新月の昇る闇の中で 


今夜は新月だ。漆黒の闇が夜を支配する日。
左大臣家北の方―暦は、自室から庭をぼんやりと眺めていた。
こんな夜には、あの日の事を思い出す。
「暦、何か考え事でもしてるのかい?」
後ろでお茶を煎れながら、夫の節季が聞いてきた。
「んー、まぁね。あの頃は色々とやってたなぁ、と」
「あの頃?・・・あぁ、私が暦と出会ったぐらいの時だね」
思い出し笑いをしながら、節季は言葉を重ねた。
「本当に、あり得ない出会い方をしたよねぇ」

そう、あれは私が十六歳の頃。
他人の好意的な感情に対して、幼子の様に無知でとても・・・不安定だった。



「・・・失礼ですが、父様。もう一度おっしゃって下さい」
巫家の邸の一角で、長女の暦と当主の祝人は対面していた。
親である祝人は、顔面蒼白でチラチラと娘の顔色を窺い、対する娘の暦は、背筋が凍る壮絶な笑みを浮かべている。
「いや、だから、・・・結婚してもらえないだろうか」 
深く嘆息した暦は、じろりと一瞥を投げ、口を開いた。
「知りませんでしたよ、父様がまさか私に対して、恋慕の情を持っていたなんて」
「ち、違う!私は撫子一筋なんだよ。彼女以外の女性になど興味はないのだから・・だから、そんな事思ってない・・・」
「当たり前でしょう。冗談ですわ冗談。今回はいやに熱心だな、と。妙な入れ知恵でもされたんじゃないかと心配でして」
ピシャリと話を切り、率直な質問をしてみる。
父様は、おずおずと今回の縁談内容を話しだす。
「お相手は、左大臣家の長男様と次男様なんだけどね。お前と菖(あやめ)両方と結婚したいとおっしゃっている。できたら・・・この縁談、呑んで欲しい・・・んだ。私が生きている間に、菖を良い家に入れてやりたいんだよ」
―あぁ、そうか。菖は私と離れたくないって、ずっと言ってたからか。
妹の菖にだけなら、昔から多くの縁談は山程きていた。
しかし、生まれてすぐに訳あって里子に出された私には、色々な噂が付きまとい、まったくと言っていい程ない。
でも、菖は、『お姉様と仲良く出来ないなら、結婚なんて致しません』と言うぐらい私になついている。困ったものだ。
「兄弟ねぇ。権力争いしそうじゃないですか?」
「仲が良いご兄弟だと有名だから、その心配はないはずだよ。・・・で、どうかな?」
もう懇願に近い態度でお願いされ、憮然とした態度で首を縱に振った。 
―まぁ、後でその情報が真実かどうか知らべておけばいいか。嘘だった場合、少し脅しとけばあっちから婚約破棄にしてくるだろうしね。
「おぉそうか。ありがとう暦、出来る限りの事はさせてもら・・・」
「あぁ、分かりました。詳しい話は菖と一緒にお願い致します。二度手間は嫌ですので」
話はおしまい、とばかりに立ち上がり、私は部屋を出ていった。



そして真夜中、警備の者さえ眠りを覚える頃。
巫家の屋根から、隣の屋敷へと一つの影が跳び移った。影は、次々にいくつもの屋敷を跳び越えて行き、やがて一軒の廃屋に降り立った。
その荒廃した屋敷は、盗賊などのならず者達が住んでいる場所だ。
見張り役がその影に気付き、駆け寄ってくる

