「いったいここは、どなたのお屋敷でしょうか?」
「・・・・誰かが住んでる様に見えるんなら、医者に診てもらった方がいいぞ」

私達が逃げて来た場所は、先ほどいた廃墟。
着いてそうそう、コイツはそんなすっとぼけた質問をしてきた。
はぁー、と深く嘆息しながら、屋敷の中に通してやる。
室内には、部下共の生活品が所々に転がっているので、その中から比較的きれいな椀を見つけ、放り渡す。

「酒しかないけど、何も飲まないよりマシだろう?」

徳利を傾けて、両手で差し出してきている椀に濁り酒を注いでやる。

「ありがとうございます。・・・・・んっ・・・ゲホッ」

驚いた事に一口飲んだだけで、ゲホゲホと咳き込みやがった。

「酒弱っ!そんなに強くないぞ、コレ」
「す、すみません。お酒は弱いですけど、喉が渇いてるから飲めるかなって・・・・ケホッ」

このままだと話にならないので、仕方なしに背中を擦ってやりながら発作が止むのを待つ。

「・・・はぁっ、お、お見苦しい所を見せてしまって、申し訳ありません。お美しいお嬢さん」

思わずブルッと震えてしまった。

「ゃ・・・めろ」
「えっ?何とおっしゃいましたか?お嬢さん」
「やめろって言ってんだろうがぁっ!」

恥ずかしさのあまり、おもいっきりソイツの襟元を掴み、ガクガクと揺さぶる。

「私のどこが美しいぃ?お嬢さん〜?暗いからでも、あり得ない形容詞を吐くな!私のい・ま・ま・での様子に合う言葉を言え!」

それはまぁ、醜女ではないけれど、そこまで何度も「美しい」と言われる外見じゃないのは自分が一番良く知ってる。
今日の美人の定義とは外れた切れ長の目と、「令嬢」なんて言葉とは無縁な育ちがつい言動の端々に見えるせいで、邸の女房達さえ奇怪な目で見てくる始末なのだ。

「えぇっ?・・・あ、と、じゃあ、『男前なカッコいいお嬢さん』ならいいですか?」
「本末転倒だろうがぁっ!お前はまず、お嬢さんから離れろー!」
「じ、じゃあ、なんとお呼びしたら〜いいんでしょうか〜?」

揺さぶられているせいで、呂律がおかしくなっている。パッと手を放してやると、へなへなと崩れ落ちた。
一般人に裏での名前を教えるのは、はっきり言って私達にとって非常に不利な状況になる可能性がある。本名なんてもっての他だ。

「・・・教えてやってもいいが・・・こう言うのは、聞きたい側が先に名を名乗るもんだよ」

―顔と名前さえわかっていれば、後でいくらでも探し出して今日の事でゆすれる。・・・・それが偽名であったとしても。

そんな打算的な考えがが混じっての返事だった。
まさか、私が本当の名前なんて教えるとは思ってないだろう。呑気そうなこの男でも、さすがにそこまで人が良い訳がない。
と、予想した私の方が馬鹿だったと深く嘆く結果になった。

「あ、そうですよねぇ。うっかりしていました。私は、左大臣家の長男で藤原節季といいます」

―言ったよ。嘘だったら簡単にバレる名前を語ったよ、コイツ。

困惑しながら、私は居丈高に「証拠は?」と聞いてみた。

「証拠・・・ですか?う〜ん、邸にご案内するのはダメでしょうしねぇ。・・・・あ、いい物が有りました」

むーと難しい顔で唸っていたが、突然、ポンと手を叩きそう言った。
ゴソゴソ体中を探っているのを待っていると、その内、一通の文を差し出してきた。

「・・・・恋文?」
「嫌だな、まさか。父上宛にきた縁談話だそうです。・・・・見られてやましい事はないので、どうぞ」

ぱらり、と捲ると確かに左大臣家当主宛だった。差出人は、右大臣家。

「うそ、お前本当に左大臣家長男?!こんなぼんやりしたのが?他人に騙されやすそうなのが?」

思わず叫んで、顔をまじまじと見ると、ほっとした様に、にこーと笑顔を返して来た。

―・・・あれぇ?今、相当失礼極まりない事言ったような気がするんだけど・・・。

「信じて貰えたんですね。すごく嬉しいです。それで・・・貴女は?」

うっ、と言葉に詰まり、柄にもなく言葉をいいあぐねてしまう。
当初の予定通り偽名を名乗ろう、という考えが私の頭を一瞬横切った。
が、私は自分らしくないと感じつつも、私の口は裏での名を教えていた。

「影鬼と言うんだよ」
「かげき・・・さん・・・」

まるで心に刻み込もうとするかの様に、節季という男は、名前をゆっくり繰り返した。

「火の様に華麗な姫、で火華姫ですか?貴女にぴったりですねぇ」
「なっ?!・・・そ、そんな訳あるか、馬鹿っ。影の鬼で影鬼っ!」

―あぁもう、何なんだよコイツはぁっ!?

