麗らかな春の季節―新しく大学寮に入学してきた学生達が、先輩に寮内を案内されている。

「・・・と、いうぐらいだ。新しい環境で戸惑う事もあるだろうが、一緒に頑張っていこう」

 案内をしていた先輩学生―源幹久は、大学寮の正門まで来た所で止まり、後輩達に話しかけた。
 新学生達は、期待と不安が入り交じった顔で先輩をじっと見ていた。その瞳には、先輩への尊敬の念が映っている。

 ―ふぅ〜。なんとかつつがなく終わったよ。これで少しでも、不安が取り除けたらいい・・・・。

 いいんだがなぁ、と思いかけた時、「やめて下さいってばぁあぁっ」という悲鳴が近くで響いてきた。
 後輩達は、ビクッと怯えて、悲鳴が聞こえてきた場所を目で追っていく。
 その先には・・・一人の若い学生が、彼よりもう少し年上の男にギュウ〜ッと音がする程に抱きしめられていた。男は、人目などまったく気にならないようで、体を離して爽やかな笑顔を浮かべ、こっちが赤面する様な台詞を大声で放った。

「それじゃあ、仕事頑張ってくるぜ?俺の可愛い冬幸と、少しでも長くいられる様にな」

「わ、分かりましたからっ!秋兄上、早く仕事行って下さいよぅっ!」

 彼―冬幸は、兄らしい男にそう言って、脱兎の如く寮内に走り去って行った。顔を、火を吹いたように真っ赤にさせて。
 その光景を見てしまった新学生達は、そろってものすごく不安げな顔になっていた。

「・・・あ〜、安心してくれ。驚いたとは思うけど、アレは大学寮の名物なんだ。毎日送り迎えの際にあるから、その内に慣れる」

 一応、アレは何なのかを説明したのだが、さらに不審感を助長させる事になったようだ。皆、困惑や怪訝な表情で、お互いに顔を見合わ
せている。

 ―仕方ない。どういう男かを説明しておくか。名前・・・いや、家族は有名だしな。

 幹久は、心にそう決めて後輩達を見回し、口を開いた。

「あの抱きしめられてた男の家はな、彼に家族一同甘いんだ。御上に献上される菓子でさえ負ける甘さなんだぞ?」

 そこで言葉を切り、間を開けた後、「ちなみに」と情報を付け足した。

「君らの親御さんが、大学寮に入ったらよろしくするように、と繰り返し言ってた相手だと思うよ?」

 そう言うと、思い当たる人物がいたらしく、彼らはボソボソと小声で、話し合い始めた。そして、一人の学生が手を挙げて、おずおず質問してきた。

「あの、幹久様。先程の方って・・・もしかして、大貴族出身の算学生で」

 一人がぽつりと話し出すと、別の学生が言葉を付け足していく。

「兄君方が三人そろって高官で、出世頭で」

「父君が左大臣様の・・・左大臣家四男の藤原冬幸様?」

「あぁ。・・・・一応、言っておくが、腹に一物ある状態で仲良くなろうとかするんじゃないぞ?末っ子命の兄君方が、激怒するからな。・・・・本当に」

 幹久は、まだ左大臣家がどれだけ『風変わり』な家か知らない若い学生達が、馬鹿な真似をしでかして、命の危機に陥らない様にする為、真剣な顔で彼らに『注意事項―左大臣家編』を教えた。






新学生達は、その日初めて親の言いつけを破る事となる。






 ―・・・何でだろう?

