ある日の丑三つ時。
体を釘で刺される様な痛みにうめいていた藤原義別は、スルスルという衣擦れの音にハッと気付いた。

「・・・ってぇ。女房の誰かか?何のよ・・・・・ヒッ」
「お怨み申し上げます。何故、この私をお捨てに?」

寝返りを打った義別の耳元に囁かれたのは、掠れた―だが明確な憎悪がこもった女の声。
吐息がスーッと移動し、顔に落とされる。
目の前にいたのは、口と両の眼がつり上がり、額に柔らかな皮膚で包まれた角をはやした鬼。

「わぁっ・・・ひあぁっ」
「どうして?・・・私のどこがお気に召しませんの?私はこんなにも貴方様を・・・」

いやいやをする様にこの鬼が唯一女と分かる長い黒髪をふり乱し、そろそろと手を伸ばしてくる。

「ゆ・・・許して。ほら、一時の気の迷いだって。愛してるよ。だから、な。な?」

その言葉に鬼女はピタリと動きを止め、恐ろしい面に壮絶な笑みを張り付ける。

「嘘」

ポツリと放った一言に続き、急に甲高い声で叫ぶ。

「お飽きになったんでしょ?!私の事などなんとも思ってないのにそんな言葉っ!私がどれだけ苦しい思いをしてきたかを、分からせてさし上げてよ!」
「ひぃぃっ!」
「あははははっ!義別めぇ、この怨み晴らさでおくべきか」

スクッと立ち上がった鬼女は、高笑いと共に透けて拡散した。











「・・・・って訳で、結局うちにあのバカ息子が泣きついてきたってか?」
「まぁな」

左大臣家恒例行事である『家族そろっての食事』をとっている時、話を聞いた息子達はまたかと呆れかえる。

「あの親子は、俺達を何だと思っておるのだ。何でも屋と勘違いしてはいないか?」
「夏幸の言う通りですね。・・・・第一、悪鬼調伏なら陰陽師に依頼すればよろしい話でしょうに」
「頼んだけどしくじったんだとよ。実際に例の鬼女を見たら、腰抜かして気絶しやがったらしい」
「弱っ!ありえねぇー!」

兄達の会話にクスクス笑いながら、冬幸は母親に尋ねた。

「じゃあ、今日は義別さん泊まりに来るの?」
「あぁ。・・・・つっても、寝れねぇけどな。丑三つ時まで起きてなきゃなんねぇんだから」

面倒だとばかりの表情で受け答える暦に、冬幸は満面の笑顔で言葉を続ける。

「でも僕は、鬼退治の為でも久しぶりに会えるから楽しみだよ!」

素直に従兄弟と会えるのを喜んでいる冬幸に対し、三人の兄はむっすりと押し黙り始めた。
父の節季が妻至上主義ならば、兄は末っ子至上主義なのだ。
世界中で一番可愛いと溺愛する弟が、迷惑千番なバカ従兄弟が来るのが楽しみというのは大変面白くないのだろう。

―・・・ちっ、あいつ本気で消えりゃあいいのに。
―人類の汚点を煮詰めて固めた男ですからね。そんな奴が、清廉な冬幸に近付くと想像しただけで反吐が出ますよ。
―月に一度の割合で、骨でも折っておくか。それならば、永遠に迷惑なんぞかけれまい。
―いや、甘いですよ夏幸。加えて半年に一度、毒も盛っておきましょうか。例えば・・・・蛇毒とか。
―いやいや、ここはサリンでもかがせとくべきだ。
―いやそれよりも・・・・。

三人にテレパシー能力はないはずだが、弟に関しては一心同体の心がけの為、会話が成立してしまっている。
愛の力なのに雰囲気がドス黒いのは、その愛情が随分歪んでいるからだろうか?
そんな考えが頭を掠めていきながら、一歩どころか一里ほど引いた常識的な居候の炯斗は、淡々とそっちを見たいように食事を再開させた。
と、暦が動きを止め、ふと視線を庭側の御簾に向ける。

「隼、構わないから入れ」
「すみません。お食事中に失礼ですが、お言葉に甘えてお邪魔いたします」

サラリと簾をくぐり抜け、深く頭を下げたのは、暦の腹心の部下―隼だ。

「もう今日のヤマを終わらせたのか。さすがだな」
「影鬼様と先代に叩きこまれて育ちましたので。ご期待は裏切りません」

暦のすぐ横に膝をついた彼は、彼女に同性でも見惚れる笑顔を浮かべた。
春幸が際立って目立つ大輪の薔薇の麗しさを誇るなら、隼は月光を映した刃の冷たい美しさといえる。
まぁ、心の温度差も真逆なのはご愛敬というものだ。
その笑顔にまったく揺るぎもしず、暦はニヤリと口角を上げて「今から作戦を発表する」と宣言した。

