濃い朝靄が、厚い雲の如く都に立ち込めている。
睦月は、まだまだ寒くなる途中の季節だが、さすがに空が白む頃だと、骨の髄まで染み込む寒さだ。
そんな時間帯でも、殿上人は元日に開かれる催しに出席するため、所々の屋敷で車の準備が始まっている。
だが早すぎるこの時間、活気のある東市にさえまだ誰もいない・・・・・いや、たった一つの影が靄に透けて、揺らめいていた。
一瞬。
風が吹き抜け、ぼやけていた影の輪郭が鮮明になった。
都人には見られない長身は、細いがほどよく筋肉がついたしなやかな肢体。切れ長の目尻と、薄い唇は冷たい氷の美貌をさらに際立たせている。
しかし。その美貌よりも人目をひくと思われるのは、左目に輝く群青色の光だろう。
異様な風采の彼―隼は、当然只の人ではない。隼は、母親に梅の精霊を持つ、半精霊の立場にある。
しかし、隼自身は人に近く、また両親共に「半分、人じゃないから何?悪い?」的な感覚の為、都で普通に人として暮らしている。
ちなみに職業は、『盗賊の頭領』。そして同時に・・・・・・裏社会の伝説『影鬼』の現・右腕でもある。
本当にごくごく普通の、一般常識を持ち合わす人からは、
「どちらにしろ、普通の人じゃないっ!」と感想され済みなのだが・・・・。
今朝は仕事ではなく、明確な目的もなしにあちらこちらを歩いていた。
理由は今日の予定、いや会う方・・・・はっきり言ってしまうと、最近会っていなかった影鬼様と、一緒にいれるから。しかもほとんど1日中。
―少し前なら、内心情けなく、いじけていたのだけど。
クスリと苦笑し、薄暗い空を見上げて昔の自分を思う。
会えるのが嬉しいのは、今も昔も変わらない。
彼女は、自分の憧れであり、目標であり、そして何より27年以上、一方通行の思いを寄せる人だから。
―ん・・・・。違うな。正確には、『だった』に近くなってるか。 彼女とは長年の付き合いだ。向こうも、私のことを好いていてくれている。
ただ・・・・私への愛情は、恋愛感情じゃない。
それに彼女には、自分以上に大切な人達がいる。
四人の『息子』に最愛の『夫』。
彼女は愛情深いのだ。とても。
だから。
その気がないのに、自分に優しいから・・・・その優しさが悲しくて、虚しくて、泣きたくなる時が、なかったと言えば嘘になる。
そのくせ、自分からは告白など出来ない。
「家族を悲しくさせてはいけない」とか、 「彼女が困るだろう」とか、 言い訳しながら『家族のような関係』という居心地のいいぬるま湯から、一歩も抜け出したがらない弱い自分がいた。 いったい自分はいつ抜け出せれるのだろうか。いや、抜け出さなくともいい。徐々に恋が・・・・『憧れ』が薄まってくれるだけでも。 そんな風に、幾度となく悩んでいた。
でも・・・・今は、純粋に彼女と会える事を喜べる。好きな人に会うので、いつもよりかはソワソワしているけれど。
『好き』な気持ちは変わらないが、姉や母親に対する『好き』に変わってきた気がする。
こうなれたのは、勿論のこと偉大な時間の流れもあるが・・・・やはり、彼女の夫―節季さんの影響が大きいのだろう。
と、突然物思いを切り裂いて、左目が何かを捉えた。 自分の左目には、精霊の力が宿っているため、見鬼の才に加え、遠見や透視の能力が備わっている。
私は、遠見と見鬼の力を同時に使い、そのモノの正体を見極めた。
―百鬼夜行だ。 多分、終わりがけなのだろう。夜に見るより、はるかに数が少ない。 けれども、油断は出来ない。自分は「見る」事は出来ても、「滅する」事は出来ないのだから。
進路を読むと、彼らは朱雀大路を南下しているようで、もうすぐ四条大路に差し掛かろうとしていた。
―鉢合わしそうな人達は・・・・いた!