 その日の午後。冬幸は、博士の所へ届ける資料を作成している最中、悩んでいた。
 理由は・・・後輩達が、他の先輩達とは仲良くしているのに、自分にだけよそよそしい態度をとり続けているから。

 ―笑顔で接したし、優しい言葉を選んで話してたはずなんだけど・・・。

「何か気に障る様な事、したかなぁ?」

 ちょうど今、同期生達は出払っているので、うっかり気が揺るんでしまう。さらに追い討ちをかけるかの様に、春の日差しがサンサンと降り注いでいる。
 僕は、ぼんやりしながら筆を走らせている際に、何気無く思いが口に出てしまった。
 すると、何処からともなく女の声が響いてきた。それも、婢の取って付けた様な言葉遣いではなく、華やかで高貴な女性のそれだ。

〔ホホホッ。とーこは、今日もお疲れかえ?家柄が良すぎるのも、困りものじゃのう〕

 こんな出来事に遭遇した場合、普通の人間ならば腰を抜かしてしまう所だが、僕はごくごく自然に、笑顔を庭に向けた。・・・いや、正確には、まさに今が花盛りの桜に、なのだが。

〔こんにちは、吉野様。心配して下さって、ありがとうございます〕

〔心配するのも当たり前じゃぞ?とーこは、己が気付かぬ内に色々と溜め込むからのう〕

 ―きっと、端から見れば、ものすごく変な光景なんだろうな。

 そんな事を、僕はチラリと思いつつ、吉野様と話を続ける。
 何せ端から見れば、たった一人で、『無言のまま』桜に向かって、ニコニコしている光景は、たとえ春の昼間と言えども、正視に耐えない光景だろう。



 実は冬幸・・・そして父を例外にした家族全員には、ある秘密が隠されている。
 それは、全員がそれぞれ不思議な力―超能力と呼ばれるモノを宿している事だ。
 ちなみに冬幸の能力は、『精神感応能力』―いわゆるテレパシー―で、動物に始まり木々の精霊等、何とでも会話が可能である。
 そんな訳で、冬幸自身はまったくの無自覚なのだが、彼は驚異の交友関係を、誇っているのだ。



〔吉野様・・・僕が、自分で自覚が無いから、兄上達が余計に気にかけてくるんだと思います?〕

〔ん・・・・いや、あ奴らのとーこへの対応は、元々の性格からじゃろうよ〕

〔ううっ、やっぱりそう・・・ですよね。なんだか最近、ますます過激になってるから大変なんです〕

 そんな他愛ない話を暫くの間していると、途中で風の精がやって来た。
 彼ら(彼女ら?)は、とにかく大勢存在している上、お喋り好きなので、聞かなくても様々な情報を教えてくれる。・・・まぁ時々、行き過ぎた個人情報も混ざってくるのだが。

〔お久しぶりですね、花風さん。最近は、どこにいるんですか?〕

〔清水寺が多いかも〜。でもそんな事より〜、花風、面白いの見たよ〜〕

〔面白いモノ?〕

〔とーこちゃんの叔父さんが〜、あり得ないくらいキョドーフシンで、ココに向かってた〜〕

〔・・・?叔父上が何の用だろう・・・?〕

 そう不思議がると、吉野様と花風さんは二人でクスクス笑い始めた。

〔きっとまた〜、とーこちゃんにお願いだね〜〕

〔それ以外に理由なぞあるまいよ。あの男ときたら、他力本願を地で行っているからのう〕

 吉野様が言葉を、言い終わるかないかの時、パタパタと足音が聞こえ、すぐ後に雑色が顔を覗かせた。

「あのう、冬幸様。お客様が来ておられます」

「あ、分かりました。どうもありがとう」

 雑色に案内してもらうため、一旦手を止めて、部屋を出る。その際に吉野様は、ふと気付いた様に言葉を囁いてきた。

〔とーこや、あまり良くない感じがしたからのう。気を散漫するでないぞ〕

 彼女らの様な精霊達は、人などよりも遥かに感覚が鋭い。精霊である吉野様や花風さんが、わざわざ言ってきたという事は、要注意という事なんだろう。
 少し不安になりつつも、僕は叔父上が待つ部屋へと向かった。
 晴れていた穏やかな空は、だんだんと厚い雲が侵食し始めている。
 この時には、想像もしていなかった事件の幕開けを暗示するかの様に。





