麗らかな春の季節―新しく大学寮に入学してきた学生達が、先輩に寮内を案内されている。 部屋へ着くと、叔父上が真っ青な顔で走り寄ってきた。そして、ずるずると引きずられて行く。
「助けてくれ、冬幸っ!お前の力を借りたいんだ」 「僕で良ければ、いくらでもお手伝いしますから。とりあえず、落ち着いて下さい」
―ん〜、今の叔父上を引き止めるのは、難しいよね。 かなり興奮しているらしい叔父を、やんわりと宥めながら、なんとなくは予想がつくけれど、何があったのかをゆっくりと聞き出す。 ―こんなに慌ててるって事は・・・・義別さんに何かあったんだろうけど。
うちの家は、子供が全員男だったのに対して、叔父上の家は、子供の四人中三人が女で義別さんは、たった一人の跡取り息子だ。その為、叔父上はとても義別さんを可愛がっている。 ただ、甘やかされ過ぎたのか、しょっちゅう問題を起こしている困った従兄弟でもあるけれど。
「それで、義別さんがどうなさったんですか?」 「あぁ、実はだな・・・・」
歩きながら聞いた叔父上の話は、ざっとこんなものだった。 義別さんには近頃、恋文を送る相手がいたらしい。だけど彼女には、別の人も思いを寄せている様で、度々、門前で派手な喧嘩を繰り広げていたそうだ。
―その時点で、どっちも好かれないと思うんだけど。 まぁ、僕の感想は置いといて・・・つい昨日も、いつものように彼女の屋敷に出掛けて行ったのだが・・・今朝はまだ戻って来てないそうだ。
「・・・えーと、つまり今から一緒に、その姫君の屋敷に行くんです・・・か?」 「その通りだ!・・・もしかしたら今、この時にさえ、つらい思いをしているかもしれんだろうっ?」 早く大事な息子の、無事な顔を見たいのだろう。そう思うと、何だか僕まで心配になってきた。 だけど・・・一つ問題がある。兄上達の事だ。
「あ、あのう。行くのは良いんですけど・・・兄上に連絡してからでもいいですか?」 何気無く言っただけなのに、叔父上はビクッと立ち止まり、軋んだ音をたてながら振り返った。 「べ、ベベべ、別に兄達に言わなくても構わないだろうっ?!」 ―うわぁー、いつもながらすごい慌てよう。そんなに兄上達って恐い・・・・か。 彼が、兄上達に苦手意識を持っているのはわかってるけれど、連絡無しで動く訳にはいけない。
その事を言うと、「怒られるのか?」とおずおず聞かれた。
「違いますよう。怒りはしないんですけど・・・・何も言わずに行動すると、次の日から四六時中、べったりになるんですよね」 あの時は最悪だった。
兄上達は三人とも仕事を休み、「心配だから」の一言を理由にその一日中、大学寮に居座り続けたのだ。
―・・・・それはまぁ、白昼堂々、盗賊に襲われた自分の不注意だから、仕方ないんだけどさ。 「頼むっ、黙っていてくれ!ついさっき春幸に、仕事で出かけると嘘づいてきたばかりなんだっ!」
―えぇ〜っ!?よりによって、あの春幸兄上に会ったって・・・・。 叔父上のあまりの間の悪さに押し黙ってしまった僕を、叔父上はいぶかしげに除き込んできた。
「どうしたんだ?気分が悪いのか?」 「おやおや、何を惚けた事をおっしゃっているのですか?冬幸の気分がすぐれないのは、貴方のせいに決まっているでしょうが」 前方からしっとりした口調で、だけど痛烈な侮蔑を含んだ声が響いてきた。 噂をしたので影がさしてしまったらしい。叔父上が恐れている男―一番上の春幸兄上が、父上によく似た穏やかな笑顔を浮かべていた。
でも僕はホッとは出来ない。そうーっと、怒った時の特徴を伺って見ると・・・・目が笑ってない。それどころか、背筋が凍っていきそうな冷たい光が爛々と輝いている。
当然の如く叔父上は、真っ青を通り越して土気色の顔色に変わっている。