「見」まわすと、五条大路を朱雀大路に向かって、殿上人が乗る八葉車が進んでいる。
このままだと、彼らとバッタリ会ってしまうだろう。
隼は左目に眼帯をつけ直し、すぐさま行動にでる。五条との角で忠告するため、東大宮大路をその名の如く、駆け出して行った。
盗賊頭領として鍛えられた脚力は、隼をあっという間に四つ角へと導いた。
「そこの方々、お止まり下さい。少々、忠告致したい事がございますので」 凛とした声で車を止め、中年の牛飼いに名を告げる。そして、一応の礼儀は守るため、会話の許可が得られるまでの間、頭を下げた。
隼の名は、貴族達にも轟いているため、すぐさま右手の車の簾が引き上げられ、ベッタリと白塗りした貴族が、顔を覗かせてきた。
「ほぅほぅ。そちが隼か、噂は聞いておるぞ。・・・・して、何用か?」
「はい。・・・・ぁ」 ―なぜあの方が・・・?
思わず驚きの声が、口から溢れ落ちてしまった。
頭を上げると、視界によくよく見知った人物―節季さんが飛び込んできたのだ。
「・・・・?これ、どうしたのだ?」
しばし固まっていた私を不審がり、節季さんの隣にいる貴族が、声をかけてきた。
はっと我に返り、外見は何でもないかのように取り繕い、口を開いた。
「ぁ・・・・いえ。・・・・朱雀大路を百鬼夜行が南へ下っています。待たれるか、別の路を行かれるかをおすすめしますが」 「百鬼夜行とな?!」 「はい」 沈黙の後・・・・、車内は爆笑、そして嘲りに包まれた。 予想範囲内の貴族の言動に、決して気を悪くしたりなどしない。
常日頃から、自分だけは危ない目に合わないと信じ込んでいる連中だ。きっと自分の話は、金品を巻き上げようとするための作り話だと、思っているのだろう。
まさに彼らは、侮蔑の笑いを発しながら、私の足元にいくらかの金を放った。
「それはそれは。ご苦労であったな。礼にそれをやろうぞ」
「なにせ、朝早くの百鬼夜行を、見つけてくれたのだからなぁ」
「これは今日の宴に使えるのぅ。まったくもって、笑えるわ」
私は無言のまま、すーっと表情を欠き消して、彼らに背を向けた。
後ろではいまだに、嘲笑が治まっていないらしく、切れ切れに言葉が届いてくる。
「よっぽど盗賊は、金にならんらしい」 「本当に。巷では、武術だけではなく、博識でもあると聞くが、あんな戯言を吐くとはぁッ・・・・」 ドサッ バサッ
鈍器で何かを殴りつける音が、耳に届いた。
あまりにも凶悪極まりない音源を、バッと振り返ると同時に、節季さんの隣に座っていた貴族が、簾を突き破って車から落ちてきた。
「殿ぉぉぉおっ!・・・・何をなさるのですか、左大臣様!」
「あはははー。ただ私は、聞くに耐えない雑音を、この世から消しただけですよ?・・・・あぁ、内裏には歩いて行くので、降りさせてもらいますねぇ」
車内でそんな会話が聞こえてすぐに、節季さんは前から牛を乗り越えて来た。 なんとも言えない空気が、この四つ角に押し積もっていく。
―あぁ、どう考えても、 ・盗賊を笑った貴族を殴りつけた。 +
・そして、殺気だった従者が大勢。
+
・誰も見ていない状況下、丸腰の加害者。
=「殺るか?」
という方程式が、出来上がってしまうっ!
