夕暮れの朱雀大路に、大小二つの『異様』な影が映っている。
一つは、黒の装束を纏った背が高めの、なぜか姉御ではなく、男前や兄貴と言う代名詞が、ことのほか似合う『女』・・・・巫家長女である私。
もう一つは、三歳ぐらいの可愛いらしい男の子。だが、片目に眼帯をまいた風変わりな風貌の、大盗賊の息子―隼だ。
なぜ私が幼児と共に、こんなところで休んでいるかというと・・・・・。
事の始まりは正午前まで遡る。
結局あの後、私は親父に延々と嘆かれるのを覚悟で帰らない事にした。
でも、あの・・・節季とかいうヤツを夜まで待ってるのは、さすがに癪に障るので、馴染みの遊女達が住む屋敷へと向かったのだ。
「あら、影鬼様だわ。いらっしゃいませぇ」
「影鬼様、最近お足が遠のいていらっしゃるから、飽きてしまわれたのかと心配したんですのよ?」 「つれなくしないで下さいね。いつでも待っているんですからぁ」 簾をくぐり抜けた瞬間、黄色い悲鳴が降ってきた。
私は、情報源である彼女達に、色々なプレゼントをしている上、やる事なす事男前でカッコいいと人気なのだ。
―まぁ、私が「女なのに」だからなんだろうけど。・・・・でも、男に騒がれるより、可愛い子に騒がれた方がよっぽど気分いいしね。
「久しぶり、相変わらず皆可愛いね。そうだ・・・・緑萼ちゃんいる?」 笑顔を振りまきつつ、遊女達の元締めの所在を聞く。
緑萼ちゃんは、女性内での私の右腕だ。情報収集能力はピカ一で、彼女達からの信頼も厚い『梅の精霊』である。
力が強い彼女は、実体化が可能なため、普通の人間の夫と間に出来た息子が一人いて、毎日を楽しく生きている。
ちなみに夫は、盗賊の首領だ。・・・・美形のね。
「こちらですわぁ、影鬼様」
鈴の鳴る様な声が聞こえてきた方向を見ると、特徴的な翠の瞳を輝かせた、いかにも京美人なたおやかさを持つ、緑萼ちゃんがいた。
「あのさ、緑萼ちゃん。悪ぃんだけど、夕方までいさせてくんない?事情は言えないけど」
「水くさいですなぁ、影鬼様。どうぞ、どうぞ」
そう言うと、彼女は「酒盛りの用意をして頂戴な」と自分の眷属に命令を出し、杯を取り出した。
「いったいどこの屋敷から盗んでくるつもりかな?」
「おや、人聞きの悪い事をおっしゃらないで欲しいです。少しばかり『もらって』くるだけですわぁ」
「お使いが、姿の見えない精霊じゃなかったらの話だけどね」
皮肉げに笑うと、澄ました顔でしゃあしゃあと「盗賊の妻ですけんねぇ」と返してきた。
―ん〜、女の子達との話は楽しいね。部下共相手には、あんまし優しい言葉、使えないしさ。
少ししてお使いが、酒やツマミを大量に抱えて帰ってきた。たちまち屋敷内は、お祭り騒ぎになる。
酒が入ると、彼女達のお喋り好きはさらに熱くなるらしい。客が話した事を、ペラペラ大声で話し出し、ああだこうだと議論を始めている。
もっぱらの興味は、『恋』に関する醜聞らしく、「貴族の男に騙されて何度も中絶させられた」という話について、意見が飛び交う。
「でね、結局あの女と縁を切ったそうよ。必ず妻にするとか言ってたくせに」
「そんなもんだって。口にはよく出すけど、いざ現実味を帯びてくると逃げる生き物だもん」
「貴族がいくらでも妻を持てるのは、結局親の援助があってこそだからねぇ」
「親からもらった地位に、財産。貴公子って、親に依存し過ぎで、甘え過ぎなのよ!」 ねぇーっ!とその男を扱き下ろし終わり、また相当なピッチで飲み始める。微笑ましげに眺めている私の隣で、緑萼ちゃんがふと思い出した様に、口を開いた。
「でも、そうでもない男もいるそうなんよ?えーっと、なんて言ったかなぁ・・・・」
―へぇ。緑萼ちゃん達精霊が、言うんなら間違いないだろうけど・・・・本当に貴族のガキで、自立しようとかしてるヤツがいるのか?