「暦様ぁ大変でさぁ!早く来てくだせぇ」
「黙れ馬鹿。近所迷惑というのも考えられない知能しか、持ってないのか?」

暦は、貴族の姫らしい言葉をガラリと変え、荒っぽい言葉使いで話す。

「それに私の事は、お頭か影鬼様と呼べと、言っておいたはずだろうが」

スパァンと頭を叩き、暦はざくざく草を踏みながら進んで行く。
私がならず者達の頭となったきっかけは、二年位前だ。
ある日牛車で移動中に菖共々、誘拐された事があった。途中で暴れるのも何だったので、道中はおとなしくしていたが、もちろん、内心激怒していた。
そして下ろされた直後、一番大柄な頭相手に喧嘩を吹っ掛け、自身の力『念力』で、身体中の骨を折りまくってやったのだ。
・・・一応、殺すつもりはなかったので、手加減はしておいたけどね。
仲間が襲ってくると警戒したが、逆に涙を流して大喜びされた。
なんでも、無理矢理悪事を働かされていたらしく、抜けたとしても生きて行けるか分からない為、理不尽な頭につき従っていたそうだ。
それぞれに仕事を与え、みんなでめでたく幸せになりました。

『おしまい』

とはいかないのが現実の悲しい所で。
その後にも助けて貰いたい、暦様の部下になりたい、という奴らが次々と現れ、いつの間にやら裏社会で古参の人らに混じり、お頭業をやっている今日だ。
ばさりと御簾が上げられ、上座に通される。そして片胡座で座り、ぐるりと室
内を見渡す。

―おかしい、三人足りないな。

ちらりと側近を見ると、視線に気付き重々しく口を開く。

「お頭、実は昨日三人、冤罪で捕まりました。犯人は、平中納言の息子です」

無言で頷き、先を促すと別の部下が報告してくる。

「こいつぁ、たちが悪いので有名な奴でして。俺らみたいなお尋ね者に暴力を加えて面白がってんでさ」
「ふーん、なるほど。・・・で、場所は?」

ニヤリと笑い、「烏丸六条大路」との答えが返ってきた。

「分かった。取り返しにお邪魔させて貰うとしよう。いくぞお前達」
「「了解だぜ、お頭!」」

私は、ざっ、と腰を上げた部下達を引き連れて夜の都を歩いて行った。




深夜もとっぷりとふけた平中納言家の塀の外。

「・・お頭ぁ、一人で大丈夫かぁ?」
「私の力を忘れた訳じゃあるまい?・・・東の対の端で、待機してろ」

威厳のある口調で、そう言い残し、軽い助走だけで築地塀を楽々と越え、邸に潜入する。
報告にあった、豪華絢爛たる邸に似つかわしくない薄暗い牢は、すぐに見つかった。

―警備の奴らは入り口に二人、か。

庭木の茂みの中から様子を伺い、頭の中で計画を組み立てていく。

―騒がれると面倒だし、軽く気絶させるとしますか。

『念力』は、物を動かす事にもっぱら使うのだが、念を送って相手の意識を奪う事も私は出来る。

―相変わらず化け物じみた力なものだ。

心の中で苦笑しつつ、狙いを定める。

―気絶しろ。

男達の頭の中に、直接衝撃を与えると、びくっと体が跳ね、とたんに声もなく倒れた。

「悪いとは思うが、敵だからね。運がなかったと思って、諦めろよ?」

皮肉げに言葉を投げつけながら、片方の男から鍵を拝借し、牢の中に入る。

「源太、半助、小太郎、居たら返事しろ」
「ここです、お頭。手前から四つ目の牢です!」

聞き知った声を確認し、鍵を開けた。

「ほら、さっさと出・・・ん?一人多いな」

部下三人の後から、質の良い衣を着ている若い男が出てきた。
汚ならしい場所にいたせいか、貴族らしき男は憔悴している。

―だけど私は、赤の他人に甘くはないんだよね。

グイッ、と襟首を掴んで立たせ揺さぶる。
そしてドスの効いた声で、刺激療法として耳元で囁く。

「おい、お前。こっから逃げたいならしゃきっとしろ。足手まといは、この場でたたっ斬るぞ」

そう言うと男は、「ひぃっ」と悲鳴を上げたが、なんとか自力で立ち上がった。

「よし。外には出してやるから、その後は自分で頑張れよ」

牢屋から連れ出し、外で待機している部下達に向かって投げようとした直前。
「くせ者!誰か其奴を捕まえよーっ!!」

少し離れた所から、この家の主らしき男の声が響いてきた。
ばっ、と振り向き、暗闇でも昼間のように見える目で見回す。
すると、一人の男がこちらに向かって、警護の者達という要らないオマケを引き連れながら逃げて来ている。
その上、とんでもない事に、