私はできうる限り冷静に考え、一つの結論を導き出した。
行動したはいいけど、この後どうしようと全身で語っている節季さんを、力任せに引っ張り、腰に挿していた太刀を喉元に突きつける。
そして心の中で、「自分は今、影鬼様なのだ。傍若無人を地でいく彼女なのだ」と念じながら、
「貴様っ、よくもわた・・・じゃない、俺の命令を聞かなかったな。仲間の所まで、もう少しだったというのに!」 と、怒鳴り付ける。
丁寧な説明にしか聞こえない、今の脅しを聞いた彼らは、コロリと騙され、たちまち態度を豹変させる。
「なんだとっ!この盗人めぇ、左大臣様を放せ!」
「ふっ。誰が許すものか。追ってきたら、老いぼれを殺すぞっ!」 「あぁっ!助けてくれ、君達ぃっ」 嘘八百を並べるのも仕事の盗賊と、実は相当な演技派の貴族、そしてヌケてる従者、三人合わせて文殊の知・・・・違う違う、喜劇の出来上がり。 ―あれ、なんでだろう?悲劇の設定だったはずなのに、喜劇に見えてきた。 まぁお察しの通り、私の出した結論はつまり・・・・、 『悪いのは盗人だけで、左大臣は悲劇の英雄にすれば、万事解決』だ。
「検非違使に通告したら、左大臣の命はないぞ。さらばだ、愚か者共」 私は冷酷な盗賊の演技をし通して、節季さんに太刀を当てたまま、その場から急いで逃げ去っていった。
少し離れた場所で、ようやく太刀を鞘にしまった。そして深く頭を下げて、謝罪する。
「申し訳ありません、節季さん」
対する彼は、またホンワカ笑って、言った。 「別にかまわないけどねぇ。・・・・どうかしたのかい、信じられないって顔してるよ?」 「それは貴方が・・・その・・・他人を気絶させるなど、思っていなかったので」
素直に驚いたと告げると、よくぞ聞いてくれましたとばかりに話し始める。 「この扇は、四十賀に暦がくれた特注品でねぇ。何かあった時は、首を殴れば『一撃で殺れるぜ』だって。凄いでしょう?」 差し出された扇を詳細に見、記憶を辿ると、すぐに思い出した。
あぁ・・・・・それは、
『一見すると檜扇だが、実は鉄扇。特殊製造で、軽量なのに鈍器として活躍可能。骨部分には、暗殺針・毒薬各種・刃物等々を仕込み、当にこれ一つでどんな状況でも打破できる無敵の扇!ちなみに、防水加工だぜ?』 という、例のアレなんですね、節季さん。
そして貴方は、平然とそんな物騒な凶器を、使ってしまう方にいつの間にか、なっていたんですね?
「夫になんてモノ贈ってるんだっ!」もしくは「なんで喜んでいるんだ!」と、つっこむべき所なのだろうが・・・・、はっきり言って、「わぁ、影鬼様らしい」「節季さんは、相変わらずですね」で済んでしまう夫婦なのだ。
ある意味、一番それが恐ろしい。
いや、それはおいておくとして・・・・・。 「私がお聞きしているのは方法ではなく、理由なのですが」 苦笑混じりにそう聞き直すと、彼はあっけらかんとして言った。 「え?友人を侮辱されたから、やり返しただけなのだけどねぇ」
「友人・・・・ですか」 「えぇ。・・・・あぁ、しかし私みたいな老人から、友人扱いなんて困るかな?」
14年も年上で、尊敬に値する『大人』の彼に、あっさり友人と言われ、まごついていると、不安げな顔で聞き返された。
「いえ、まさか。そんな事ではなくて・・・・・。その・・・立」
「立場なんて、そう簡単に崩れる地位にいないからねぇ。大丈夫だよ。・・・・いつもありがとう」
「あ・・・えっ・・・・と」
清々しいぐらいに言い切られると、逆におどおどしていた自分が、恥ずかしくなってしまう。
そうこうしている内に、彼はふと空の仰いで私に言った。
「おや、もうあんなに日が昇っているねぇ。そろそろ私は、参内しなければならないかな。・・・・・隼君」
「何でしょうか?」 佇まいを整えながら、昔から何一つ変わらない、私専用の意味深な笑みで、彼は再度口を開く。 「今日は久しぶりに、好き勝手すると思うんだ。多分・・・一番したがるのは解剖かな?大変だけど、手伝いよろしくね」 「解剖・・・・ですか?」
絶対だよと彼は無言で微笑み、肯定する。
そして彼は、それじゃあねと別れを言って、何度も繰り返し繰り返し、振り返って手を降り続けてくれた。
朝靄はすっかり消え失せ、広大な空には深淵な海が広がる。
その下に林立する泥壁の間を進む、彼の人柄を表した様な薄紫を、私は見えなくなるまで見送った。
あれはそう・・・・。まだ私は、三歳だった頃だ。
正式に彼女と恋人じゃなかった節季さんとの、一番最初の会話を、今でも覚えている。
「あのね、隼君」
「なんですか、ときひでさん?」
