「このお屋敷って、誰のなんですか?」
着いて早々に、そんな質問を兄上にしてみる。兄上はすぐさま、教えてくれた。
「中納言の藤原実通様だよ。確か娘で未婚なのは、三女の澪子様だったはずだけど」
「フンッ。なんだ、女にはあまり興味がないと言っていたのに、随分と詳しいじゃないか」
叔父上は反撃口を見つけたとばかりに、憎まれ口を叩くが、兄上は何でもないようにに言い返す。
「当たり前ですね。いずれ、この都の誰かが、冬幸の妻になるかもしれないんですよ?事前に全ての女を、調べておくのは当然の事でしょう」
重すぎる愛情に呆然として、叔父上はポカーンと口を開ける。だけど春幸兄上も秋幸兄上と一緒で、自分の言動が周りにどうとられるかが、まったく関係ないらしい。
何事もなくスタスタと門番に近寄って行き、仕事用の態度で本性など微塵も見せず「私は、参議の藤原春幸という者です。実通様にお会いしたいのですが」と爽やかに言った。
門番はコロリと騙され、表向きは好青年の貴公子とそのご一行は恭しく迎え入れられた。
そして一刻ぐらいの後に、僕らはさっさと屋敷を出てきてしまった。叔父上は一生懸命に義別さんの話に持っていこうとしていたけど、それを全て兄上は封じ、結局世間話で終わった。
―兄上の事だから無理に聞き出すより、頭の中を読む方法を選んだんだよね。
僕は兄上の行動が理解出来たけれど、もちろん叔父上は憤慨していて、誰もいない事を確かめた後、兄上を怒鳴り付けた。
「なんて事をしてくれるんだ、春幸っ!もし義別が見つからなかったら、貴様のせいだぞっ!」
一見、温厚そうな春幸兄上は、実は相当に沸点が低い。予想の如く、「貴様」呼ばわりにキレてしまったらしい。
「・・・貴様?失礼ですが、役立たず中納言の叔父上に、言われたくはないのですが?」
「や、役立たずだと・・・っ!」
「あぁ、すみません。素直なもので、つい本音が」
険悪な雰囲気が耐えきれずに、宥めるため二人の間へ入って行く。後で物凄く後悔する事になる、とは知らずに。
「兄上、気持ちは分かりますから、もう止めて下さいって。叔父上も、兄上にも考えがあってやってる事なんです。そんなに怒らないで下さい」
きっと叔父上からしてみれば、息子と同じような年の僕になんで諭されなければならないんだ、という心境だったんだろう。只でさえ、兄上に会話を邪魔され続けて怒りが沸騰していた叔父上は、矛先を僕に向けてきた。
「・・・お、お前のせいだぞ、冬幸っ!お前が春幸を呼ばなかったら、こんな事にはならなかったんだからなっ!」
叔父上は、僕の襟元に手をかけてグイッと引っ張った。
次の瞬間、兄上の顔から表情が、嘲りや侮蔑さえもスッと消え失せた。そして刹那にも満たない間に、叔父上は僕の視界から消え去っていた。少し遅れて、何かに重量があるものがぶつかった音が聞こえてくる。
恐る恐る音をたどって見ると・・・・哀れにも、叔父上は壁に逆さに叩きつけられていた。ようやく今になって、ズルズルと頭からずり落ちている。
「わぁっ!叔父上、大丈夫ですかっ!」
急いで駆け寄って状態を確かめると、死んではいないみたいだけど気絶はしていた。でもさすが兄上で、見事に一番傷が出来ない投げ方をしたらしい。
「あ、兄上ぇ・・・っ。いくらなんでも、やりすぎですようっ!」
「冬幸に手を出したんだ。殺されないだけ、ありがたく思ってもらいたいんだよ?その内に起き上がるだろうから、もう帰ろうね」
そう言って兄上は、逃げられないように僕の手を引いて、屋敷へと帰って行った。


「あははは。それで節別を、置き去りにしてきたの?」
「えぇ、もちろん。当然の処遇でしょう、父上?」
「ん〜。まぁ、ほどほどならね」
「全然ほどほどじゃないですよっ!?」
その日の夕刻。僕らは夕食の時に、家族に今日あった事を話した。そうしたら、家族全員あっさり「春幸、よくやった」と褒め称え出した。
「う〜。皆、叔父上の事心配じゃないんですか?」
不満げに家族に問うと、「や、別に?」しか返ってこなかった。
―皆、なんで僕の事になるとこうなのかなぁ。もうちっちゃい子じゃないんだから、そこまでしなくていいのに・・・。
「でも本当に大丈夫なんですか?外見が傷付いてなくても、中が損傷してる事もありますよ?」
「え、えぇっ!そんな事あるんですか、炯斗さん?」
耳に入ってきた言葉に驚いて、すぐ隣を振り向く。そうすると『本当の』好青年である彼は、ニッコリ笑って「えぇ」と教えてきてくれた。
彼の名前は、飆 炯斗さん。お父君が宋の方で、お母君が西欧の方の・・・母上が言うには、『ハーフ』というらしい。
なんでも、色々な国の妖を研究してる家の跡継ぎだそうで、特に『悪魔』について興味を持っている。彼の凄いのが、研究の為だけに宋より遥かに遠い西欧から、海を渡りはるばるこの国に来た所だ。
そして三月程前に、空腹で門前に行き倒れている所を、僕が見つけて、現在はウチに居候している・・・というより、新しい家族が増えた様な感じかな?