何、あれか?口を開くと勝手に美辞麗句を垂れ流してしまう〜みたいな話か?普通の女の子達だったら、喜ぶだろうけど、私は耐えられないっ!

―これ以上、慣れない事を言われ続けたら、憤死する。絶対に。

「こ、これから一回でも、んな事言いやがったら叩き出すからなっ!」

照れ隠しに知らず知らず、口調が早口になってしまう。
それに対して、コイツは(多分無意識だろうが)捨てられた直後の幼子のような悲しげな顔で、「はい」と返事をした。
自分がものすごい悪人になった気分だ。
必死に、自分は悪く事をしていないっ。この口の悪さは生まれつきー!と
念じて、閉口したがる口を無理やり動かす。

「ところでさ、何で貴族の御曹司が盗賊まがいの事してた訳?」
「あぁ、それはですねぇ。実は弟が暴力沙汰をあの家の次男相手に起こしてしまって。捕まっているのを助けようと忍び込んだまでは良かったんですけど・・・どこにいるか分からずオロオロしていたら見つかってしまいまして・・」
「・・・そりゃあ、お前じゃ無理にも程があるだろ」

あまりにも行き当たりばったり過ぎる行動に、呆れかえってしまう。

「えぇ、今更ながらそう思います。でも心配で堪らなくて」
「・・・・あのさぁ、一応言っとくけど、勇気と無謀は違うからね。過信した頑張りは、逆に自分の首を絞めるよ?」
「はい。ご忠告、ありがとうございます。明日・・・じゃなくてもう今日か、父上達と相談して助けに行く事にしますね」
「あぁ、その方が良い・・・って、あれ?」

うんうんと頷いていたが、ふとある事を思い出し、首をひねった。

「どうか致しましたか?影鬼さん」
「いや・・・お前の弟ってさぁ、捕まった時にどんな格好してた?」
「え?・・・えーっと、確か二藍の直衣を着ていましたが・・・それがなにか?」

うわぁ、どう考えてもぴったり当てはまる奴を、さっきみたぞ。

「お前の弟、もうあの家から逃げてる・・・と思うよ」
「・・・はい?」
「無事に帰りつけたかまでは、知らないがね」
「・・・?」

いったい、どういう事何ですか?という顔をされ、仕方なしにさっきの家での行動を話してやる。

「・・・と、いう事はつまり、影鬼さんは私と節別(ときわき)の恩人という訳ですね」
「べ、別に恩人なんて大層なもんじゃないよ」
「そんな事ないですよ。・・・弟の分も改めてお礼を言いますね。どうもありがとうございます」
「〜っ!お礼なんていいっ!相当に乱暴な態度、お前の弟に取ったからっ!怪我させたかもしんないし」

―あぁもう、コイツといると本当調子狂うっ。

はっきりとした理由が分からないけど、コイツにこんな風に・・・心から幸せそうに笑われると・・・・。
恥ずかしいのに、言われて喜ぶ様な柄じゃないのに、何でか・・・・すごく嬉しく思っている自分がいる。

―き、きっと、コイツが今まで知らなかった感じの男だからだっ!言われたら嬉しいだろうなぁ、とか淡ぁく思ってた言葉をポンポン言ってくれるからだっ!

ぐるぐるする頭を思わず抱えていると、コイツは突然、「どうかしましたか?」と聞いてきた。

「は?何が?」
「いえ、あの・・・顔赤いですよ?」
「・・・・あ、うぁ、えー・・・っと・・・あ、朝日でそう見えるだけだっ」

私は、噛みつく様に言葉を返した。それに対して、思い出した様に外側を見てコイツは、のんびりした声で言った。

「わぁ、本当ですねぇ。もう空が白んでますよ、影鬼さん」

そこまできて、はたっとある事に気が付いた。

「・・・家、どうやって帰ろう・・・」

ここ二年間お頭業をやっているのを知ってるのは、父親と菖の二人だけ。邸の家人達は、私が夜な夜なこっそりと抜け出している事すら知らないのだ。

―今までは、夜の内に戻ってたからなぁ。まさしく「朝帰り」なんてした事ないよ。

こんな時間からは、出仕する奴らが途切れる事がない。家人達も完全に起きてるだろうから、見つかる可能性大だ。
渋い顔で唸っていると、心配した顔で、コイツはおずおずと言葉を私にかけてきた。

「あの、お帰りになる時間を遅くしてしまったの、私のせいですよね」
「・・・何?半分はそうかもね、とか言ったら送って行ってくれる訳?」

―って、冗談でもこんな意地悪止めろよ、私。そんな事させたら、どんな
噂がつきまとうかわかってるくせに。

「あ、はい。喜んでお送りしますね!」
「そうだろう。そんなん出来ないよなー・・・って、はぁっ?!」

今一瞬、あり得ない幻聴を聞いてしまった。・・・いや、幻聴じゃないから驚いてるんだけど。
まじまじと凝視すると、コイツは平然とニコニコ笑っていた。その上、

「先に文をお屋敷に届けた方がよろしいですよね?」とまで聞いてきやがった。
「ち、ちょっと待て。まず話をしよう、話を」
「それでは人を呼んで来ますから、待っててくださいね、影鬼さん」
「話を聞けーっ!」