廃屋の片隅で、影鬼様を待っていた時の事だ。
彼がホワーっとした笑顔のまま、でも目を真剣に光らせて、話しかけてきたのは。
「実はね、私は君がまだ好きになれないんだよね」 「えっ・・・・・?」 「ん・・・・、ずーっと理由を考えていたのだけど、君が影鬼さんの近くに今も昔もいて、これから先も一緒にいるからだと思うんだよね」 突然の告白に、驚愕の表情を浮かべた状態で、私は見事に固まってしまった。
しかし彼は、何でもないように話を続ける。
「私はね、あんまり・・・・んー、何て言うか、独占的とかが薄くてね。我慢してるんじゃないんだ。素で、そうなんだよ」
訳のわからないまま、私は一応うなずいた。
「だからかな?私って、すぐに他人に何でも譲ってしまってね。争い事なんかも苦手だから、弟より低い地位にいるんだけど」 けらけらと、悲観的な台詞を口に出しているにしては、にこやかに笑い声を上げる。そして彼は、深い叡知を湛えた眼差しで、私を見つめてきた。
「でもね、彼女だけは特別。恋なんて初めてなんだけど、単なる憧れかもしれないけれど・・・・初めて本気で、誰かを欲しいと思った。」
君もでしょう?と問われ、おずおずながらもコクンと頷く。
「あのぅ・・・・でも。・・・・なんでぼくに言うんですか?そんなこと」 「ん?・・・・だって君は、敵だもの。先制で、宣戦布告しときたくて」 彼はその当時、ようやく16になったばかりらしいのだが、その時から私の目には、随分と人生を達観しているかに見えた。 そんな理由から、私は彼が羨ましかったし、嫉妬の対象だったのだ。
―ときひでさんみたいな人が、ぼくにしっとしていた? 新たな驚きを胸に、私はこんな質問をした。 「ぼくは・・・・まだ三つですけど?」 影鬼様と恋人になるのは、年齢を考えたら不可能に近い私に、彼はキッパリ言った。 「君には、人生経験で負けているもの。それに、彼女と知り合ってからの年数もね。・・・・でも、負ける つもりはないよ。君を追い越せるように、必死で頑張るからね?」 その挑戦を私は、真摯な態度で受け取った。
「ぼくも・・・・がんばりますから。あなたよりも。いろんなコトで、かてるように」
「そっか・・・・なら、私達は一生かけて勝負だね。ずっと」
私達はお互いに視線で、「絶対に負けないけれどね」と交わし、その瞬間から好敵手同士になった。
思い起こせば、あの時が初めて対等な人間として、他人に認められた時だったと思う。
彼は、私を徹底的に邪魔してきたし、自分も相当に彼の障害となった。よく影鬼様に「子供相手に大人気ないっ!」と、しばかれていたけれど、結局ただ一度も止めずに、情け容赦なしの勝負をしてきた。
そして、恋人として付き合い出してさえ、「影鬼様に惚れてる」私を常に警戒する態度を、取り続ける人だった。
いつも私を「対等な存在」として、さらに昔なじみの友人として扱ってくれる、今どき珍しい程に公正な彼。
人への接し方・自分の持ち様は、影鬼様とはまた違った尊敬の対象であり、目標たるべく大人の姿だ。
人生というモノが、少しは分かるようになった今だからこそ、自分は彼らに近付き、越えたいと望む。
羅城門の上で、彼の助言通り準備をしつつ、記憶を巡っていると。
タタンッ 軽い跳躍の音とほぼ時間差なく、例の影鬼様が姿を現した。 いまだ快活で、若々しい魅力に溢れる彼女は、いっそ爽やかに聞こえる大声と共に、私をガバーッと抱きすくめてきた。
「おはよう、隼。今日は解剖の日にするからっ!事件を解決っ!」
「おはようございます、影鬼様。何か良い事でも?」
「質問返し。俺がやる事に、明確な理由があるとでも?」
「・・・・・ないですね」
「その通り!・・・・ただ朝イチの感想、新人から古参まで、朝廷の甘えきった奴らはダメだな、と感じたってぐらいだぜ?」
やんわりと腕を首からほどき、彼女に向き直る。
「開口一番、解剖の次はダメ出しですか。・・・・でしたら、こんな貴族の話はいかがです?」 「えっ?俺の知ってる奴?」 「さぁ、どうでしょう。実は、今朝・・・・・・―」 ―お見事ですよ、節季さん。予測は、完璧に的中しました。 今朝の出来事を名前を伏せて、すらすら語りながら、私はこんな事を心中で呟いた。 今は抜かされていても、今回は不必要に焦りません。
自分の速さで、自分を磨いて、自分なりの『大人』になりますよ、節季さん。
最終的に『人間性』で、貴方に勝てるように。
だって勝負はまだ・・・・続いているんでしょう?
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