尭家の場合

 

 

「お兄様、いってらっしゃいませ」

「あぁ、玲洵もお稽古頑張りなさい」

「お前の大好きな翠刑部侍郎を口説き落としてきてやるよ」

「お、お兄様!」

「だってなぁ、兄上」

「だな。眉目秀麗、仕事も優秀、しかも翠の一人息子だ。飛愀の言うとおり、そうでもしないと、他の

家にとられるぞ」

……お前が言ってた商人の娘に捕られてもいいのかー?」

「よく、ありません!」

 おもわず、玲洵は兄を見上げ、声を張り上げた。

 それだけは、絶対に嫌だ。

「ま、それはありえないけどな」

「な、何でですか?」

「何でって、お前、翠家が、商人の娘なんかを嫁にとるとおもうか? 翠門下侍中もそこまで愚かでは

ないだろう。尚書侍中である父上から談判されたら、商人の娘なんかとらせるわけが無いだろ」

「そう、ですね……

 

 あたしが、そんな事望んじゃだめなんだよ。

 

 あの、悲しそうな面影が目に浮かんだ。

 あの人は、一番近くで笑っているのに、望むことが許されないんだ。

 でも。

 だからって、引くわけにはいかない。

 だって、私はあの方が。

「けど、翠刑部侍郎が、その女の事を本気で惚れてたら分かんないけどなー」

「お、お兄様!」

「だってそーだろ。それに、なーんかあいつ怪しいんだよなぁ」

「何か見たのか? 飛愀」

「おぅ、兄上。何かな、市であいつが買い物してたんだよ」

 玲洵は少し首を傾げた。

 何か、おかしい事でもあるのだろうか、それは。

 兄もそう感じ取ったらしく、聞き返した。

「貴族がそんな所にいくのはどうかと思うが……。まぁ、普通だろう?」

「いやいや、兄上。買ってたのがさ、簪なんだよ。行商の奴から買ってたぜ」

 簪?

 誰に、送るのだろう?

「鈴明、さん」

「は? どうかしたか? 玲洵」

「いえ、別に……

 いやいや、鈴明に送るとは限らない。

 彼の交友範囲は、計り知れないほど広く、その中の一人から頼まれたかもしれないのだ。

 ぶんぶん、と首を振り、玲洵は兄達に向き直った。

「私からは、お仕事のほうでは何も出来ないですから。……支障の無い程度に、声を掛けてくださいね

?」

「わーっかってるって。地位的には俺のほうが上だからな。また、逢引の申し込みをしておくぜ」

「お、お兄様……

「飛愀。くれぐれも問題行動は起こさないように。玲洵、私からも言っておこう。――いくぞ」

「へーい」

 馬車で出仕する兄達を見送り、玲洵は後ろを振り向いた。

「お父様」

「二人は行ったか?」

「はい。……琉李様にまた声を掛けてくださるようです」

「そうか。――前の茶屋のはどうだった?」

「それは……。大変楽しかったですわ。直々に案内してくださりましたし」

「最後は同伴では無かったな」

「はい。何でも、急用が出来たとかで、走っていかれましたわ」

 けれど、あれはたぶん、鈴明の所に向かったのだ。

 思わず挑発するような口調で言ってしまった。

 彼女は何でもなかったような顔をしていたけれど、琉李は気づいたのだろう。

「なるほどな。……侍中と話をつけてこよう……

「え?」

「何でもない。お前は、今日の稽古をしっかりとこなしなさい」

「はい、お父様」

「では、いってくる」

 輿に乗って出仕していく父。

 見えなくなるまで見送り、玲洵は屋敷の方へ向き直った。

「今日のお稽古は、二胡でしたわね」

 それが終わったら、反物を見に行こう。

 きっと彼女が笑顔で出迎えてくれるから。

 頼んであった、反物も仕立てられて、すばらしい出来で、自分の目の前に現れる。

 玲洵は、先生を出迎えるために、屋敷へと戻っていった
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