部屋へ着くと、叔父上が真っ青な顔で走り寄ってきた。そして、ずるずると引きずられて行く。

 「助けてくれ、冬幸っ!お前の力を借りたいんだ」

 「僕で良ければ、いくらでもお手伝いしますから。とりあえず、落ち着いて下さい」

―ん〜、今の叔父上を引き止めるのは、難しいよね。

  かなり興奮しているらしい叔父を、やんわりと宥めながら、なんとなくは予想がつくけれど、何があったのかをゆっくりと聞き出す。

―こんなに慌ててるって事は・・・・義別さんに何かあったんだろうけど。

  うちの家は、子供が全員男だったのに対して、叔父上の家は、子供の四人中三人が女で義別さんは、たった一人の跡取り息子だ。その為、叔父上はとても義別さんを可愛がっている。
  ただ、甘やかされ過ぎたのか、しょっちゅう問題を起こしている困った従兄弟でもあるけれど。

 「それで、義別さんがどうなさったんですか?」

 「あぁ、実はだな・・・・」

  歩きながら聞いた叔父上の話は、ざっとこんなものだった。
 
  義別さんには近頃、恋文を送る相手がいたらしい。だけど彼女には、別の人も思いを寄せている様で、度々、門前で派手な喧嘩を繰り広げていたそうだ。

―その時点で、どっちも好かれないと思うんだけど。

  まぁ、僕の感想は置いといて・・・つい昨日も、いつものように彼女の屋敷に出掛けて行ったのだが・・・今朝はまだ戻って来てないそうだ。

 「・・・えーと、つまり今から一緒に、その姫君の屋敷に行くんです・・・か?」

 「その通りだ!・・・もしかしたら今、この時にさえ、つらい思いをしているかもしれんだろうっ?」

  早く大事な息子の、無事な顔を見たいのだろう。そう思うと、何だか僕まで心配になってきた。
  だけど・・・一つ問題がある。兄上達の事だ。

 「あ、あのう。行くのは良いんですけど・・・兄上に連絡してからでもいいですか?」

  何気無く言っただけなのに、叔父上はビクッと立ち止まり、軋んだ音をたてながら振り返った。

 「べ、ベベべ、別に兄達に言わなくても構わないだろうっ?!」

―うわぁー、いつもながらすごい慌てよう。そんなに兄上達って恐い・・・・か。

  彼が、兄上達に苦手意識を持っているのはわかってるけれど、連絡無しで動く訳にはいけない。
  その事を言うと、「怒られるのか?」とおずおず聞かれた。

 「違いますよう。怒りはしないんですけど・・・・何も言わずに行動すると、次の日から四六時中、べったりになるんですよね」

  あの時は最悪だった。
  兄上達は三人とも仕事を休み、「心配だから」の一言を理由にその一日中、大学寮に居座り続けたのだ。

―・・・・それはまぁ、白昼堂々、盗賊に襲われた自分の不注意だから、仕方ないんだけどさ。

 「頼むっ、黙っていてくれ!ついさっき春幸に、仕事で出かけると嘘づいてきたばかりなんだっ!」

―えぇ〜っ!?よりによって、あの春幸兄上に会ったって・・・・。

  叔父上のあまりの間の悪さに押し黙ってしまった僕を、叔父上はいぶかしげに除き込んできた。

 「どうしたんだ?気分が悪いのか?」

 「おやおや、何を惚けた事をおっしゃっているのですか?冬幸の気分がすぐれないのは、貴方のせいに決まっているでしょうが」

  前方からしっとりした口調で、だけど痛烈な侮蔑を含んだ声が響いてきた。
  噂をしたので影がさしてしまったらしい。叔父上が恐れている男―一番上の春幸兄上が、父上によく似た穏やかな笑顔を浮かべていた。
  でも僕はホッとは出来ない。そうーっと、怒った時の特徴を伺って見ると・・・・目が笑ってない。それどころか、背筋が凍っていきそうな冷たい光が爛々と輝いている。
  当然の如く叔父上は、真っ青を通り越して土気色の顔色に変わっている。
  しかし叔父上は必死の形相で、ある疑問を兄上にぶつける。