―凄いんだよね、炯斗さんって。ご両親から何も援助受けずに、自分の夢に向かってるんだから。尊敬しちゃうな。
親離れ出来てない事を自覚してる僕にとって、炯斗さんは憧れのお兄さんだ。
「体に衝撃を与えた時、内出血が起こりますよね。内側が赤紫に変色するのですけど、それが頭で・・・つまり脳内出血すると死に至る場合が有るんですよ?」
「へぇーっ、知りませんでした。やっぱり炯斗さんは物知りなんですね!」
そう誉めると照れたように微笑んで、照れ隠しなのか「えっと、それでそういう面では大丈夫なんですか?」と話をそらし始めた。
春幸兄上はそう聞かれて、頷いた。
「その心配もありませんよ。私の腕は、母上仕込みですから。ねぇ、母上?」
兄上に話を向けられた母上は、至極当然とばかりに居丈高に言い放つ。
「私が教えてきたんだから、死なせるなんてあり得ない」
「えぇーっ?・・・父上は?父上はどう思います?」
「暦がそう言うんなら、何があろうと大丈夫なんだよ、冬幸。暦の言動は、此の世の道理にかなってるから」
「・・・・親父は、お袋が都を滅ぼすって言ったとしても、『それが暦が決めた事なら』って許すんだろ?」
母上至上主義の父上の発言を面白がって、すぐ上の秋幸兄上がからかった。
けど父上は、花開く様なふんわりした笑顔で「もちろん」と断言した。
「私は暦の事を、宇宙で一番愛しているし、誰より信頼しているんだよ。ね、暦?」
「ふっ。知ってるよ。そうでなければ、この私が結婚なんざ、するとでも?」
顔を見合せて、二人だけの世界を作り出し始めた両親の、新婚のような甘々っぷりに、秋幸兄上・・・いや、僕ら全員が呆れを通り越して、感服してしまう。
―はぁっ。父上達には何にも言えないよ。結婚当初から、ズーッと変わらず仲良いんだよね。
取り敢えず、父上達にあてられないようにと、食べる事に専念する事にした。
食事も終わり時の頃、二番目の夏幸兄上が口を開いてきた。
「・・・それで?あのバカ従兄弟を放っておくのか?俺は母上の判断に任せるが」
「捜してあげましょうよ!ね、良いでしょう、母上」
熱を込めて懇願してみたが、兄上達ほど簡単に承諾してくれない。「え〜っ?はっきり言って、興味ない。やる気がおこらない」と、渋ったままだ。
「う・・・父上ぇ・・・」
助けを求めると、さすがに自分の甥だからか、僕の肩を持ってくれた。
「だめかい、暦?」
「節季の頼みでもなぁ。気分がのらないんだよね」
「本当に気分がのらないの?節別に恩を売れるし、誘拐犯達をギッタギタに出来るんだよ?」
「あ、そっか。暴れられるんだ」
そう言葉を聞いた瞬間、母上の瞳が凶暴に輝いた。一転して、僕らにニヤリと傲岸不適に笑いかけてくる。
「んじゃ、探し出す事に決定。・・・という訳で春、読んできた事を教えて貰おうか?」
「分かりました。あの屋敷に来ていたのは、少納言の橘 直教と名乗る男で、一月前から来ていたそうです。でも十中八九、偽名でしょう」
「?どうして分かるんです、春幸さん?」 「昨日の夜にそのお姫様が、盗まれたからですよ。本名名乗ってたら、おしまいでしょ?」
春幸兄上は「あとは、アイツが昨日の夜、屋敷には来ていない、というぐらいですね」と、話を締めくくった。
「ふーん。概容はわかったけど、情報が少ないね。・・・って事で、忍び込もうか!」
母上はいやに生き生きした表情で、そう宣言した。
春幸兄上と夏幸兄上は、やっぱりかという顔をし、秋幸兄上と僕、それに炯斗さんは、「えっ?本気じゃないよね?」と心が一つになる。
母上が本気なのはいつもの事、と慣れきっている父上は、忍び込むのが前提の質問をしてきた。
「じゃあ、私と誰が留守番組かな?」
バッと後者の僕らは手を挙げたが、母上が却下した。
「勝手に立候補するんじゃない!残るのは、春と夏だけ」
「ちょっと待て。俺の意思はどうなるんだよ!お袋、人権侵害だぜっ!?」
「人権侵害だぁ・・・?私の前では、何人たりとも権利なんぞ存在しないと知れ!」
「・・・・・は、はい」
圧倒的な格の違いで、秋幸兄上は瞬時に敗北させられる。
こんな時ほど、母上が世界最強だという事を、四兄弟は実感してしまう。
―うわぁーっ。・・・やっぱり母上が、世界最強なんだ。・・・・ん?強じゃなくてこっちの凶かな?
呑気な事を考えている間に、三人とも『実践授業』の名目の下、生まれて初めての『家宅侵入』に挑戦する事になってしまった。
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