察よ。次にいつ会うか分かんないやつなら大丈夫でしょ? それに、ここの貴族方なんて、ろくに庶民の顔なんて覚えてないから平気よ」

「なるほどねぇ……。疲れるなら止めればいいのに」

「無理ね。もう体の中に染み込んじゃってるもの。それに、鈴明みたいに過ごしていたら、可愛がってもらえないでしょう?」

「悪う御座いましたー。可愛げが無くって悪かったですねー」

「褒めたつもりよ。素をだせて楽じゃない」

 褒めたようにきこえませんからっ!

「鈴明もねぇ、商売用の表情でいたら、可愛がってもらえるわよ、殿方に」

「あぁ、無理無理。絶対無理。ありえない。あんなの商売だ、って割り切ってないとやってらんないって

つか、別にそんな風にされなくてもいいし」

「何よ、もったいない。慣れれば大丈夫よ」

「やだ」

「ほんと、勿体無いのにね。折角の美貌が台無しよ?」

「町の美少女様に言われても嫌味にしか聞こえませんー」

 どんな冗談だ。

 美貌を持っているといえば、あたしの目の前に座る瑶漣とか。

 うちのお得意様である、尭家のお嬢様の……。

「では、玲洵様、どーぞ」

「ありがとうございます、琉李様」

 聞き覚えがある声がしたような気がする。

 いやな予感を覚えつつ、自らの顔がばれない様に注意しながら、ゆっくりと振り向くと、あたしがさっき思いついた、尭のお嬢様、玲洵さんと。

「ここは、俺の行き付けなので、いい茶がそろっているのおもいますよ」

 あたしの幼馴染、翠家の長子、琉李がいた。

 動揺がでないようにゆっくりと正面に向き直った。

「美貌を持っているのは、あたしなんかじゃなくって。瑶漣とか、そこの玲洵さんとかの事を言うんだよ」

「そんな事ないと思うわよー?」

 と、言いながらも、瑶漣は含みのある笑みを浮かべながらあたしを見ている。

 ふぅん、とつぶやき、後ろの琉李を見た。

「鈴明、なんで琉李の事気にしてるわけ?」

「え。……何でって、そりゃあ……」

「鈴明ってさ、琉李の事好きなの?」

 ぶはっ。

 思わず、茶を吐き出してしまった。

「……はっ!? なななななな、何であたしがっ」

 思わず大声を出してしまった。

 口をばっと押さえたが、もう遅い。

 琉李がこちらを向くは、玲洵さんがこっちを向くは……。

 それに、この友人が、にやにやと笑うのをどうにかしてほしい。

 あんた、いつもの澄ました笑顔はどこにいったっ!

「へぇ~、やっぱり、ねぇ~」

「もうっ! 化粧室行ってくるっ」

 どうにかして、この赤面した顔を冷やさなければっ。

 ほてった顔を服の袖で隠しながら、あたしは逃げるように歩いた。

 

 

 

 