私も意外に思ったので、手を止めて顔を見つめる。
うんうんと唸っていた緑萼ちゃんは、ようやくポンと手を叩き、すっきりした顔で言った。
「う〜ん・・・・そう、左大臣家長男の節季という人は、貴族なのに大学寮に入って慢心してない上、雑色にさえ優しく、礼儀正しいって評判らしいんよ」
「・・・・・・はぁっ、節季ぇ?!」
昨日会った・・・っていうか、今日また会う男の名前を突然聞き、驚いたあまり不覚にも、アイツとの別れ際を鮮明に、思い出してしまった。
「いや、どこがっ!事前に調べもせずに他人の屋敷へ乗り込むわ、初対面の女を口説くわ、他人のモノ盗るわっていうヤツなんだけどっ!?」
声に出してしまった瞬間、ヤバいっと猛烈に後悔した。 女の子達は一斉に、バッと私の方にキラキラした好奇心剥き出しの目を向けて、矢継ぎ早に問い詰めてくる。
「えっ!影鬼様はその人を、よく知ってるんですかっ!」
「初対面の女を口説くって・・・・やぁんっ、影鬼様はなんて言われましたのっ?」
「実は秘密りに付き合ってるとか?きゃあ、素敵っ!」
「付き合ってないし、素敵でもないっ!そしてなんにも関わりはないって!」
羞恥で顔が急速に赤くなるのを感じながら、必死で彼女達の飛躍しまくる憶測を否定する。
が、突然ガシッと腕を捕まれ、振り返ったら緑萼ちゃんが「説明して頂くまで、放さないですよ
?」みたいな視線を投げつけてきている。 ―あぁ〜あ、こういう時は、力で捩じ伏せれる部下共がいいなぁ・・・・・。話さなきゃなんない、かぁ。 女の子達の追求の激しさは、同性だからこそ、その恐ろしさがよく分かるものだ。いさぎよく諦めて、私は洗いざらい事情を白状した。 もちろん、私がお、おお乙女的になった時は話さなかった。それはさすがに、私のプライドが許さない。
「・・・・で、今に至ると」 話終わると、皆は目をトローンとさせて、うっとりため息を吐いた。
「なんて素敵なのっ!物語の貴公子と、姫君みたいな出逢いですわね」
「・・・話聞いてました〜?自分で話してて『盗賊の女首領と、ドジな口説き魔』にしか、聞こえないんだけど」
「誰が聞いても、恋物語の始まりです!・・・・・あら、あなたぁ、お帰りなさ〜い!」
簾をくぐって現れた、大人の色気が漂う美形―夫の疾風を、緑萼ちゃんは立ち上がって迎え入れた。いつもの事だが、声が甘く、一段階高くなってる。
「賑やかだと思ったら、影鬼がいたからか。あんまり俺の女を誘惑すんなよ?」
「誰が友達に手ぇ出すか。考えてからもの言えよ、疾風」
「影鬼、そんな言い方してやがると、ほんとに行かず後家になんぜ?」
低く深い声で私に挨拶しながら、緑萼ちゃんを引き寄せて口づける。それに応えつつ、緑萼ちゃんは楽しげに話す。
「それがね、今回は誘惑されたんよ。あのね、左大臣家長男に・・・・」
「あぁもうっ。他人の事を笑い話にするなぁっ!」
―ううっ。私の味方はいない訳?
癒しを求めて、徳利に手を伸ばすと、先に小さな手がそれを持ち上げた。
「こんにちは、かげきさま。ぼくが、おつぎしましょうか?」
将来、お父さん似の冷たい美貌が似合う顔に、天使の笑顔を浮かべた緑萼ちゃんの息子―隼が、手酌をしてくれた。
今まで姿が見えなかったのは、きっと武芸の稽古でだろう。疾風に次期頭領として、もう仕事を習ってる優秀な生徒は、着々と周囲の期待に応えている。
―将来、絶対にいい男になるなこの子。隼に好かれた子は、幸せものだろうな。 「隼ぉ〜、私の味方はお前だけだっ!皆、笑い話にするしっ」 「ぇ・・・っ?」 私にギューッと抱き締められたまま、キョトンとして首を傾げる隼は、周りの人らが話してる内容を聞いて、そして概要を理解したらしい。 子供特有の無邪気さで「ほめてもらって、良かったね」みたいな事を言うかと予想していたが、それに反してなんだか・・・・残念っていうか、悔しそうな表情を浮かべ、押し黙ってしまった。
「隼?どうした?」
気に障る内容だったんだろうか?と心配になり、顔を上げさせてそう聞くと、パッと再び笑みを見せた。今しがた自分が取った行動を、隠そうとする笑い方だったが。
「なんでもないです。・・・・それより、すごい人ですね。えっと・・・ときひでさんって」
「いや、なんで皆いい人だ〜、素敵だ〜って言う訳?話、聞いてる限りあり得ないんだけども」
疑問をぶつけると、ずいぶんとはっきりした意見を、隼は発言する。
「会ったばっかりなのに、かげきさまのいいトコを、ちゃんとわかってるから。とってもよく人をみてる方なんだろうなーって」