「まず、秋は鬼女こと咲子っていう娘が来たら、幻覚で夏をバカ息子に見せろ。夏は襲ってきたら、暴力は振るわずに取り押さえとけ。いいか?」
「承知した」
「任せとけって」

その返答に満足した様に頷き、次に春幸を指す。

「お前は私と一緒に彼女の前で、アイツをズタボロの布切れみてぇになるまでしばく」
「お任せください。必ずや地獄のどん底につき落としてみせます。・・・とりあえず、お祖父様特注の拷問器具を使いましょうか」
「え・・・・えぇっ?鬼ではなく彼を・・・ですか?」

あっさりと、だがとんでもない指示に、普段は決してつっこまない炯斗も思わず聞き返す。

「あぁ。生き霊じゃ、恨んでる限り永遠につきまとうだろうよ。だから、女の子の怨みを代わりに晴らしてやるんだ」
「ぁ・・・な、なるほど」

物騒極まりない作戦だなと警鐘がなり響くのだが、悪魔も滅する彼女が言うなら有効な策なのだ。
そうにちがいないと自分にいい聞かせ、無理矢理に納得させる。
目で続きを促すと、彼女は再度口を開く。

「んー、あと残りは適当に座っとけ。世の中そう非道い男ばっかじゃないっつー証拠品として」
「母上・・・?なぜ私がその組に入っていないのですか?これでも女性には人気なのですけれど・・・」
「そりゃあ、春のは外ヅラがいいだけだからな。一皮剥くとブラックホール級の闇が渦巻き、態度は液体窒素の如し・・・なんて奴は浮気野郎より、男不審にさせると断言出来るね!」

数秒の沈黙の後。
全員が同時に吹き出した。

「え・・・液体窒素って・・・。ぶっ、そのつれなさに瞬間冷凍ってか!」
「確かに兄は腹黒だが、ブラックホール級とは・・・・。た、例えが激し過ぎるぞ、母!」
「・・・・ほぅーう。お前達はそういう風に私を思っていたという訳ですか。よく分かりましたよ」

ギッと今までにない険悪な―それこそ、好青年の仮面が壊れるほどの怒りを込めた視線で、笑いころげている弟、必死で笑いをこらえて顔を真っ赤にした居候を睨み付ける。
諸悪の根源はニヤニヤし、父は「口が悪いよ」とたしなめるも頬が揺るんでいた。
おまけに隼までが、顔を背けて肩を震わせ続ける。

「あはっ、あははっ!・・・で、でも春幸兄上って、人気だけど特定の恋人はいないんだよね?」
「まぁ・・・ね」

横から最愛の弟にクイクイと袖を引かれるという吐血もの仕草で、ようやく怒りをおし込めた。

「私の場合は、第一条件を満たす女性が見つからないだけで、恋人は欲しいと思ってますよ」
「うえぇっ!?・・・兄貴に恋人を求める気持ちが、あった事自体におっどろきだわ。・・・・で、条件って何?」
「俺も興味深い」

冷酷無慈悲な兄の恋愛観なんて滅多に聞けないと色めき立つ、反省の色ゼロの弟達に問題を出す。

「わかりますか?簡単そうで、とても難しい条件なんです」

首を捻り、そして顔を見合せた後、同時に異口同音の答えを言う。

「「世界中で一番冬幸を愛してるのを許してくれる」」
「・・・理由は?」
「「俺がそうだから」」
「え〜っ、何それ?何で僕が一番なの!?」

赤面ものの言葉に思わず非難の声を上げる弟に、兄二人は破顔しながらあっさり付け足す。

「「可愛いから」」
「ちょ・・・そんなぁ。は、春幸兄上は違いますよねっ?」

羞恥で火が噴きそうなほどに顔を赤らませ、出題者に答えを確かめる。
しかし、予想に反して返ってきたのは、

「あぁ、それは勿論ありますけど・・・・その事も含めてですから、ハズレですね」
「はあぁぁっ?!絶対コレしかねぇって思ったのに」
「含めて・・・だと?世界最大の謎だな」

難解な数学式を渡されたかのように、頭を抱えて悩みまくる。
暫くして、独り言に近い呟きを隼は洩らした。

「力も、家族への愛情も、全てを自分の一部だと思ってくれる人」
「「・・・・え?」」

自分の発言が一斉に注目を集め、慌てる隼に暦は顎をしゃくって続きを促す。

「あ・・・ほら。私からすると、この『眼』は唯の身体の一部分ですが、私の能力を知った方からすると、道具ともみる訳なんですよね」
「ん・・・・?」

よくわからないという態度が、はっきり顔に出ているのを見てとり、自分にも言い聞かすように少しずつ説明を重ねていく。
そして無意識になのだろうが、左目を隠す眼帯を片手で玩ぶ。

「この『眼』では、遠視や透視が可能です。その事を言うと、大抵の方が嫌な顔をされるんですよね。・・・この人は自分の行動や態度を全て把握出来るのだ、と恐れたり、疑心暗鬼にかかるんですから。仕方ないと言えば、仕方ないんですけれど」