「意外ね。あんなにも反応するなんて」

 面白いって言ったらありはしないわ。

 瑶漣は鈴明が駆けていった方を眺めながら呟いた。

 あんなにも反応するなんて、予想外だった。

 たぶん、適当にはぐらかすかなぁ、と思ってのあの質問だったのだけれど。

 確信した。

 やっぱり、鈴明は、琉李に好意を持っている。

 きっとそれが難しい事も、彼女は分かってるのだろう。

 だから、琉李と一緒にいる事はあっても、告白はしない。

 琉李が困ると思っているから。

 だけど……。

「お。瑶漣じゃんか」

「あら、翠の御曹司、琉李様。ご機嫌麗しゅう?」

「……瑶漣、何の嫌がらせだ」

「ちょっとした冗談よ」

 瑶漣は、鈴明繋がりで琉李とも面識があった。

 それも小さいころからの知り合いなので、素が知られているため、被っても馬鹿らしいから、からかう以外では、素をだしていたりする。

「それより、鈴明は? さっき居ただろ?」

「化粧室よ。というか、この私を前に、それよりですって?」

「自分でいうなよ、自分で」

「あら、鈴明が直々に褒めてくれたこの顔は誇りに思うべきでしょ?」

「鈴明が? それなら、まぁ、なぁ……。あいつ、美に対する感覚は鋭いからな」

「美人に褒めてもらったなら、私はそれだけで誇らしいわ」

「そうだな……」

「鈴明が美人だっていうの、否定しないのね」

「え? 否定するべきだったのか?」

 その言葉に瑶漣は、ため息をついた。

 無意識、か? この男。

「でもな、あいつのはな。顔じゃねーよ。性格がキレーなんじゃないか?」

 すこしだけ、驚いた。

 存外、この男、鈴明の事を見てる。

 顔だけが全て、っていう男じゃなかったのね。いまさらだけど。

 瑶漣は少しだけ、笑った。

 せっかくだから、聞いてみようと思った。

 同じ事を。

 友達として、鈴明の代わりに。

「琉李。あなた、鈴明の事好きなの?」

 ここでふざけたら、殴り飛ばしてやろうと小さな拳を握って。

 けれど、返ってきた言葉は簡潔だった。

「当たり前だろ」

 思わず、体が弛緩するほど。

「か、簡単にいうのね……」

「本人の目の前じゃないからな」

 照れたように頭を掻く琉李を前に、瑶漣は脱力したままだ。

「あんたねぇ、そんなに簡単に言っていいわけ? 仮にも、翠の御曹司が」

 呆れたように言えば、琉李は急に顔を引き締めた。

「翠だろうが、なんだろうが関係無い」

「え?」

「かんけーねぇんだよ。……あいつの諱を知ってるのは俺だけだし、呼ぶのは俺だけだ。今も、この先も、ずっと」

「諱って、あんた……」


「俺が付けたんだよ。誰が渡すか」

 顔は、真剣だった。

 これは、本気で惚れてるよ……、鈴明。

 迷惑なんかに思ってないよ、琉李は。

 化粧室に篭って、火照りを冷やそうとしている友人に向かって、瑶漣は呟いた。

 と、真剣な顔が急に緩み、顔を掻きながら、琉李が手を合わせた。

「けど、瑶漣。この話は鈴明には内緒な。いつか、俺からしたいから」

「分かってるわ。そんな野暮な事しないわよ」

 絶対、本人の口から聞いたほうが喜ぶに違いない。

 その時は、間違いなく真っ赤だろうが。

「琉李、様?」

 あぁー、よかった。

 と、瑶漣が一人安心していた所、女の声が後ろからした。

 くるりと回って見てみれば、貴族の少女が、琉李の隣に立っていた。

 あ、これは……。

「玲洵様。すみませんね、ちょっと友人を見つけまして」

「友人とは、この方ですか?」

 鈴明のとこのお得意様の、尭家のお嬢様が立っている。

 ……なんか、琉李を見る目が熱っぽいような気がする。

 反対に自分を見る目は、少し冷ややかというか、なんと言うか。

 嫉妬ですか、お嬢様?