「そこに誰かいらっしゃいますよねー。すみませんが、助けて頂きませんかー?」と叫んでいる。

―馬鹿かアイツはーっ。

「お頭、どうします?助けますか?」
「時間がかかったら、援護を呼ばれる。お前達だけ先に逃げておけ」
「ええっ?!・・でも、」
「とか言っている時間が惜しい!加減はするが、着地には自分で気をつけろ」

おろおろしている後ろの四人を、力で浮かび上がらせ、塀の向こう側に投げる。
向こう側で待機していた部下達の悲鳴が聞こえてきたが、このさい無視しておこう。
自分も飛び上がった。
が、すぐそこに来ていた男は、私が漆黒の衣を身に付けていたため、見えていなかったらしい。
結果として、おもいっきりぶつかられた。

「・・っ痛ぅ!」
「あ、すみませんっ。お怪我はありませんか、美しいお嬢さんっ」

―・・・は?今コイツ何言った?

こんな危機的状況なのに、頭は自分に向けて放たれた言葉で混乱している。
かれこれ十六年間生きてきて、「美しい」なんていう言葉などかけてもらったためしがない。

「美しい?お嬢さん?いったいどこの誰が?!」
「え、貴女の事ですけれど?・・・って、わぁっ!」

ひゅんっ、と闇を切り裂き矢が降ってきた。
今日は新月のため、上手く狙いがつけれないようだ。その代わり、やたら滅多に矢が飛んできて、迂濶に動くと当たってしまう。

―他人に余り知られたくないんだけど・・・やむを得ないし、力を使うか。

相手の動きを止めると同時に、外へ逃げようと、私の前でカタカタ震えている男を押し退ける。

「ちょっとそこ退け」
「ダ、ダメですっ!じ、女性の方に危ない事させれません。私が囮になるので、そのすきに逃げて下さいっ!」
「いや、お前が思っているより強いから大丈夫なんだけど」

思わず呆れながら、言い返す。

―一生懸命な台詞はありがたいが、どちらかと言えばお前の方が危ない、と
忠告してやろうか。

「・・・お前達、近頃有名な盗賊共だな?!仲間を取り返しに来たのだろう!」

バタバタと足音が聞こえ、刀を引っ提げた屈強な男達が、ゆっくりと私達の周りを取り囲んでいく。
それを見て、びくっと体を震わしつつ、私の前に頼りなげな男は立った。

「か、彼女はまったく関係ない人ですっ。たぶんこの家の方ですっ。乱暴しないで下さいっ!」

ひきつっている声のせいで、余計に男達の嗜虐心に油を注いでいる。

「五月蝿い奴だな。ならば、お望み通りそっちの女から斬ってやろう」
「そ、そんな・・・酷い」

ゲラゲラと笑われ、言葉が詰まってしまっているのに、未だに退こうとはしない。

―借りという借りはないけど、見ず知らずの相手にここまでやってくれた奴だし。ほおっておく訳にはいかない・・・か。

スクッと立ち上がり、お頭用の態度で私は言い放った。

「ざけるなよ、カス共がっ。裏の社会の頭相手に、喧嘩吹っ掛けるとはいい度胸してやがるなぁっ!」
「「・・・へ?」」

大人しくしていた女が、いきなりならず者の様な口調で話し出した事に、男達は全員呆気にとられ、間の抜けた声を出す。

―今だっ!

出来た一瞬のすきを見逃さず、怒涛の勢いでソイツの手を掴み、少しキツかったが、まったくの助走なしで塀を飛び越えた。
スタッ ベシャ
二種類の着地音が、路に響いた。

「痛た、着地失敗だ」
「そんな悠長な事言ってる場合か!追いかけられない内に逃げるぞ」

塀の向こう側では、ざわめきが収まらず、門に向かっている足音も聞こえてくる。
繋いだままの手を引っ張り、そのまま闇に紛れて私達は駆けて行った。


『二章』に続く。
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