いつの間にか室内は夜の水面のように静まりかえっている。

「その方達にとって私の『眼』は、身体の一部ではなく、自分を探る『モノ』として認識されているんです。その状態で、私に対して心を許す事は不可能に近い」

お恥ずかしいですがと苦笑しつつ、彼は自分の弱音を吐き出した。

「だからこそ私は力を秘密にしますが、今度は知られた時の反応が怖くて、他人と上手く付き合えずの悪循環ばかりで・・・・って、自分の愚痴になってしまいましたね」

この場に年下が何人もいる事を思い出し、照れ隠しに軽い口調で、隼は話を締めくくった。
その姿をじっと真摯な目で眺めていた春幸は、噛みしめていた重い口をようやく開く。

「私も隼さんと同じですね。他人にはあまり興味を持たないこんな冷たい私ですけれど、表立って拒絶されるのは・・・・正直な話、慣れれませんよ」
「・・・・全ての生物は・・・」

春幸が話し終えると同時に、活発な彼女にしては不釣り合いなほど落ち着きのある声で言葉をつむいでいく。

「自らの理解の範疇にない存在を『不穏分子』と認識する。それは、自らを危険から守る為には必要不可欠な精神構造。人はこの意識がひどく強い。だからこそ、人ではあずかり知らぬ力を『神』と崇め、『妖』と恐れる」

暦は懐から煙管を取り出し、紫煙をゆったりくゆらせる。

「それはどれも人ならざるモノ。人には感じえない強大な存在と思うからこそ、見えてはいても感じない。故に、自らと同じ『人』の形をとりながらも人外の力を持つ者は、『神』でも『妖』でもなく『化け物』と認識するのが人という生物の常」

ポカーンとしたその場の全員に、いつも通りの傲岸不遜な笑みを見せた。

「親父からの教訓で一番しっくりきた話。・・・・さくっと要約すりゃあ、『弱々しい相手に自分をまるごと愛して貰おうなんざ、虫がよすぎる。んな腐った性根をすげかえて出直せや』って事さ」
「母上・・・、それは・・・」
「まぁ、気持ちは分からなくもないけどよ。他人に依存するっつーか、甘えるっつーか・・・夢見すぎんのはやめとけな?」

隼、春幸に視線をやり、順番ずつ息子らに、さらには炯斗にも、安心させるかのように自信満々で宣言する。

「でも大丈夫だって。なんせガキん時から魔界で将軍やってる私が、今じゃ四人の息子に14年下の弟分、加えて居候一人の計六人の子持ちだぜ?お前らもそのうち幸せな家庭、もてるだろうさ」

その言葉に合わせ、節季もさっきまでの重い空気を払拭する微笑みを向ける。

「そうそう。暦の時もそうだけどね、相手が平凡以下だと素晴らしさが理解出来ないみたいだから。そんな格下はこちらの方から願い下げだと思うけれどねぇ?」
「・・・・っ」

親の愛情深い言葉一つ一つに感動し、子供達六人は―あの春幸や夏幸さえも涙がこぼれそうになる。



が。



「んだよ、この屋敷。どうして女房も家人も出迎えねぇんだ。誰かいねぇーのか、俺は左大臣の甥だぞ」

ドスンドスンと鈍重な足音と、馬鹿でかい締まりのない声が雰囲気をぶち壊す。
ガラリと妻戸が開いて、例のバカ息子が現れた。

「あ、伯父上んちってなんで出迎えないん・・・・うひゃあっ!何すんだっ!」

憤怒の炎が燃えさかった三人の息子達が、それぞれの得物を構えて一斉に跳びかかったせいで、義別は情けない悲鳴を上げる。

「何すんだはこっちの台詞だ、この馬鹿がっ!せっかく、いたぶられ人生からついに解放かと期待したっつーのにっ!」

秋幸は居合い抜きで太刀を、頬スレスレに薙ぐ。

「貴様はことごとく希望を打ち壊すのだな。この愚息めが!」

夏幸は一撃必殺の武骨な暗器で、衣服を縫い止める。

「なんなら、人生をやり直させてさし上げましょうか?今なら一発で逝ける事、請け負いですよ?」

春幸はというと、殺傷力抜群の銃の引き金を躊躇いもせず引き続ける。
死なない程度に手加減はしているが、本気の殺気をみなぎらせた攻撃に怯えて、唯一の緩和剤である冬幸に助けを求める。

「ふ、冬幸っ!いつもみてぇに止めろって!」
「やです。今日は兄上達の怒りはもっともだもの」
「はあぁぁっ!?俺の何が悪いってんだよおぉっ!?」
「「「存在している事だっ!!!」」」



その日。
特殊な結界が張り巡らされた左大臣邸では、深夜が訪れるまで、絶叫と破壊音が延々と響き渡った。
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