「ん〜?・・・・じゃあ、隼。お前が思う私のいいトコってゆーのを言ってみなよ」
「えっ!?」
別に、それほど深い意味はない。隼が私をどういう風にみてるのかなー、と興味があっただけだ。
それだけなのに、何故か知らんが隼は、たちまちモジモジし出して、下を向きながらボソボソ言葉を紡ぎ始めた。
「あ・・・うぁ・・・ぇと、かげきさまはきれいだし、つよいし、なんでもできてカッコいいし・・・・ぼくの・・・・ぁ、あこがれのひとだからっ。そのときひでさんが、すてきだなって思うのも・・・・とうぜんだと思う・・・けど・・・」
思わぬ台詞に、ポカーンとしてしまう。 ―あれ?・・・・なんで隼にまで、告白まがいの事されてんだ?『実家』でもリリスちゃんとかが、『一度モテると、似た事が続けて起こる法則』だなんだって、言ってたけど本当だったのか? 馬鹿げた感想が頭をよぎり、アイツとの別れ際と同じくらいに私は静止してしまった。隼も隼で、顔どころか耳まで深紅に染めて、うつむいたままだ。
少しの間、二人して時間が止まっていると、それを破ったのは疾風と緑萼ちゃんだった。
わざと真剣な口調で、息子をからかう。
「ダメだろう、隼。女を口説く時は、もっと情緒ある場所でやるもんだぜ?こんな他人の目がある場所じゃあ、女を雰囲気に引き込めないぞ」
「それになぁ、そんなに噛んだらいけへんやろ?言葉は、しっかり頭ん中で組み立ててからやないと」
両親の言葉が、グサグサと隼の小さな体に刺さってくのがはっきり目に見えた。現に隼は、涙目になってきている。
「く、口説こうなんて・・・っ。かげきさまのいいトコ、言っただけで・・・ぇ」
「はーい、そこの熱々夫婦?息子を虐めるのはやめようか」 徒労に終わるだろうが、一応釘をさしておく。そして隼に向き直り、袖口で涙を拭ってやる。 「隼泣くなよ。褒めてもらって嬉しかったしさ。・・・・まぁ、今のでアイツにいちいち反応してたのが、褒められるのに慣れてなかったって、分かったんだから」 なんだか逆に慰める事になってるが、徐々に隼も笑顔を取り戻してきた。 な〜の〜に〜っ。世間ずれ夫婦は、またとんでもないことを言い始める。次は矛先を変えて、私に。
「それはどうかなぁ?影鬼様は、慣れてないだけで心が揺れるほど、容易う人やないですやろ。心ん底では、気になってんですて」 「いやない。絶対にあり得ないって。きっと、今までにないタイプのヤツだったからだよ!なんつーか……保護欲誘うようなさ」 「そんだけ言うなら、確かめてみりゃあ良いじゃねぇか。・・・・おい、隼。次は本気で影鬼を口説け」
突然の指名にギョッとして、隼はふるふる首を横に振る。 「や、やだぁっ。父さんがしなよぅ」 「俺がしても、反応がねぇんだよ。お前ぇも練習になっていーだろ?」 「で、でも・・・・」
「ああ、分かった。んじゃ、頭領命令だ。やれ」
しなる鞭の様な力強さで『命令』され、おずおずと私を見つめてくる。たちまち周囲の視線が、私達に集まるのがビシビシと伝わってきて、再度涙目になりかけている。
「あのぅ・・・・か、かげきさま・・・・その・・・うわぁッ」 「動くなよ、隼。舌噛んでも知らんぞ?」
まごついた様子に仕方なく、私は隼を肩に担ぎ上げた。そして背を向け、ずんずん部屋を横切る。
「・・・って事でじゃあ、少しだけ隼借りてくわ。可愛い子達、また今度会いに来るかんな」 簾をくぐる直前、私の突発的行動に慣れてる緑萼ちゃんと疾風、そして皆に別れを言って、私は屋敷を後にした。 が、屋敷を出て数分もしないうちに、中から女の子達がガヤガヤ顔を覗かせてくる。そして、まだ黄昏時だと言うのに、隣近所にまで響くほどの声で叫んできた。
「影鬼様ぁ〜っ。いくら恥ずかしくても、贈り物をしてもらったんなら、お礼しなきゃですよ〜っ!」
「お相手の方って、趣味も良いんですのね〜!似合ってます〜っ!」
「自分に正直になるんですっ!節季様とお幸せに〜!」
―あ、うぁ、いっやあぁぁっ!やっぱりバレてたっ!
話さなかった事の中に、髪結い紐をもらった・・・っていうか、盗られたのも入っていたのだが・・・・。目敏い彼女達の眼力の前では、ムダな骨折りだった様だ。 怒涛の勢いで走りだし、人間離れした私の脚力は、すぐさま彼女達のろくでもない応援が届かない場所へと連れて行ったのだった。
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