 お門違いなのに……、と思いながらも、対他人用の仮面を装着した。

「尭の玲洵様ですね。王 玄翔の娘、瑶漣と申します。たぶん、珠玉堂というのはお耳にされた事があるかと存じますが、如何でございましょう?」

「あぁ! 帝御用達の玉のお店ですね。私も使わせてもらってますわ」

「ありがとうございます。今後ともよろしくお願いいたしますわ。今月は、上質の玉が仕入れましたから、玲洵様も気に入るものがあるかと思います」

「まぁ。ぜひ行かせていただきます!」

 慣れた調子で会話をし、瑶漣は玲洵の警戒を解いてしまった。

 昔から、父母の仕込みを受けていた瑶漣だ。

 こういうのは、得意中の得意。気後れする必要性も無かった。

 ふぅ、と一息つき、ちょっとした危機を乗り越えると、瑶漣は後ろを振り向き、手を振った。

 化粧室から出て、硬直している鈴明に。

「鈴明~、玲洵様も着てるわよ」

 知っていると知りながら、瑶漣はあえて言った。

 暗に、玲洵ともしゃべっているぞ、と伝えるためでもあり、一緒にいるぞ、と教えるためでもあった。

 鈴明は、瑶漣の言葉でようやく硬直から解け、三人の下へとゆっくり歩いてきた。

 火照りは消えたのか、先ほどよりも冷静な面持ちで一礼する。

「奇遇ですね、玲洵さん。自分も友達ときてたんです」

「そうなんですかぁ。私は、琉李様と。おいしい店があると連れていってくださったのです」

 せ、宣戦布告か、この女!

 表には出さなかったが、瑶漣は少し慌てたりしていた。

 また、鈴明が動揺したらどうしようと。

 けれど、鈴明は動揺したそぶりもみせず、にこりと笑って見せた。

「良かったですね。琉李は甘味処や茶屋は、老舗から新舗、敷居が高い店から低い店まで知ってますから、聞いてみると面白いかもしれませんよ」

「じゃあ、また聞いてみるとしますね」

「えぇ。琉李、頑張ってー」

 軽い調子で返答した鈴明だったが、瑶漣は、限界か、と感じた。

 しかも、危うい。

 商人の顔の時でさえこれだったら、内面はどうなっていることやら。
 
 そんな考えは表にもださず、瑶漣はにっこりとわらった。

「鈴明。そろそろお暇しましょ。もうお茶飲んじゃったわ」

「ん、分かった。帰ろうか」

 ほら、全く自分はゆっくりしてないのに、帰ろうとしてる。
 
 よっぽど応えたのかしら。

「琉李も来る? 私は、鈴明のとこで反物見てくわ」

 ついでに、お姫様から離しておこうと思って、琉李も誘ってみたが。

 思わぬとこから、反対が来た。

「琉李は玲洵さん送ってあげて」

 硬い口調でいう鈴明。

 その口調、視線に有無を言わせぬ迫力があったためか、琉李は、躊躇しながらもうなづいた。

「……おう」

「じゃあ、いこう、瑶漣」

「そうね」

「失礼します、玲洵さん」

 出口の赤い布が翻った。

 







 

 

 

「よく我慢したわね」

「そう? 別に我慢してたわけじゃないんだけど」

「嘘つき。泣きそうな顔してたくせに」

 瑶漣がぴしっと、顔を指差すと、鈴明は罰が悪いように俯いた。

「だってさぁ」

「玲洵様と琉李がお似合いのように見えたって?」

「ごめーとー」

 うわぁ、これは重症。

 覇気のない、鈴明なんて。

「二人とも貴族でさ、家柄的にもぴったり。それに、玲洵さんとか、美人さんでしょ。ならんだら絵になるねー。あたしの出る幕はありませんー」

 うわっ、投げやりになった。

 琉李が鈴明を“綺麗”って表現してるんだから、別に大丈夫だとおもうんだけど、こればっかりは本人の意思だもんなぁ。

「諱、呼んでくれるのは、琉李だけだと思ってたんだけどな……」

 ぽつりと言っていたのは、あの男と同じような台詞で。

 というか、この子、”諱を送られた”って意味知ってるのかしら?

 それにしても、重い……。

 なに、この雰囲気の重さ! こっちの気分も凹むわ。

 その時、後ろから誰かが走ってくるような音がした。

 玉が触れ合う音がする。

  こんな音、貴族の人しか立てない。

 なら、あいつしかいない。

「琉李!」

「お、おぅ、何だ、瑶漣?」

「鈴明どうにかしなさい!」

 びしっ、と指差し言えば、一歩下がり、琉李は頷いた。

「……良く分からんが、分かった」

「鈴明、私は先に家に帰ってから行くわね」

「分かったー」

「じゃあ、お先に」

 あいつにまかせて、私は先に帰るとします。

 気合を入れて着替えなくちゃいけないしね! 