 「は、はは、春幸っ!なんで大学寮なんぞにいるっ?ま、まさかお前、私を監視していたのかっ?!」

  質問した叔父上の気持ちが、分からないでもない。監視していなければ、自分が僕に会いに行くのなんて分からないはずだし、参議である春幸兄上がまったく関係のない大学寮に来る理由がない。
  けれど兄上はあっさりと否定し、嘲笑気味に笑った。

 「まさか。監視など、そんな下らない事をしている程、私は暇人じゃありませんよ?・・・・ご子息の捜索にお忙しい叔父上とは違って、ね」

  そう『監視』はしていない。兄上は、叔父上の考えを『読んだ』だけだから。
  左大臣家長男―春幸の能力は、相手の思考や記憶を読む事が出来る。
  ただし、頭の中が読めない例外として、左大臣家北の方―暦様が君臨しているが。
  春幸は度々この力を使う事で、政治的闘争を勝ち抜き、三十路前の若さで参議という異例の出世を遂げたのだ。
  でも、兄上の力をよく知らない叔父上は、兄上のあまりにも核心を突いた言葉に、ダラダラと冷や汗をかき、目を見張る。
  兄上は、そんな叔父上の様子を一瞥し、僕にほころぶような本当の笑顔を浮かべてきた。でも、兄上の口から囁かれた言葉に卒倒しそうになる。

 「あ、一応言っておくけど、冬幸を監視するのは全然、下らないとか無駄な時間だとか思ってないからね?むしろ、幸せだよ」

 「兄上、監視なんかしてるのっ?!」

  思わず叫んでしまうと、ちょっと意地悪げに微笑んで、こう言った。

 「ん〜、そうだな。私の大事な冬幸が、勝手に黙って行動しちゃったりしたら・・・悲しみのあまり、正常な判断が出来ずにしてしまうかもしれないねぇ」

―・・・・うん。これから先も、連絡無しで行動しないようにしよう。賊達よりも、兄上の方が数段恐いって!

  口をつぐんで、素直にコクコクと首を縦に振る。
  それを見た兄上は、「冬幸はもう勉強に戻りなさい。送ってってあげようね」と、肩に手をまわされる。だけど、そのまま連れ戻される訳にはいかない。

 「あ、あの、僕、義別さんの事が心配なんです。叔父上と一緒に行っちゃだめですか?」

  兄上の手をきゅっ、と握りしめてお願いしてみる。 「そ、そうだ。義別がいなくなったら大へ・・・」

 「うるさいですよ、黙りなさい。貴方の馬鹿息子がどうなろうと知った事じゃありませんが、冬幸が怪我でもしたら人類の至宝の損失です」

  叔父上の言葉を途中で遮り、叩きつける様な厳しさで黙らせる。そして、困った顔をしながら「どうしても、手伝いたいの?」と聞いてきた。

 「お願いします、兄上。今回だけですから、許して下さいよう」

 「まったく・・・・仕方のない子だね?私が冬幸に甘いのを知っててお願いしてくるんだから」

 「え・・・じゃあ、いいんですかっ?」

  兄上は苦笑まじりに「一生懸命お願いされてはね」と許してくれた。
  その途端に叔父上は、パアッと明るくなり、こう言った。

 「そうか、許してくれるか。それでは、夜までには屋敷へ帰らせるからな」

 「貴方は思考能力がないのですか?二人でなんて行かせる訳がないでしょうが」

 「・・・・ま、まさか・・・」

 「えぇ、お察しの通りです。私も一緒に行かして頂きますよ」

  わざわざ言葉を一度切り、死にそうな顔をした叔父上に止めを刺す。それも、とびっきりの笑みを向けて。

 「私にはお見通しですよ?・・・何かあった時、冬幸を身代わりにしてお逃げになるおつもりでしょうが。そのような事は私が、させませんからね?」
 




  その日の昼間。幸せ満面の笑顔で歩く長身の男と、彼に腕を組まれて真っ赤の若い学生、そして絶望的な顔をした中年男の三人が、大学寮を後にした。
 


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