しかし叔父上は必死の形相で、ある疑問を兄上にぶつける。
「は、はは、春幸っ!なんで大学寮なんぞにいるっ?ま、まさかお前、私を監視していたのかっ?!」 質問した叔父上の気持ちが、分からないでもない。監視していなければ、自分が僕に会いに行くのなんて分からないはずだし、参議である春幸兄上がまったく関係のない大学寮に来る理由がない。
けれど兄上はあっさりと否定し、嘲笑気味に笑った。
「まさか。監視など、そんな下らない事をしている程、私は暇人じゃありませんよ?・・・・ご子息の捜索にお忙しい叔父上とは違って、ね」 そう『監視』はしていない。兄上は、叔父上の考えを『読んだ』だけだから。 左大臣家長男―春幸の能力は、相手の思考や記憶を読む事が出来る。
ただし、頭の中が読めない例外として、左大臣家北の方―暦様が君臨しているが。
春幸は度々この力を使う事で、政治的闘争を勝ち抜き、三十路前の若さで参議という異例の出世を遂げたのだ。
でも、兄上の力をよく知らない叔父上は、兄上のあまりにも核心を突いた言葉に、ダラダラと冷や汗をかき、目を見張る。
兄上は、そんな叔父上の様子を一瞥し、僕にほころぶような本当の笑顔を浮かべてきた。でも、兄上の口から囁かれた言葉に卒倒しそうになる。
「あ、一応言っておくけど、冬幸を監視するのは全然、下らないとか無駄な時間だとか思ってないからね?むしろ、幸せだよ」 「兄上、監視なんかしてるのっ?!」
思わず叫んでしまうと、ちょっと意地悪げに微笑んで、こう言った。
「ん〜、そうだな。私の大事な冬幸が、勝手に黙って行動しちゃったりしたら・・・悲しみのあまり、正常な判断が出来ずにしてしまうかもしれないねぇ」 ―・・・・うん。これから先も、連絡無しで行動しないようにしよう。賊達よりも、兄上の方が数段恐いって!
口をつぐんで、素直にコクコクと首を縦に振る。 それを見た兄上は、「冬幸はもう勉強に戻りなさい。送ってってあげようね」と、肩に手をまわされる。だけど、そのまま連れ戻される訳にはいかない。
「あ、あの、僕、義別さんの事が心配なんです。叔父上と一緒に行っちゃだめですか?」 兄上の手をきゅっ、と握りしめてお願いしてみる。 「そ、そうだ。義別がいなくなったら大へ・・・」 「うるさいですよ、黙りなさい。貴方の馬鹿息子がどうなろうと知った事じゃありませんが、冬幸が怪我でもしたら人類の至宝の損失です」 叔父上の言葉を途中で遮り、叩きつける様な厳しさで黙らせる。そして、困った顔をしながら「どうしても、手伝いたいの?」と聞いてきた。
「お願いします、兄上。今回だけですから、許して下さいよう」 「まったく・・・・仕方のない子だね?私が冬幸に甘いのを知っててお願いしてくるんだから」
「え・・・じゃあ、いいんですかっ?」 兄上は苦笑まじりに「一生懸命お願いされてはね」と許してくれた。 その途端に叔父上は、パアッと明るくなり、こう言った。
「そうか、許してくれるか。それでは、夜までには屋敷へ帰らせるからな」 「貴方は思考能力がないのですか?二人でなんて行かせる訳がないでしょうが」
「・・・・ま、まさか・・・」
「えぇ、お察しの通りです。私も一緒に行かして頂きますよ」 わざわざ言葉を一度切り、死にそうな顔をした叔父上に止めを刺す。それも、とびっきりの笑みを向けて。 「私にはお見通しですよ?・・・何かあった時、冬幸を身代わりにしてお逃げになるおつもりでしょうが。そのような事は私が、させませんからね?」 その日の昼間。幸せ満面の笑顔で歩く長身の男と、彼に腕を組まれて真っ赤の若い学生、そして絶望的な顔をした中年男の三人が、大学寮を後にした。
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