 何ていったって、反物屋にいくんだもの。二回も同じ服で行くなんて、恥ずかしいにも程があるわ。

 瑶漣は、一目散に走っていった。

 






 

 

 

「おーい鈴明?」

 さっきからぼー、とした様子の鈴明に手を目の前に振っている琉李。

 何となく、沈んだ感がある。

「ねぇ」

「な、何だ?」

「玲洵さん、どうしたの?」

 こんな時も人の心配かよ。

 姉御肌だなー、と思いながらも、琉李は答えた。

「うちの私兵と、侍女に任せて帰らせた」

「琉李は付いて行ってあげなかったの?」

「何でそこまでする義理があるんだ?」

「だって……。琉李が誘ったんでしょ?」

「……はぁ? 何で俺が玲洵様を誘わなくちゃいけないんだ? つか、誰が言った」

「玲洵様が。隣で言ってたじゃんか」

「聞いてなかった……」

 馬鹿じゃないの、という目つきで鈴明は琉李を見た。

 心底あきれた様子だ。

「と、ともかく、俺は誘ってねぇ!」

「じゃあ、なんで連れて行ったの?」

「やけに食い付くな……。宰相殿に言われたからだよ。それなら断るわけにはいかないだろ?」

 鈴明は、じっと琉李を見た。

「それだけ、なんだ」

「それだけだよ。どうしたんだよ、そんなにしつこく……ってっ! 抓るな抓るな!」

「後ろ向かないで!」

「……鈴明?」

「なんでもない」

 いつの間にか広くなっていた背中に額を押し付け、呟く。

「なんでもない」

「そっか」

「うん。なんでもないから」

 当たり前の幼馴染の関係のままでいいんだ。

 それ以上は望まないって決めてたのに。

 こんなにも、揺らぐ。

 けど、この優しさをあたしに向けてくれるなら。

 これで、満足できる。

「よいしょっと」

 何を思ったか、この馬鹿は、あたしを背負い始めた。

「っ~~~! な、何っ! ちょ、ちょっと、降ろしなさい!」

「いいだろ、久しぶりに」

「恥かしいでしょ!」

「足くじいた事にでもしとけ」

 強引に負ぶわれ、しぶしぶ体を預ける。

 視線が痛いです……。

 顔を肩に預け、物理的に見ないようにした。

「何年ぶりだよ、こんなの」

「さーな。10年以上は立ってるな。まだ、お前が4、5歳の時は、俺が負ぶってやったんだぜ?」

「あぁー、あんたが、あたしに“お兄ちゃん”って呼ばれていた、唯一の時期?」

「俺のほうが年上のはずなのに、いつの間にかお前が偉そうに……、痛いっ! 叩くな!」

「泣き虫だったあんたが悪い」

「……凶暴。った! 殴るな、殴るな、殴るな!」

「自分の口を呪ったら?」

 楽しげに笑う鈴明。

 なぐられながらも、楽しそうにしている琉李。

 これが、二人の日常。

 

 

 

 この温もりがあたしのそばにあるなら。

 あたしは我侭は言わない。

 あの日送られた諱を、胸の中に秘めておこう。色鮮やかな思い出として。

 

 

 

 この温もりは、絶対に渡さない。

 家柄何か関係ない。手に入れてやる。

 俺だけが知っている諱を呼ぶのは俺だけだ。この先も、ずっと。

 

 

 

「二人とも遅い! って、なんで鈴明負ぶわれてるの?」

「諸事情があって」

「さっさと降ろせ、馬鹿!」

 

 

洛中の人は、今日も活発に動いている。

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