御簾を潜り抜けて、外に行こうとしている「考え無しの馬鹿」の頭を思いっ切り殴り、なんとか行動を阻止した。

「あぅ、あ〜っ!・・・・酷いです、影鬼さん。頭がぱっくり割れたかと思いま
したよ?」
「痛がる様に殴ったんだから、当然だろうがっ!何考えてるんだ、お前はっ」
「え・・・?だから、影鬼さんのお屋敷までお送りしようと・・・・あ、そうか。一つ問題が有りましたっ」

―問題は一つどころじゃないと思うが・・・・気づいてくれただけありがたいと、思おう。

頭がなんか痛くなってくるのを、気力で持ちこたえながら、今にも実行しようとしている案を止めさせようと口を開く・・・が、言葉は頭から吹っ飛んだ。
その前に、重大な事を失念していたとばかりに狼狽した目の前の馬鹿が言った言葉によって。

「うっかりしてました。影鬼さんのお屋敷までの道が分かりませんっ!」

―あははっ。なるほどー、コイツは馬鹿じゃなくて、正真正銘の大馬鹿だったのか〜。

「・・・って、ふざけんなぁっ!そして自分、現実逃避するなぁっ!」

本日何度目かは分からないが、もう一度頭を叩き、切々と「そんな事をするんじゃない・・・っていうか、すんな。したら殴る」と脅迫まがいに諭した。
そして、諭し終わった後、どんな依頼でも楽々こなしてきた私は、今までにない程疲れはてていた。・・・気の遣いすぎで。

―あ"ぁー、コイツが悪いんです神様。目の前にいる馬鹿は、こっちがちょっとキツく言うと、しょぼーんとしてくるんです。私は無実ですからねっ!

私は、「若い男女が朝帰り、なんてどう噂されるか考えただけで、たまったもんじゃない!」という言葉で、なんとか締めくくり、話を終えた。
少しの間コイツは引き下がらなかったが、この言葉でようやく頷いてくれた。

「・・・それじゃあ、影鬼さんも気をつけてお帰り下さいね」

トクン

―・・・おかしい。今日の私は何かが変だ。

今度こそ安心してコイツを送れると、ホッとする・・・はずだったのに何故か・・・「あぁ、もう会う事が無いんだ」と寂しく思ってしまっている。

―いったい、何考えてるんだか。今日初めて会った奴相手に、寂しいも何もないだろ?私。

経験した事のない感情に、私自身が困惑しながら、御簾を上げて出ていきかけているコイツを、じっと見てしまう。

「そ、それじゃあ。お前こそ気をつけろよ?」

下を向きつつ別れの言葉を吐いた私は、コイツが手を伸ばしてきたのが
、分からなかった。

「影鬼さん」
「え?どうか・・・・なっ、何してっ!?」

呼ばれて何気なしに顔を上げると、一つにまとめて結んでいた髪に何かを縛られた。そして、髪紐を引き抜かれる。急いで手をやると、縛られた物は飾りが付いた髪紐のようだ。

「か、返せよ。妹から貰った大事なモンなんだからっ!」
「影鬼さんって、明日もここにいらっしゃいますか?」
「さぁね。そんなの私の勝手だから」

睨み付けているのに、コイツは平然として、言葉を続ける。

「明日この場所で待ってますから、その時にお渡ししますね」
「はぁっ?何でそんな事しなきゃなんない訳?どうでもいいから早く渡せ!」
「・・・どうでも良く・・・ないですよ?この場限りのお別れは寂しいですから」
「んなっ!」

ほわーっとした笑顔と、投げられた言葉に、しばし呆然としてしまう。

―・・・コイツって、こんな奴な訳?何、口説き魔?

柄もなく躊躇してる間に、御簾を潜り抜けて行ってしまった。

「お、お前ちょっと待てっ。何好き勝手言ってるんだよ!?」

思わず体が動き、後を追って室内を出た。

「おいまて、お前っ!」
「ずっと待ってますからね。影鬼さんが来てくれなかっとしても、明日も、明後日も・・・十年後だってずっと」

クルリと振り返りざまに、とびきりの笑顔で告白まがいのような言葉をかけられてしまった。
ビシリと音をたてて、慣れない事をされた衝撃で、真っ赤になったまま固まった私に近づき、コイツは・・・・・。
信じられないぐらいの近い距離で、囁いてきた。

「あと、それから・・・節季ですよ?お前、じゃなくて。影鬼さんには、ちゃんと名前で呼んでもらいたいです」

パクパクと酸欠の魚の様になった私に、アイツは・・・・私の心をかき乱していく節季という名の男は、最後までこっちを向きつつ、手を振りながら去って行った。
私は・・・・私は、今日会ったばかりで、どこか抜けてて、お世辞かもしれない美辞麗句を次々とかけてきて・・・とびきり綺麗に笑うあの男に・・・・『恋』をしてしまったのかもしれません。



『三章』に続く。
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